貧乏と自炊について

「本当に貧しくなると、自炊ができなくなる」
これは本当だろうか。
肯定する人否定する人、どちらも言っていることが絵空事。
貧乏をしたことのない連中の「想像上の貧乏」でのマウントの取り合いと言うのも、実に頭にくるものではある。

住むところまで無いとなると、コンビニ飯でも仕方がないと思うし、自炊には知識も経験もある程度は必要になる。 考える力も。
貧すれば鈍するで、金がないと考える力さえ無くなっていくのは確かだ。
しかし、住むところさえ確保できれば、ホットプレートでも、カセットコンロとフライパンでも自炊は出来る。

「買い物や調理の時間だけで2時間近くはかかるので、最低賃金よりも安いお弁当を買った方がずっとマシ」これは嘘。
買い物にも調理にも、そんなに時間はかからない。
東洋館の並びのパクパクランチみたいな安い弁当屋でも、一食250円から掛かるので、本当に金がないと一食あたり100円以下にせざるを得ない。
選択肢として自炊しか無い。

「本当に現金に困っている人はカップ麺は食費が高くつくので、自分でご飯を炊いてスーパーの見切り品で調理する。」これはもちろん嘘。
カップ麺は高く付くが、炊飯する方が高く付く。まず、キロ単位で米を買わねばならないし、一と袋あたりの量が減るごとに単価も上がる。
炊飯器も買うとそこそこ高い。 鍋でも炊けるが知識と経験が必要。 手間も時間も掛かる、
そもそも主食としてキロ単価で考えた場合、米は割高なのである。

米より麦のほうが安い。
私は学生時代の一時期、すいとんにしたり、具のないお好み焼き的な何かにしたり、小麦粉をこねたものを主食にしていた。
(なにもかも面倒になって小麦粉に熱湯を注いで「そばがき」的なものを作ったことがあるが、あれだけは失敗だった。)

しかし、業務用スーパーでぐるぐる歩きながら観察し、考えてわかったのは 小麦粉より、小麦加工品の方が安いということだった。
スパゲティやマカロニなら、キロ単価が1500円を切るし、手間もかからない。
スパゲティは茹で時間が掛かるが、マカロニなら短くて済む。
鯖缶+パスタソース+マカロニなら一食100円を切れる

もっとも、それすら贅沢であるという状況に陥ったときは、一食あたり6枚切り食パン二枚、めんつゆを薄めたものをスープ代わりなんてこともあった。
貧乏が煮凝りになったような生活になると、考えないことが詰むことに直結する。 これは経験しないとわからないかも知れない。

マウントの取り合いの発端になった是枝監督の映画に於ける食事の描写は間違っていない。
貧乏でも惰性で生きられる状態なら、「カップ麺にちょっと贅沢してコロッケ」と言うのは妥当。
森茉莉のような「贅沢貧乏」が出来るのも贅沢を知っていればこそであり、カップ麺コンビニ飯が習慣化していてそれ以外知らないとなると、その中での工夫になる。
カップ麺に足す何かが、加工食品でしかも「揚げ物」と言うのが良い。
貧乏をすると、体ではなく、本能がカロリーを求める。

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