【連載小説】パラダイスシフト_5

 あんたは人が死ぬ瞬間を見たことがあるか?
 おれはない。そんなものは見たくもないし、死ぬのが自分の知っている人間であればなおさらだ。まともな神経をしていれば、考えたくもない。
 そうだろ?

 だからおれは立ち並んだモニターに釘付けになって、見知った背中が人込みにまみれて自動改札の方へ向かっていくのを食い入るように見つめていた。ほんの少し口をつけただけのはずのバーボンの酔いが、ノーガードで食らったボディブローのようにじわじわと効いてくる。心臓の鼓動が早くなっているのが自分でもわかる。
 3分後ごとの未来を指すという、縦に並んだ無音のモニターには、改札を抜けてから、どうにかプラットフォームのベンチに沈み込むまでの磯貝の姿が映っている。その先は完全な闇だ。15分後のモニターにはやはり何も映らない。

────あいつは十五分後に死ぬのか?

 工藤は質問には答えず、険しい表情でモニターを見つめていた。それだけでこの先の展開には察しがつくはずだ、とでも言うかのように。
 磯貝は改札に飲み込まれ、すれ違いに人にぶつかり謝りながら、壁に手をつきながらふらふらと歩いていく。カメラの位置からして、防犯カメラの映像に似ていた。いや、少なくとも「現在」を表すA1のモニターに映っているのは防犯カメラの映像なのかもしれない。
 なんだ。なんなんだ、これは。
 磯貝はあと十五分たらずで死ぬのか?  
 本当に?
 馬鹿らしい。と、思う一方で、本当だったら? という囁きが耳にまとわりつく。
 磯貝の映るモニター列とは隣の、また別の時間と空間とやらを映しているらしいモニターの映像も、なんとなくだが、目の粗いコマ撮り動画のように数分のラグをはさんで繋がっているように思える。映像技術についてはまったくの門外漢だが、これが単なる加工なのだとしたら、相当な技術に違いない。じゅうぶん金を取れるレベルだろう。
 おれはまだ半信半疑だった。
 未来を映すモニターだと? そんなものがあってたまるか。
 と、心の底からそう思っていた。
 だから磯貝の十二分後のモニターが突然ブラックアウトした瞬間、足がすくみそうになるほど動揺している自分自身に、驚かざるをえなかった。
 十五分後のモニターは闇に塗りつぶされている。そして、その一つ手前の十二分後のモニターもたった今、表示が消えた。
 もしこれが本当だったら、磯貝の命は十五分から十二分にちょうど減ったことになる。もし、本当だったら────

「おい、工藤。本当なんだろうな? 冗談だったら」おれは工藤をにらんだ。
「冗談だったら?」
「おれは怒りのあまりお前を殴るかもしれない」
「本当だったら?」
「見殺しにはできない。当たり前だろ、何とかする」
 工藤は口を結んで、首を横に振った。物わかりの悪い生徒を前にした教師のような顔で、「ダメだよ、それじゃあ」
「何だと?」
「カジカジ、君は僕が本当だ、と言ったらそれを信じるのかい? あるいは逆に、僕が嘘だよ、とごまかしたら? すべての事象は事実として起こるだけだ。それにどんな解釈を与えるかは君の在り方にかかわってる」
 うるせえ、とおれは声を荒げた。「いいから、これが本当なのかどうかを教えろ!」
 工藤は剣幕に気圧されたのか、悲しそうな目でおれを見つめ返した。
「嘘はついてない。そのモニターに映るものは本物の未来だ。見ての通り、このままだと彼の12分後の未来は、真っ暗だ」
「どうすればいい」
「他人を意のままに操ることはできないんだよ、カジカジ。僕らにできるのは、あくまでも誘導することだけだ」
「んなことはわかってる」
 電話だ、とおれはすぐさまポケットからスマホを抜き取って磯貝の携帯に発信をかけた。だが、着信に出る気配はない。A1のモニターをにらむと、磯貝はのんきにプラットフォームを目指して歩いている。
 時間は刻一刻と迫っている。
 余裕はなかった。
 パラダイスの入ったビルから新宿駅までは、徒歩6分程度だ。走れば数分の短縮にはなる。覚悟を決めて踵を返した瞬間、工藤が大きな声で何かを言いかけたようだったが、そのときすでにおれは走りだしていた。 

 googleマップに表示された最短経路を頼りに、路地裏から大通りにでて、ゆるやかな夜の街の流れを縫って新宿駅に飛び込む。これほど真剣に走ったのはいつぶりだろうか。
 改札付近でたむろする人ごみにぶつかりそうになりながら、なんとか改札を突破し、磯貝がいたはずの中央・総武線の下りホームへ駆け下りた。
 脇腹に刺すような痛みを感じて、たまらず立ち止まる。
 急に走ったことに対して、身体が抗議の声をあげているかのよう。両ひざに手をつき、上がった息を整えながらおれはホームにすばやく目を走らせた。
 磯貝はいまだに電話に出ない。
 パラダイスを出たとき、少し先の未来で、磯貝はたしかに鞄を抱きかかえてホームのベンチに沈んでいたはずだ。記憶を頼りに、おれはホームを探る。
 残された時間は数分だ。
 次の電車の到着を示す構内アナウンスがいやに響いて聞こえる。心臓が暴れているのは、疲労だけではないはずだった。姿の見えない磯貝に、次第に焦りが募ってくる。
 ホームから出たのか? しかしあの酔いっぷりで、どこへ?
 と、いぶかしんでいたその時、おれは人が寄り付かないベンチを見つけた。見れば、地面には盛大に巻き散らかされた吐しゃ物。磯貝のものに違いない。
 まだ近くにいるはずだ、と顔をあげた視界の端に、よろよろと階段をのぼる見覚えのあるサラリーマン風の背中が見えた。
「磯貝! おい!」
 周囲から奇異の視線が集まるのも構わず、おれは必死に後を追う。
 上りの列を堂々と降りてくる大学生らしき集団にぶつかりかけ、舌打ちを放ちながら、階段を上り切ったおれは磯貝の背が男子トイレに消えていくのをようやく見つけた。
「待て、待てったら」
 と、磯貝に追いすがり、男子トイレに飛び込んだその時だった。
 一瞬のうちにして急にあたりが暗くなり、視界が奪われる。すぐ近くに感じた人の気配とぶつかり、混乱の中で互いに頭を下げる。ざわめき、戸惑う声。
 ─────停電だ。
 と冷静さを取り戻すころには、おれは暗闇にのまれた視界の中で、言葉もなく立ち尽くしていた。


(つづく)

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