失敗という名の地下鉄に乗って⑥   ~そして青年は涙を流す~

おはようございます。劇団昴の三輪学です。

高校合格後の中3末期から劇団に復帰し、
さてさて、お次はどんな舞台をやるんだろう、とわくわくの日々です。

新しいクラスメイトには、「実は俺、劇団入っててさぁ」なんてニヤニヤしながら話したりして。
そばに演劇部に入っている女子がいるのを知ってて、あえて。

ほんと嫌なやつです。今風にいうなら完全にしくじってるやつです。

当時の高校演劇でも、名門と言われていたり、活動が盛んなところ以外は、
やはり男子部員は圧倒的に少なく、わが校も例外ではありませんでした。

わたしの思惑通り、ほかのクラスの演劇部員が連れ立って、こっそり私を視察にきたこともあったようです。

そんなイキったアマチュア演劇小僧、イキリ甘太郎は、一向に企画が出てこない次回公演にイライラしだします。

もうね、完全にイキってますからね。

淡々と基礎練習を繰り返す劇団。

どうも劇団の活動がうまくいっていない。
旗揚げ公演の燃え尽き症候群なのか、集まる人数も少なくなり、活動の活気も感じられません。
やがて、同じように感じていた数名で、通称『Bチーム』というものを結成し、主宰や上層部に知られることなく、集まりを持って暗躍を始めます。
なんとか公演活動ができるようにしよう!

しかし、暗躍のかいなく主宰から衝撃の発表が行われます。

「名称を『身体表現の会』に戻して、しばらく公演活動は行わない。」

池袋小劇場での演劇体験にすっかり魅了されてしまっていた私は、
とにかく「本番」をやりたくて仕方ありません。

ストレスが溜まっていたイキリ甘太郎はついに吠えます。

「本番に向けての稽古をすれば、それはそれで演技の稽古になる。公演をすることで成長すればいい。だから公演やりましょう!」

大師匠はこのときはじめて声を荒げ、私に言いました。

「そんなに公演をやりたいなら、自分たちで劇団を作ってやったらいい!」

稽古終了後、私は稽古場から少し離れた、道端で泣きました。
悲しくて、悔しくて、泣きました。

そこにはBチームのメンバーもいました。

大師匠の元教え子で同級生の女の子と、旗揚げ公演を観て所属した23歳の男性。


ちょっとした沈黙のあと、だれとなくぼそっとこんな言葉が出ました。

「じゃあ劇団作るか…」

今となっては、いや、当時でさえ誰が言い出したのかは定かではありません。

でも、その時に3人の気持ちはひとつになりました。

そして、高1のたしか9月前、自分たちの劇団を立ち上げることにしたのです。

メンバーは劇団からの離脱組に加えて、大師匠の演劇部OGに声をかけて集めました。

活動場所は、西東京の公民館。

劇団名は、『観る人も元気に、やる我々も元気に』をコンセプトに『劇団ビタミン』を候補にあげますが、
当時すでに『劇団ビタミン大使ABC』が存在しており、これを却下。
では、ビタミンをヴァイタミンと英語読みしよう、ということで、
『VITAMIN DRAMATICS COMPANY』(ヴァイタミン ドラマチックス カンパニー)に決定しました。

主宰は当時一番年長者だった23歳の男性で、ドラマチックに付くSは「アマチュアの」という意味になると
いう説明を受けた記憶があります。

我々はあくまでアマチュアだが、プロを食ってやるという恐ろしいイキリ具合です。

高校では、部活にも入らず、特に女子とも絡まず、やんわりと学生生活を送っていましたが、
週末になると、劇団の女子高生のみんなと、キャッキャキャッキャ言いながら楽しく過ごしていました。
もう、これなんていうラノベ?ってぐらい、みんな可愛くて、個性的で、素晴らしいメンバーでした。
いや、まったくモテませんでしたけど。

あのときのみんな元気にしてますか?
すっかりご無沙汰してしまっていますけど、またみんなに会いたいな。

楽しく過ごすのはいいものの、大問題は誰も演劇公演の経験がないということです。

「ゼロからのスタートだ!」って言って、ほんとにゼロなこと案外レア説。

つづく

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