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山崎真実+舞山秀一写真展 Narcissus

雨の降る日はバスで、晴れた日は自転車で tokyoarts gallery へ。
今のところ2回見に行っていてるが、会期中あと何度か足を運びたい。

舞山は山崎真実に制動を掛けず自由に振る舞わせ、山崎も舞山秀一に自由に切り取らせている。
これで破綻せず写真になる阿吽の呼吸。
勿論指示を出したりはしていると思うが、「やらされてる感」は無い。
衣装やメイクなどの裏方も含め、良いチームで動けているのだと思う。


手前、中央、奥。 
窓枠や階段の影、窓から入る光の描く線、地平線の高さとバランス。
周囲や背景にある物の縦横の線を生かして行く。
そしてそこに「あるべきもの」として山崎真実が居る。

首切りになりそうでならない横の線。
パッと撮っているようで構図が厳しい。

太陽は絶えず動き、影は逃げる。
考えておいたことに囚われ過ぎず、組み直し・仕切り直しの判断も早い。


撮影場所や衣装などで流れは出しつつ、配置に明確な区切りは無く、徐々に移ろって行くので、順番などは気にせず見られる

大きさで配置を分けたり、小品だけ集めたりせず、一段か二段で見やすい高さに配置。
右奥の壁だけ密集させているが、12枚の展示にライト8個を使用。
照明の当て方まで厳密に計算されている

反射や映り込みの少ない保護カバーを使って額装しているのだと思うが、高い位置での見上げでも眩しくないし、実に見やすい。
離れて見ても寄って見ても良い。
大きいものは大きいもので勿論良いが、小品でも小さく感じさせない。

これは購入して暮らしの一部になっても、その中に溶け込んでくれることを意味する。


額装まで含めての作品。
木製の額のフチには拘り、出来るだけ細くしたが、この8mmで限界だったとのこと。アクセントは付けつつ、邪魔にならない。
より良いものにしようと奔走するギャラリーとの関係性も、プラスに働いている。

行きつ戻りつ、唸りながらじっくりと。
迷惑にならぬ頃合いでおいとましているが、何時間でも見ていられる。
眼福。

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(2021.04.19 記)

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