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外山雄三を讃えて②

 前回の「外山雄三を讃えて①」にも書きました通り、私は外山雄三のファンです。学生時代、1996年に外山雄三の指揮する仙台フィルの東京公演を聴いて以来、その魅力にとりつかれ、以来、2005年までの10年間、1年に一度は外山雄三の演奏会に通っていました。いまから、2000年1月29日(なんでこんなに日付をはっきり書けるかと言うのは後述。よく見ると、25歳の大病よりも前だし、キリスト教の洗礼を受けるより前だし、ちょうど修士論文の基本アイデアが出た翌月ですね)、いまからちょうど21年前の都響(東京都交響楽団)のサントリーホールにおける演奏会の思い出を書こうとしています。この演奏会は、オール外山雄三プログラムで(すべて外山雄三の作曲した作品による演奏会)、外山雄三本人が指揮する、というものでした。こういう演奏会が成立すること自体、東京はやっぱり文化が高かったなあ。


 すべて当時のことしかわかりませんが、少なくとも当時の都響はうまかったです。コンマスはうまいし、ヴィオラもうまいし、チェロにも当時、すごく若くて優秀なトップが入団、オーボエもうまいしファゴットもうまい。ホルンも笠松先生や伊藤先生がいてうまいし、トランペットにも若くてうまい人が入った。これで残念なのはフルートくらいだな、フルートに名古屋フィルの寺本義明さんあたりが入って来たら最高なのにな、と思っていたら、この演奏会の直後に、本当に名古屋フィルの寺本さんが都響に入団して来たのです!数年間でしたが、寺本さんの演奏を何回か間近に聴くことができました。寺本さんは、今でも都響でご活躍中です。(のちに、石原さんという野蛮な都知事(当時)が、都響をつぶそうとしました。よりによって日本で一番うまいオーケストラかもしれないのに、それをつぶすなんて!ある都響の団員のかたのおかあさまが、ある教会の教会員で、その教会で、「都響をつぶさないでください」という署名がまわってきました。結局、都響はつぶされなかったんですけど、かなりやられたみたいで、いまはどうなっているのでしょうねえ。あとついでに書くと、都立大(当時)もやられた。ほんとうに、文化にも学問にも理解のない都知事でしたね。記者会見で見る石原さんは、まるでヤクザの親分みたいでしたしね。)

 この演奏会の少し前、フォンテックから、「外山雄三オーケストラ作品集」というCDが発売になりました。(YouTubeみたいのがない時代ですよ。音楽を聴くとしたら、ラジオでなければCDを買うしかない時代です。)外山雄三のオーケストラ曲が5曲、入っていて、いまでもよく聴きます。「管弦楽のためのラプソディ」「沖縄民謡によるラプソディ」「まつら」「フルートとオーケストラのための幻想曲」「花を捧げる」が入っていて、「まつら」以外は外山本人の指揮です。私は、とくに、「沖縄民謡ラプソディ」が、曲、演奏ともに好きです。そのちょっとあとのこの演奏会。私はフォンテックにハガキを出しました(メールを出すという時代ではなかったということです)。ぜひ、第2弾として、この都響の演奏会をCD化してください、と。そして、私のハガキが奏功したのかどうかはわかりませんが、ほんとうにこの演奏会はCDになりました。そのCDも、いまでもよく聴きます。そのCDを見ながらこれを書いているので、年月日が正確に書けるのです。

 その日のプログラムは、交響曲「帰国」、チェロ協奏曲、「ひといろ足りない虹のように」(歌曲)、交響曲第2番でした。CDを見ながら書いているから正確だと思われるかもしれませんが、歌曲の題名はうっすらした記憶です。たしか4曲からなる曲だったと思うのですが、CDでは、3曲になっており、題名も「新川和江の詩による歌曲集」となっています。おそらく、CDの収録時間にあわせて、カットをしたのだろうと思いますが…。

