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「スカーレット」のメッセージ~何があなたの心に灯を灯すか~


 連続テレビ小説「スカーレット」が先週、最終回を迎えました。
 この記事に書いているようないきさつで「スカーレット」をミドルネームとしていることもあって、結構熱心に見ておりました。

  道中、八さんとキミコちゃんの掛け合いに萌え!っとさせられたかと思ったら、キミコちゃんが夢を追い出した時の八さんの頑なさ・「僕にとってキミコは、女や」の台詞に言いようのない肚の中のくすぶりを感じたり、タケシがめんこくてしょうがなくなったりしました。

 それぞれ、この時代を生きる「女の子」の意識、「成人した女性」の意識、「母」の意識…に、グッとアクセスさせられるような、淡々としているのに奥行きのあるドラマで、心から感情移入させられて、観ておりました。

 さて、この朝ドラ「スカーレット」の何よりのメッセージ――淡々としている中にも連綿と貫かれていたもの――それは、心の中のフレア・炎を追いかけること、だと感じました。

 心の炎、それは言い換えると、トキメキ。あなたの心に灯を灯す、つまりときめかせるものは、何ですか?それを追いかけてこそ、わたしたちはこの生を全うできるのではないか?そう、この作品は訴えかけているように感じます。

 ――例え大好きな人に止められたとしても、大好きな人を失ったとしても、あなたはそれすらも熱量に変えて、トキメキを追いかけていられますか?

 私は発達障害とその二次障害による心のトンネルに、永いこと居た。10代の後半から30代の前半まで、いつでもその暗闇はやってきて、わたしを捕らえた。

 30を過ぎて、わたしにもたらされたのが、「インド映画」という蜘蛛の糸でした。わたしは、必死に、それを手繰った。時折、過去のあるもやに光が当たって、その部分のもやが雲散霧消して、少しずつ、少しずつ、バームクーヘンを外側から剥がしてゆくように、恐る恐る、でも確実に、わたしの心は軽くなっていった。

 わたしにとってインド映画はトキメキであり、フレアであり、その窯から取り出す陶器の模様は未だに神秘に満ちている。わたしはこの炎を、この生が許す限り、追いかけていたい。そこに、何が待っているのだろう。

  インド映画という炎は、ヒンディー語学習という形で、元々わたしの中で常に揺らめいてきた「外国語学習の探求」と合わさって、新たな色を織りなしている。

 そしてそれはわたしの仕事だ。新しい言葉を身につけるプロセスで、自分の世界を見るフレームが変わる体験を、多くの人にして欲しい。数多の言語を発音する可能性に満ちた、世にも柔軟な楽器である人間の唇と口蓋付近の可能性を、オーケストラのように奏でて模索したい。ロックバンドでもいい。

 トキメキや心に灯る炎というのは、えてして一人の人間が持つ女性性の部分だと思う。女性でも男性でも、女性性と男性性の側面を持っていて、それらは「感性」と「理性」と言い換えてもいいかもしれない。

 感性を追いかけるために、理性を駆使する。追いかける前に、感性を保つ。メインストリームの潮流が理性優位な中で、意識的に自分の中の感性に耳を傾けることが、意外とこれからのサバイバル術なのかもしれない。ですね。

 いざトキメキを、追いかけましょう

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*美貌のAishwarya さま。映画「Devdas」より。あまりにも美しい画像なので、もう一回貼っておく…♡ 画像は wallpapersden.com より。

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