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キリスト教はご利益宗教か?

(以下は、6年前(2015年)に、中学生むけに書いた(つもりの)原稿です。いまとなっては幼稚っぽいと思われる気もするのですが、このまま上げます。)

 みなさん、たぶんみなさんの多くは、初詣に神社に行って、お願い事をすると思います。あるいは、絵馬にお願い事を書きます。それから、学業成就の神様、恋愛成就の神様と、いろいろ、ご利益のある神様が、神社にはいます。
 では、キリスト教の神様には、ご利益はないのでしょうか?
 じつは、キリスト教は、すごいご利益宗教です。
 今日の話をよく読みましょう。
 バルティマイという、目の見えない乞食が、イエス様に、「先生、見えるようになりたいです!」と言います。イエスは、「あなたの信仰があなたを救った」と言って、バルティマイを、見えるようにしてくださいます。イエス様は、「求めなさい。そうすれば与えられる」と言われましたが、まさしくそのことがここで起きているのです。こういう話が、聖書には、ざらに出てきます。キリスト教は、明らかなご利益宗教なのです。(ちなみに、なんで聖書は、「バルティマイ」という個人の名前を出すのか、と言いますと、具体例を挙げることで、一般性を言っているのです。「バルティマイがいやされたように、あなたもいやされるよ」というのが聖書の言いたいことです。)
 もう少し、別な話をしましょう。
 キリスト教を信じる人は、死んだら、イエス様のところへ行って、もれなく「永遠の命」というごほうびをもらえます。これはものすごいご利益ではないでしょうか。そんなのは、来世利益であって、現世利益ではない、と思う人へ質問です。「いま、がんばって生きているけれど、死んだらすべて終わりか・・・。死は、すべての終わりだ・・・」と思って生きている人と、「死んだら、イエス様のところへ行って、永遠の命だ!」と思って生きている人と、どっちが、精神衛生上、いいでしょうか。後者でしょう。その意味で、これは立派な、現世利益です。
 もうひとつ、例を挙げましょう。
 私は自分の副担しているクラスにときどき行って、食前感謝の指導をします。みなさん食べるのがすばやいので、なかなか言えませんが、私はなるべく言おうとしているのは、「食べる前に、誰でもいいから、特定の、友達でも先生でも覚えて、その人の幸せを祈ってから食べなさい」ということです。私たちは、普段「きょうは1時間目から数学か。いやだな」「あの先生きらい」「あいつは、気に入らない」など、心がゴミになるような状態で日々を送っています。そのようなとき、一日に1回でも、具体的なだれかを覚えてその人の幸せを祈るとき、私たちの心はしばし穏やかになり、心がリラックスします。これは、明らかな現世利益です。他者のための祈りは、自分の精神衛生上、よかったりします。
 以上、キリスト教は、立派な「ご利益宗教」です。こんなにたくさん、ご利益があるのです。みなさんも、今から、キリスト教を信じませんか?まずは、教会へ行くことから!(笑)

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