 ちなみに、フォンテックは、そのあとも、仙台フィルの来日公演で、外山雄三と梅田俊明の指揮する演奏会をCD化してくれたりして(その演奏会も聴きました。そのCDも持っています)、外山ファンとしてはありがたかったのですが、あまりにも外山雄三の録音が少ない。去年(2020年)のいまごろ、大阪交響楽団で、ドヴォルザークの8番、9番(新世界より)を(その年の)5月にやることを知った私は(外山雄三の「新世界」は、すごく聴きたいもののひとつ。ときどき、ネットで、絶賛と酷評のまっぷたつの感想を見ることがあり、ぜひとも聴いてみたいもののひとつなのです)、20年以上ぶりにフォンテックに(今回はハガキでなく)メールを出し、その演奏会をCDにしてくれるよう、頼んだのですが、直後にコロナが流行し、それどころでなくなってしまった。しかたがない。しかし、キングレコード(?)が、去年、外山雄三指揮のチャイコフスキーの交響曲4、5、6番ほか、ベートーヴェンの交響曲全集という、ファンが待ちに待ったものを出していたことを、きのうの夜、あるかたのnoteで知った私は、もうぜひ聴きたい。そして「新世界」もお願いしたい。ラフマニノフの交響曲第2番と、「交響的舞曲」もよろしくお願いします。(そのかたの記事をはりつけることができない私をどうかおゆるしください。)

 なかなか演奏会そのものに入らなくてすみません。場所はサントリーホールでした。私はP席を買いました。P席は、安いからです。その代わり、音量のバランスは悪いですけどね。P席とはどこかというと、オーケストラよりさらに後ろの席です。つまり、いちばん手前に打楽器がいて、つぎに金管がいて、ホルンのベルはこっちを向いている。そして、弦楽器ははるかかなたで、そよそよ弾いている、という席なのです。しかし安いので、P席はよく買いました。指揮者の顔はよく見えます。まるで自分がオーケストラの中で演奏しているときのようです。(こわい?)

 1曲目の交響曲「帰国」。これは、感動しました。すばらしい曲です。あれから21年がたった今でも、その日の録音をひんぱんに聴いています。60年代の外山らしい、元気がよくてモダンなのに郷愁を感じさせ、いかにも日本風でもあり、とにかくかっこいい曲です。日本人の作った交響曲の中でも、かなりすぐれた曲ではないかと思います。生で聴いたときは、第4楽章(終楽章)クライマックスでの、鳥肌のたつようなかっこいい和声進行が、CDだと、どうも打楽器にかき消されているようで、それはちょっと残念ですが、しかし、CDからでも、この曲のよさは、じゅうぶんに伝わります。この曲は、2021年1月25日現在、YouTubeで聴けますので、興味のあるかたは、ぜひお聴きください。日本人の作曲した「交響曲」のなかでは、林光(はやし・ひかる)の交響曲ト調(外山雄三指揮都響でCDがあります)とか、小倉朗(おぐら・ろう)の交響曲ト調(外山雄三指揮N響でCDがあります。みんな外山雄三のおかげで私が知った曲ではないか。すべて、2021年1月25日現在、YouTubeで聴けます)、などが私の好みです。いずれにしても、この「帰国」は名曲だと思います。これを生で聴けて、ほんとうによかった。

 次の曲。チェロ協奏曲です。ソロは、堀了介さん。この曲は、ロストロポーヴィチの委嘱で書かれた曲で、ロストロポーヴィチのチェロ、外山雄三の指揮、モスクワ放送交響楽団によって初演され、その録音も残っています。さきにロストロポーヴィチの録音でこの曲を知っていた私ですが、たまたまP席に座っていた関係で、ティンパニの譜面が見えました。ラストの音で、初演の録音には入っている前打音が、バツで消されていました。実際の演奏でも、初演とは違って、ティンパニの前打音はありませんでした。作曲者だからこそ楽譜をいじれるのでしょう。そういえば、先ほど話題にした、「帰国」のYouTubeの音源は、「外山雄三指揮N響」と書かれたもので、このときの録音とは違う録音ですが、どうやらオーケストレーションがちょっとこのときの演奏会と違うみたいですし。このチェロ協奏曲も、外山らしい名曲です。(というわけで、この曲の録音は、初演のロストロポーヴィチと、このときの堀了介の、少なくとも2種、存在するわけですが、たったいま、ちょっとインターネット検索すると、この曲の録音はひとつしかないように書いてあるサイトがありました。ご注意ください。)


