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パリ写真界の諸事情

ギャラリー・ニエプス主催のパリ写真界の諸事情を聞くトークショーへ。
今回は参加希望者が多かったため、貸し会議室を借りての開催。

登壇者は、六本木の禅フォトギャラリーで開かれた「The Tokyo Photobook review」の選者・評者。
「The Tokyo Photobook review」は、ポートフォリオ(カタログ、作品一覧)ではなく、「写真集として纏められたもの」、「纏める工程にあるもの」、「纏める予定の作品と計画の概要」をフランスの書店・出版社、批評家、コレクター、キュレーターの評価に委ねる催し。
ポートフォリオレビューが収められた写真一点々々を個々の作品として批評するものであるのに対し、フォトブックレビューは写真集一冊を作品として批評するもの。

〈登壇者プロフィール(※主催者フェイスブックより)〉

☆クレモン&伸江カーター
ノブエとクレモン•カーターは、2008年にパリに拠点を置くフォトブックストアであるLe Plac’Art Photoを設立しました。
日本の写真を専門とするLe Plac’Art Photoは、60年代と70年代の日本のフォトブックと現代のフォトブックを専門に扱っています。また、パリヴィンテージフォトブックフェアの主催者でもあります。
現代の出版物に関心のある大規模な顧客ベースで、Le Plac’Artは新しいフォトブックの発売を特集する写真展を開催しています。
ClémentとNobueは、小規模で独立した出版社や、アーティスト自身による手作りのフォトブックに強い関心を持っています。

☆フレデリック•デストロバッツ
パリに本拠を置くフレデリック・デストリバットは、写真と芸術に焦点を当てたコレクター、出版社、翻訳者です。 2014年、彼女はL'éditeurdu dimancheを開始しました。
これは、有名な写真家との詳細な会話の本コレクションであるPhotographers 'Referencesの編集プラットフォームです。
L’éditeurdu dimancheは、著名なアーティストや新興アーティストのアーティストの本の形で編集プロジェクトもサポートしています。

☆マーク・フーステル
Marc Feustelは、パリに拠点を置く独立したキュレーター、ライター、エディターです。日本の写真のスペシャリストである彼は、いくつかの展覧会をキュレートし、定期的に美術および写真出版社の編集者として活動しています。また、ヨーロッパ、日本、米国の雑誌の写真と写真集についても書いています。

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カーター夫妻の営む Le Plac’Art Photo で中藤毅彦の写真集を制作したのが縁での開催。

中藤の用意した質問を登壇者それぞれが答え、伸江カーターが纏めて訳して伝える流れ。
なので、誰がどう答えたかではなく、登壇者総体からの回答のような感じになる。
「こうであった」と纏められるものでもなく、雑感として大掴みに。


質問:「海外で展開しようとすると「コンセプト」と「ステートメント」を求められることが多いが、どう思うか」

コンセプトは不要、忘れていい。 しかし、どんな写真であるかを説明する「ステートメント」は必要。
ステートメントは、その写真が(その写真で)何を言いたいのかのはじめの一歩。
異なる文化圏へ提示する場合、写真を写真だけで語ることは難しい。
言葉での説明と写真での説明はイコール、両方出来たほうが良い。
ステートメントは、撮り続けることで現れてくる。 写真があるから、ステートメントがある。ステートメントで写真が変わることはない。
小説を書くような長いもので無くても良い、1番大切なのは写真。

借り物の言葉ではなく、自分の言葉で。
説明する言葉は、その写真にふさわしいものであれば詩的なものでも解説でも構わない。

質問:「日本の写真集はどこが良いのか」

日本は印刷物の文化なので、優れた写真集が出来た。 60年代70年代の、特に私家版の写真集は自由さが溢れており、今見ても面白い発見がある。
その延長に今の写真集を見ると、どうも同じ型に嵌ってしまっていて、かつての自由さが失われてしまっているように感じられている。
当時とは精神性なども異なるので、同じものは求めないが、クォリティより自由さが欲しい。
(※頻繁に「自由」が出て来る。)

70年代で一旦切れてしまうのは、1974年にMOMAで開催された「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィ」展の影響。 そこで優れた写真集が作られてきた歴史が途切れてしまう。
これによって日本の写真家が世界に紹介された「功」の面はあったが、写真集としてではなく写真での展示に限られており、写真集と言う作品形態が葬られてしまった「罪」の部分も有った。
「本は必要ないよね」と言う風潮で、写真集文化が殺された。

