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ほさかまき 世界一周写真展 LOTS

富久町から、坂を上ってギャラリーニエプスへ。
ほさかまき 世界一周写真展 LOTS を観覧。

10年間勤めた会社を辞めて、世界一周の旅に出発した。
一歩踏み出して見えたものは
たくさんの国、人々、建築、自然、生活、
価値観、優しさ、笑顔、そして幸せ――。

 旅中に感じた幸せの瞬間を集めました。
見てくださったあなたにも、幸せが届きますように。

ハイキーで鮮やか、飽くまでも明るく、美しいと思った光景を記憶に忠実に、光と影の「光」の部分だけを抽出した写真。
色彩感覚、撮影技術、構図を切るセンス、写真を撮って人に見せる資質は備えており、良く撮れていて破綻もない。
写真によってプリントする紙を変えるなど、工夫も凝らされていた。

私の在廊中は常に盛況。
前向きに生きている人の写真には、前向きに生きている人が吸い寄せられてくる。 
撮った人と写っている場所や物には関心があるが、写真そのものについて質問する人・語る人は、少なくとも私の在廊中は居なかった。
見に来ている人の会話は、写真そのものより何処で撮ったか、有給消化率はどれくらいか、次は何処へ行くのか。
旅に出たくなる写真ではあるようだ。

そして

「どこで習ってるんですか?」

訊ねた側の認識としては、「お稽古事」としての写真。
仕事を辞めて世界を経巡って撮り溜めた写真を、人前に出して恥ずかしくない質でプリントして、写真展として広く見せる。
ほさかまきの写真は、「お稽古事」の域から大きくはみ出している。
この、良い意味での「異常さ」が、普通の人々には理解も認識も出来ていないようだった。

“Fair is foul, and foul is fair.”

旅をすれば、その土地土地の光と影を目にする。 影の部分にも光はあり、光りに満ちているようでも影はあったり。
ツアーではなく、自分で予定を組んで腰を据えて撮れば、暮らしていなくてもそれなりに「幸せではない瞬間」も目には入ってくる。

殆どが昼間の、光に溢れた光景、天気はいつも晴れ、時間はいつも昼。(時々、早朝と夕暮れ。)
映える景色と絵になる人々。 「イイ顔のオヤジ」などは、まかり間違っても写さないと言う硬い意志。
幸せそうで幸せなもの、綺麗で綺麗なものだけを掬い取った写真。


「甘いだけのラブソングがあったって良いじゃないか」


かつて高野寛が雑誌のインタビューでこんな事を語っていた。
「幸せの瞬間」だけを切り取っているという事は、観光地の上っ面を舐めたのではなく、裏も表も見てきた上での「敢えての選択」である。
ほさかまきも、確固たる意志を以って幸せの瞬間「だけ」を集めている。

「つまり彼は真白だと稱する壁の上に汚い様々な汚點を見るよりも、投捨てられた襤褸の片に美しい縫取りの殘りを發見して喜ぶのだ。 正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠の糞が落ちて居ると同じく、惡徳の谷底には美しい人情の花と香しい涙の果實が却て澤山に摘み集められる……。」
永井荷風「新橋夜話(見果てぬ夢)」より

しかし、私はこちら側の人間なので、明るさの裏にある闇を、執拗に避けられた悪徳を想像してしまう。
軽いようで重い写真展だった。

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(2020.03.22 記)

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