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立川キウイの会 2024 8月度(2024.08.24)

上野広小路亭で、今年は偶数月に開催されている独演会。
普段は客として入っているのだけれど、今回はお願いをして撮らせていただいた。

粗忽の使者 キウイ
狸鯉 のの一
死神 キウイ
<中入り>
岸柳島 笑王丸
野ざらし キウイ

前座二人入っての会なのだけれど、間に挟んでそれぞれ一席ずつ、時間もたっぷり与えて好きにやらせている。

入れ代わり立ち代わり色々な人が出て来て、毒にも薬にもならない事をパァパァ喋って、笑ったり笑わなかったり。
呑気にのんびり暇つぶし。
そんな寄席の空気を、前座二人と真打一人で醸し出す。

二人入っている前座の片方は一階で受付。
もう一人は楽屋仕事と太鼓/音出し。

開演が迫り、二番太鼓。
締太鼓はのの一、大太鼓はキウイ。

「アニさんはDNAが前座なんですよ」

川柳つくし

そんな軽口を思い出す。

開口一番が真打、そのあとに前座。
主宰の真打の出番の間にはさまって、中トリとトリで聴かせる構成。
前述の通り、客席が温まった所に上がれて、たっぷり時間が貰えて、何を演っても良い。


これは初期から変わらないところで、入っていた前座の中には真打が視野に入った二つ目も、気鋭の真打もいる。
中長期的にこの会に足を運んでいると、噺家が噺家として育って行く過程も追う事が出来る。

噺家のマクラの定番として「学校寄席」にまつわるあれこれ。
こう言う所にも、芸人としての了見が出て来るのが面白い。
続く人、育つ人。 蛇は寸にしてその気を現す。

学校寄席でウケたと言う、のの一の一発芸「マララさん」

狸の噺は「札」か「賽」が多く、「鯉」は掛けにくい。
自分の空気にする時間があれば、実験と言うか冒険と言うか、普段はやりにくい噺でも高座に掛けやすい。

俎の上の鯉

「岸柳島」の、高慢で短気で嫌味な若侍。
前半での憎まれ口が終盤の間抜けっぷりに効いてくる。
若侍に焦点を当てた演じ方、時分の花。

芸人としてしか生きられないような、遠目に見れば面白く、近くにいると迷惑な人々の逸話を徒然に。
先輩、同輩、後輩、そして師匠のエピソードで聴かせるマクラ。
人となりを知らなくても面白いが、知っていればより面白い。
普遍的でありつつ、奥も深い。

そこから「野ざらし」。
三代目柳好の「隅田(すだ) 多聞寺の」も捨てがたいが、師匠の「金竜山浅草寺から打ち出だす」で演っていると言う暮れ六つの鐘。

ここでこうなって、こんな見せ場になって、わちゃわちゃ演って
と頭の中で追いかけながら撮っていると、テンポが合う。
釣り込まれるように、・・・いやならないように抑えて抑えて、要所でシャッターを切る。

「骨ァ釣れるか骨ァ」
「スチャラカチャン」
「掻きまわすってナァこうやって」

カタカナの芸名の所為なのか、「前座16年」の先入観からか、芸に関して軽く見られがちではあるのだけれど、押さえるべきところは押さえているし、何より「目の前の客を楽しませる力」についてはしっかりしている。

「サァ、来い。」
「あの人ァ針取っちゃったよ。」

「野ざらしでございます」

で終演。

「幇間のくだりは演らない」と言う美学もある。

フラリと行けば入れて、六つかしい事を考えずに、ヘラヘラ笑って時を過ごして帰れる。

お客さんも、「楽しむため」に来ている。
私はこんな形で付き合える、肩の凝らない寄席演芸が好きだ。

(2024.09.07 記)

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