ブラックボックスと探究心

今朝、0歳の娘をお風呂に入れていたときの話。

泡でシュコシュコ出てくるボディソープを娘が興味深そうに見つめているのを見て、亡くなった祖父のことを思い出した。

 

祖父は晩年、ノートパソコンを購入した。

自分も含めた若い世代が、何かあるごとにスマホを見つめているのを不思議がり、それならまずはインターネットに触れてみればいいと父親が購入を勧めたのだ。

ただ、結果として、2週間もしないうちに使わなくなってしまった。

電気工学部出身の祖父は、GUIの奥側で何が起こっているのかを理解しようとし、それが出来ないから使うことが気持ち悪くなったらしい。

つまり、ブラックボックスをブラックボックスのまま放置して、何かを使うことが出来なかったのだ。

 

自分も工学部出身だが、祖父とは違う。

ブラックボックスはブラックボックスのまま受け入れて、インプットの方法と得られるアウトプットに価値を感じている。

この違いは、やっぱり生きてきた時代が大きな影響をおよぼしているように思う。

ブラックボックスを全て理解しようとするには、あまりにモノや情報が発達しすぎている。

 

ブラックボックスをそのまますんなり受け入れられる自分の性質は、今の時代を生きていく上で得なことだと思って生きてきた。

でも、娘が興味を向けている泡で出てくるハンドソープ、この仕組みすらもちゃんと理解できてないよなと、少しだけ心がざわついた。

娘はこれから、あらゆるものに興味を持ちながら大きくなっていくだろう。そうあって欲しいと願っている。

そんなときに、娘の探究心にしっかりと寄り添える父親でありたい。

そうなるためには、時にはブラックボックスの中に一緒に入り込んでいく苦労もしないとな、そう思った。

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