人の成長に携わることの尊さ

先々週末に2ヵ月間の新人研修を終え、先週頭におよそ30名が各職場へ配属となった。社会人2年目の2006年から数えること14回目の新人教育がひと段落ついた。研修を終えて一週間が経ち、若干の新人ロスを感じている中、初投稿となるnoteへ振り返りを書いてみる。

結論としては、限られたリソースの中でこれまで自分が経験し血肉にしてきたものを出し切ることができ、人材育成という"人の成長に携わる"ことの尊さを心らから感じることができた2ヵ月であった。
また、より良いものをデリバリーできるよう自分を磨き続けようと改めて感じることができた。

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自社の新人研修プログラムは入社式後に親会社での3週間研修を経て、各社研修を行うのが通例である。昨年はメイン担当ではなかったが、今年はほぼ一人で設計・開発・実施まで行った。今回設計段階で特に意識したのは「解放の窓を広げること」である。

◆解放の窓を広げること

解放の窓とは、「ジョハリの窓」でいう"自分も知っているし他人も知っている"左上の窓のことである。

ジョハリの窓(ジョハリのまど、英語: Johari window)とは自分をどのように公開ないし隠蔽するかという、コミュニケーションにおける自己の公開とコミュニケーションの円滑な進め方を考えるために提案された考え方。

解放の窓は「自己開示」と「他者からのフィードバック」によって広げることができる。ここまではセオリーであるが、私が気を付けているのは「自己開示」と「自己呈示」を区別することである。

自分のイメージをマネジメントする印象操作の中でも、自分自身をより良く見せようとすることを、心理学では自己呈示(セルフ・プレゼンテーション)と言います。

自己開示は「"自分が認知する自分"についてアウトプットすること」であるが、自己呈示は「"自分が見られたい自分"をアウトプットすること」と理解している。自己開示には「自分がどう見られたいか」ではなく、外面的に「自分がどう見られているか」についても知ることが必要となる。その手掛かりとなるが「他者からのフィードバック」である。いわゆる、客観的に自身を内観する、つまりは、メタ認知ができると「解放の窓」は広がる。
と、わかってはいても、これがなかなか難しいんだよなと毎度思う。

「解放の窓を広げること」をテーマに置いた背景は2つある。一つは新入社員自身の自己理解を深めることで、自分で自分を成長させらるようになってもらいたいという想いから。もう一つは新入社員が自己開示できるようになることによって、職場の方が新人に興味関心を持てるきっかけを見出すことができ、人への関心を高め、結果的に組織開発に活きると考えたからだ。

◆解放の窓を広げるために

解放の窓を広げるために「自分に関する知識を広げること」と「他者からのフィードバックをもらいにいくスタンス」をどう醸成していくかを考えた。

プログラムとしては、前年からの継続で研修ベンダーに委託しているプログラムがあり、その中で自分が矢面に立つ場面、自分の基準ではなく相手の基準で考える場面、グループメンバーの意見を活かす場面、フィードバックを受ける場面があるため、それぞれの重要性そのものについては理解している様子であった。が、しかし、人間わかっていても"できる"かどうかは別である。また、学習しなければならない内容については昨年と今年で大きく変わらないため、プログラム設計として「インプットしたものをまとめる」「自分が感じたことをアウトプットする」「互いにフィードバックしあう」という機会をとにかく増やすことにした。大事にしたかったのは「自己開示する勇気」と「他者からのフィードバックを受け取る勇気」を育めるよう機会を設計し、リフレクションを促したことであった。勇気を育むためには「場」に立ち、周りからの厳しくも熱い目にさらされ、一つひとつ腹落ちしていくことが遠回りでありながら最短の道だと考えていた。この2つはいずれも自分自身、苦手意識があり、自分自身が常にどうしたらいいか苦悩し、自戒を込めて意識をし続けていることであるため、彼らに伝えたいという想いが強かった。