逆に、ヨーロッパやアメリカではこの15年で写真史の中に、カタログではなく作品として写真集が、「一枚の写真」だけでなく「一冊の本」が写真の歴史に組み込まれて行った。


質問:「フランスに於ける写真の作品としての売買はどうなされているか、また日本ではどうすべきか」

作品としての写真の流通が確立されていないのは歴史が浅いからでしかたのないことであり、またヨーローッパのようになる必要もない。

※中藤の補足
日本における作品としての写真の売買は、ワークショップやインディペンデントギャラリーの勃興でオリジナルプリントの価値が発見されてから此処10年位のもの。
30年前は「オリジナルプリント」と言う文化は無かった。
写真集の原稿と言う扱いで、印刷が終わると捨てられてすらいた。

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写真集を作るにあたっての助言など

写真集に必要なのは「自由さ」「囚われないこと」。
伝統に囚われず、自分自身のものを出して欲しい。
よく出来ていても、後ろにいる「先生」が見えてしまうものが多い。

作られた道を外れた人は面白い。
違うことは面白いこと。 自分の道になる。
いろんなことをやってみれば、いくらでも変化を持たせることは出来る。
歴史に囚われず、今の自分を解放し、自分の感性を大切にしてスタイルを確立し、自分の道を見つける。

海外で売り込むには、本を作るのは効果的。
本がパスポートとなり、本人が出向かなくても、回覧されることで見てもらえる機会が増える。

フランスにいるフランス人でも、フランスでのキュレーションに辿り着くのは難しい。
(況してや、日本に於いてをや。)
海外に行かれない人は、さまざまなプラットフォームを使えば良い。

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以下雑感

商業出版物としての写真集は、撮影者、編集者、デザイナーなど分業が進んでいるが、今回のトークショーで語られたのは、主に撮影者自身が携わった私家版の写真集について。

フレデリック•デストロバッツの写真集編集にあたっての持論。

・写真集を作るにあたっては、「時間」がとても大切。 長い時間を掛けてじっくり作る。
・3年、4年掛かるものもある。
・長いスパンを受け入れてくれる人としか付き合えない。

以前も聞いたことがあるが、日本とフランスでは時間の流れの速さが異なるので、性急に答えを求めないほうが良いようだ。

作品としての写真の流通については、国内のワークショップやトークショーでも話題にのぼることが多いが、これまでに聞いた中では「二次流通、三次流通の市場が出来ないと難しいのではないか。」というのが頭に残っている。
写真展で購入した写真は、飾られるか死蔵されるかの二択で、手放されて誰かのところへ行って再び愛されるような機会・仕組みが今のところ無い。

「日本は印刷物の文化」との見方、印刷物としての浮世絵を受容して換骨奪胎した国からの観点として面白い。
作品としての写真の流通は確立されていないが、写真集に関しては大型書店には専門の棚があり、写真集専門の古書店も業種として成立している。

私家版の写真集を募る出版社主催のコンテストもあり、アンデパンダン展としての側面から応募作全数展示の「写真集展」も開催されているが、コンテストとしては視野も嗜好も狭いもので、芳醇な実りの中から陳腐な既製品のコピーのようなものだけが受賞作として持ち上げられる薄気味の悪さはあり、評価を求めるなら海外という傾向も理解できる。

中藤の「(写真は)写真集の原稿と言う扱いで、印刷が終わると捨てられてすらいた。」と言う話から、別のこと(嫌な思い出)が記憶の底から。
かつて写真部時代、文化祭などの作品出品はパネルへの水貼りが原則で、制作が矢鱈滅鱈難しい割に作品としての耐久性は皆無で、あっと言うに褪色変色してしまい、破損もしやすい。
パネルを再利用するため、展示が終わると写真は剥がしてしまうことすら有った。。
あれも写真ではなく、押し付けた精神論的な何かの展示であり、その息苦しさに私は堪えられなかったのだと思う。(私の代から額装に変更した。)

私の場合、世に問うとかそう言う「向上心、の・ようなもの」は母の胎内に置き忘れて出て来てしまっているので、私が私のために私が撮っているだけで、このトークショーを聞いて何かを始めたりとかそういう事もないのだけれど、何かをしようとしている・する気がある人には、示唆の多いトークショーだった。

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(2020.01.05 記)

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