 さて、休憩となりました。P席に、オーケストラ時代の仲間たちを見つけました。彼らは弦楽器で、われわれのオーケストラは、このときのチェロのソリストである、堀了介先生に弦楽器の指導をしていただいていたのです。彼らは了介先生のソロに期待して、この演奏会に来たのでした。私は管楽器なので、了介先生の指導は一度も受けていませんけれども。彼らは、P席の音量バランスが悪いので、休憩時間に、前のほうの席へ移動しました。
 
 次は、「新川和江の詩による歌曲集」です(上にも書いたとおり、演奏会のときはこの曲名ではなかった気がするのですが、もう自信がありませんので、CDに書いてあるとおりに書きます)。ソロは竹田弥加というかた(覚えていません。CDを見ながら書きました)。美しい曲でした。外山雄三は、歌曲も、合唱の曲も、いい曲を書きます。詩もいい。じつは、P席にいたからわかったのですが、外山は指揮をしながら、ずっと歌手に向かって、プロンプターの役割を果たしていました(小声で次の歌詞を言う)。客席には作詞の新川和江さんも来ており、演奏終了後に外山雄三に立たされ、その場でおじぎをしていました。

 そして、最後の曲。交響曲第2番です。1999年の作品で、当時、最新作だったと思います。先ほどの、交響曲「帰国」を「第1番」と考えての、第2番ということでした。しかし、それを言ったら、外山雄三は、なんだかんだいって、「帰国」から「第2番」のあいだに、「交響曲」という題名のつく音楽を、たくさん作っています。おそらく10曲くらいは作っているのでは。私が生で聴いたなかでは、林光との共作ですが、交響曲「五月の歌」とか(外山雄三指揮、名古屋フィルで聴いた)。とにかく、交響曲っぽくない曲、合唱曲みたいな曲でも、外山雄三は、「交響曲」という題名の音楽を、相当、書いてきて、そして、この演奏会での「第2番」。このあと、第3番、第4番と書いたらしいことはなんとなく知っていますが、よくは知りません。そして、つい最近、2020年11月の、コロナの少し穏やかだった時期の外山雄三指揮、新日本フィルの演奏会で披露された「交響曲」という作品(YouTubeで見ました)。単一楽章のオーケストラ曲でしたが、現時点で、最新のオーケストラ曲とのこと。「?」。番号つきの交響曲はどうなった?どうやら、外山雄三って、作品に「交響曲」という名前を付けるのが好きみたい。若いころの作品で、「小交響曲」っていうのもあるしね。さて、どういう曲かと言いますと、極めて重苦しい、深刻な雰囲気の曲です。当時は世紀末。「もうすぐ二十一世紀!明るい未来!」みたいな雰囲気だったような気がします。それなのに、外山雄三のこの重苦しい交響曲。そのギャップに驚きつつ聴いたのですが、じつは、二十一世紀は、「同時多発テロ」で始まり、そのあとも、世界の分断が続いています。外山雄三の「音楽による予言」が当たってしまったかのようです。「交響曲第2番」、力作でした。

 という、外山ファンにはたまらない演奏会で、しかもCD化されて何度も聴けるし、すばらしい思い出。なかんずく「帰国」は最高です。

 ところで、外山雄三の曲だけ見ると、あたかもハチャトゥリアンみたいな作曲家というか、民族主義的というか、とても、指揮者としての厳格なイメージはわかないのではないか、と思うほどです(ハチャトゥリアンが指揮者としてどのようなタイプであったのか、知らないで書いているので無責任ですが)。じつは、有名な「管弦楽のためのラプソディ」の、大植英次の指揮するどこか海外のオケによる、絶対にそう演奏してはならないという演奏を見たことがあるのです。もう、うんざりしました。外山雄三の曲は、指揮者としての外山雄三らしく、きちっとしたたたずまいで演奏してもらいたいものです。

 とにかく、すばらしい演奏会でした。以上です。

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