また、プログラム全体として昨年から大きく変えたのは「私のトリセツを作る」というプログラムを用意し、新人自ら職場の先輩らに自己開示する情報そのものを整理させたことである。その一つに「私にハッシュタグを付ける」という項目を入れた。これについては岡島悦子さんの『抜擢される人の人脈力』の中に「自分にどんなタグをつけるか」というワードからインスパイアを受けて取り入れたものである。研修の中では深堀りできなかったが、「自分にどういうタグをつけるか、つけたいか」を内省すること自体に意味があると考えたため、活かし方も含めて改めて考えていきたい。

◆研修最終日のクライマックス

とまぁ、色々なプログラムを経て研修最終日である5月24日。例年行っているプログラムである、職場の上司・OJT担当者を呼んでの「決意表明」
例年、「研修で学んだこと」や「今後意識したいこと」について3分~5分程度発表するプログラムである。今年はここまでのプログラムにおいて自己開示する機会が昨年よりも多かったため、どのような内容になるかは未知数であった。

私は司会進行を勤めつつ、30数名の発表を傍で聴いていた。「研修の中で教わったことが心に残っています」という新人のコメントを聴いて、狙い通りでありながら、刺さり具合を目の当たりにして2人目から目に涙が滲み、全員の発表が終わるまで、ほぼ涙を浮かべ続けていた。

最後の最後のコメントにおいても感極まり、言葉を失いつつボロ泣きしてしまった。あのときはなぜ涙が流れたのかは自分でも良くわからなかったが、費やした時間の長さと、彼らの変化の大きさを目の当たりにしたことが大きかった。研修期間中は18時にその日の研修を終えて、それから翌日の研修について微修正を加え、ギリギリまで準備をするという綱渡りを3週間してきた。反省点はたくさんあるが、「人って変われるんだよな」「人の可能性って本当に無限大なんだよな」「本人の想定以上に変化を引き出すって尊いよな」「本気で彼らに向き合って良かった」と2ヵ月間がフラッシュバックされ、感極まってしまった。

結果、私が最後の締めで出てきた言葉は、
「では、最後に、本当に一言しか喋る時間はありませんが少しだけ。今日の皆さんの発表を見ていて、生きていて良かった。頑張って良かった。ここまで走り抜いて良かった。そう思えました。最初にみなさんに出会ったのは内定フォローであり、研修がスタートしたのは4/1であり、その時から"想定外の自分"に変わるお手伝いをさせていただくというスタンスでしたが、その予想を、期待をこえた様子を目の当たりにして、感極まってしまいました。
誰も手を抜かずに向き合ったことを肌で感じ取ることができました。本当にお疲れ様でした。」と全く中身がない感想をただ垂れ流し、涙していた。

◆人の成長に携わる

この2ヵ月間を振り返って、人の成長を目の当たりにするという瞬間はこの仕事の醍醐味だし、人事冥利に尽きるし、責任の伴う仕事であるなと感じた。鳥肌立ちまくりだったし、いい仕事をしたなと思えた。人材育成という仕事は感謝されることも少なく、変化も見えにくいことが多いため、長い期間携わる新人研修は他のプログラムよりも思い入れが強くなる。しかも、「新卒研修」は一生に一度であり、新人である彼らにとって育成担当者を選ぶことはできないわけで、最初のスタートダッシュによって成長の角度とスピードに大きく影響する。だからこそ責任重大であるし、手を抜いては相手に失礼な仕事だと思う。
自分以外の誰かのためにこれだけ時間と想いを費し、心に刻まれる仕事経験は人生の間にそう何度も訪れるものではない。大変だったからこそ、報われた瞬間に立ちあえたのは生きていて良かったと思える瞬間であった。

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ここまで振り返ったものの、人材育成という仕事に終わりはない。"人"を通じて"事"業に貢献することが人事の役割だと考えているが、まだまだ事業への貢献という点においては浅い。今後の彼らの成長度合いであり、パフォーマンスが自身の評価だと思う。
流した涙は自分の感受性の証として糧にしたいし、自己満足に陥らぬよう自己研鑽に励みたい。過ぎた過去を振り返ること、今を生きること、未来を描くことの3つを意識しながら自分の足で歩みつつ、自分でいい仕事をしたと誇りに思える経験を増やすことができるように。


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