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どれだけ積み上げてきたかも知らずに

何かに特化しているひと、一目置かれているひとたちに、私たちは「そんなにできるなんてすごい」「才能だなあ」なんて言ってしまいがち。
その人が、そのすごい状態になるまで、どれだけの時間をかけ、どれだけの努力をしたのかも知らずに。

最近こういった内容のことをおっしゃっている方をよく目にしていて、いつも「そうだよなあ」と思いながら聞いている。

私は努力をしてこなかった。
勉強にしても、部活にしても。
今となってはまだまだ自分にできることはたくさんあったはずなのになんて思う。

勉強。
学生時代、努力してきたことがあっただろうか。
そのくせ点数が悪いと嘆き、点数が取れる人を羨んだ。

部活動。
強くなりたい、試合に勝ちたい、インターハイに出たい。
そう思いながら、誰にも負けない努力はしたのだろうか。

どんな時もその時その時で一生懸命に生きていた、はずだ。
ただ、本当に目標を達成したいのなら、自分のやるべきことをもっと明確にして、コツコツ積み上げるべきだったと思う。

「今まで一番勉強したのっていつ?」と聞かれれば、去年にオーストラリアへ留学した半年間かもしれない。
高校受験も必死だったはずだけど、あまり大変だった記憶がない。

オーストラリア留学は、私がずっと苦手だった英語をひたすら勉強していた。
「あなたのレベルでは半年で資格を取るのは難しい」と言われながら、なんとか取ってやると意地でやってみせた。
そして小学校英語指導者の資格を取った。

語学とは一番わかりやすい積み上げ学習だと思う。
勉強すればするほど、時間をかければかけるほどできるようになる。

ということは、裏を返せば、英語がしゃべれる、英語がわかる人っていうのは、それほどの時間をかけてその能力を手にいれた。
そのことを留学中、身をもって痛感した。

「あぁ、私は今まで目に見えていたその人の能力だけをすごいと思っていたけど、それまでの努力や過程を全然想像できていなかった。」

「そんなにできてすごいなあ」というような能力だけを褒める言葉って、結構失礼なのかもしれないと気づいた。

だから結局のところ、「できるからすごい」ではなく、「できるようになるために一生懸命になれることがすごい」のだ。
それを忘れている人って結構多いんじゃないかな。

私は子ども関わる上で、このことを伝えていきたいし、私自身も目の前の事に一生懸命になれる大人でありたい。

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