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【アトツギの為のブログ】アトツギ物語少年期編

197X年夏、福岡県の田舎町に生まれた私は、自然豊かな環境の中、育ちました。

夏になるとカブトムシやクワガタ虫を獲りに行ったり、近くの小さな滝壺で裸になって泳いだり、沢ガニを捕まえて焼いて食べたり、川では雷魚を友達と捕まえたりしてました。

私の父はザ・九州男児という性格で、父が笑った顔を見たのは死ぬまでに数回しかありません。

また、私が悪さすると、母が殴られて怒られる為、私は悪いことができませんでした。家の中では、母親に暴力を振るう父は、私にとっては死ぬほど怖い存在でした。朝起きて父の機嫌を伺い、父の機嫌次第で私のその日のスケジュールが決まる感じでした。

しかし、父は銀行員→税理士→経営コンサルタント会社でサラリーマン→経営コンサルタント会社設立初代代表取締役に就任という経歴で、ものすごく頭が良く、クライントから夏冬に6畳の和室が天井までいっぱいになるぐらいのお歳暮とお中元が届くぐらい尊敬されていました。

そういう家庭環境、外部環境の中で、父の顔色を毎日うかがいながら育った私でしたが、小学校中学校では頭も良く優秀で、目立ちたがり屋で泣き虫な私でもありました。

小学校中学校共に、先生から生徒会長になれ!と言われるぐらい先生からは自分で言うのも何ですが、優秀な生徒として見られていたと思います。

そんなある日、母に連れられて福岡市天神の福岡の老舗のデパートに連れて行かれました。

デパートの屋上の階にペットショップが入ってて、そこでカブトムシやクワガタムシが売られてるのを見て、後ろから金属バットで思いっきり殴られたような思いでした。

なぜかって?

だって、クワガタムシやカブトムシは、その辺の林で捕まえるものであって、買うものではない!

都会の人は、カブトムシやクワガタムシをお金を出して買ってるのかー!!と、本当に衝撃を受けたのを覚えております。

多分、小3か4だったと思います。

家に帰って捕まえてきたカブトムシとクワガタムシを見ながらふと思いました。

ん?これデパートに持って行ったら買ってくれるのかなぁ?と。

そう思った私はその週の平日の夜、父にバレないように家を出て、カブトムシとクワガタムシを採取に行き、日曜日にカブトムシとクワガタムシを売っていたデパートに急いで行きました。

ペットショップの店員であろうおばちゃんに、カブトムシとクワガタムシを捕まえてきたから買ってぇ!と話ししてみると、

「ゴメンね、ここでは買ってあげられないから、買ってくれる所を教えてあげるから」と言われ、仕入先を教えてくれたのでした。

ホント、日本の良き古き時代とバブルに感謝です(笑)

次の日曜日に教えて貰った仕入先にカブトムシとクワガタムシを30匹ほど捕まえて持って行くと、

「坊主、こんなに捕まえられるとか?」
「うん!捕まえれるよ!」
「全部買ってやるけん、捕まえた分だけ全部もってこい!」

と、話がまとまり、翌週の日曜日から捕まえたカブトムシとクワガタムシを売りに行く夏の生活が始まるのでした。

冬はコタツの中で冬眠していましたが、夏になるとクワガタムシをカブトムシを捕まえては売り、捕まえては売るという私のライフスタイルが確立したのでした。

そのお陰で、少年期、青年期は友達よりも少し小金を持っていました。

良くも悪くも父に洗脳されていた私は、将来、経営者になるんだ!と漠然と思っていました。

周りもみんな、僕は父の会社を継いで社長になるんだと思ってましたし、ことある毎に僕にそう言ってきました。

そう考えると、小さい頃から商売というものを楽しむ素質や興味があったからカブトムシやクワガタムシを売ることを小学生で思いついたのかもしれません。

父が機嫌が良いときは、商売の楽しさや会社の経営はなんたるかを私に普段の会話の中で色々話をしました。

私は父が機嫌が良いと家庭円満になるので、わざと父の話しを興味があるように見せかけて色々聞き出していました。

その結果、いつの間にか、商売にも興味を持つようになり、色々と商売のヒントを気付くようになったのかもしれません。

時代はバブル景気向かってアゲアゲからのバブル景気真っ只中。将来は明るいことばかりだと思っている少年期でした。


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