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三密の正体 / FOR-GET:得る為に忘れる

(2020年4月20日に書いたものです)

もちろん今は、他の人々のためにも自分やその家族のためにも、 可能な限り外出自粛を徹底し、移動を控えるのは大前提の上で。

新型コロナウィルスが終息した後、謂れのない風評に晒されるのは誰か?
小さな無関心が集まって生まれる大きな流れの犠牲になるのは、何処か?
つまり、被害者なのに悪者扱いをされるのは、どんな人々や場所なのか?

風評のテーマとなる「三密」というキーワードを掲げ過ぎた世論が、本来は被害者である一部の仕事に従事する人々を、さらなる二次被害に陥れる可能性は、確実に我々の「心」に巣喰い始めているのかも知れません。

言うまでもないですが「密閉」「密集」「密接」は、本来「絶対悪」ではありません。しかし、既に多くの人々がこの3つの言葉に、継続的な嫌悪感や罪悪感を持ち始めてしまっているのも事実です。

これによって、将来、サステイナブルに被害を受けると予想されるのは、例えば「コンサート」や「スポーツ観戦」や「観光」などです。

しっかりとお伝えをしておきたいのは、今、この時点で「三密」を避けようとする動きを否定する意図はないということです。今は、耐える時!控える時!というのは重々承知の上で、この先の話を進めさせて下さい。

正直、コロナが終息した直後から急には「三密歓迎」というような雰囲気にはならないでしょうし、上記の通り、それを悪いことだとは思いません。でも、だからこそ、終息後も他の人々より長く「三密ビジネスの従事者」が困ることは目に見えています。

 “一部の人々” がカウンターを発信していかなければ “一部の人々” が生きる上で必要とする豊かさをずっと支えてきた「三密ビジネスの従事者」を守ることはできません。延いては、それは “一部の人々” 自身の心を滅ぼすことにも繋がり兼ねません。

多くの人々が 「三密」 をまだまだ不謹慎と捉える近い未来に、その従事者に寄り添い勇気ある発信者となる “一部の人々” たちは、今、何処にいるのでしょうか?

音楽界隈であれば、それはライヴハウスやクラブに行くことが生き甲斐の方々です。スポーツであれば、地元に根差し続けたプロチームの熱心なサポーターの方々です。クルーズ船で余暇を楽しみたい人々は、非常識なインフルエンサーではありません。映画を楽しむ家族、居酒屋で向き合うカップルや同僚、彼らに何の罪もありません。

既に、それらを心から愛する “一部の人々” は、声にならない悲鳴を上げ始めています。同時に、そんな “一部の人々” は、その想いを声高らかに発することを控えなければならない時期であることも、重々に理解しています。

一方で、その忖度によって、発信を控え過ぎることが大好きな場所を衰退させる「小さな無関心が集まって生まれる目には見えない大きな流れ」に加担してしまうことに繋がっているという辛い事実にも気付き始めています。

そして、何より “一部の人々” にとって、音楽ライヴ・スポーツ観戦・クルーズ船での旅は、衣食住と並ぶほど、必須の生きる糧なのです。

そんな “一部の人々” の一人が、私です。そんな私たちですが、大好きな場所と自分のために、微力かもしれませんが、まずは一歩を踏み出すことにしました。

本来、叩くべきは新型コロナウィルスであって「三密」は絶対悪ではありません。風評は悪意のない小さな無関心の集合によって成り、文化を滅ぼしかねません。

まずは、コロナが終息した未来において、三密を前提とする文化やビジネスを「三密は悪という風潮」から守るために「三密」は「三共」の源であるというメッセージを発信していきたいと考えました。

ひとつの場所に集う(Diversity & Inclusion:多様性を内包する)ためには「共存」意識と限られたスペースを「共有=シェア」する気持ちが必要です。「共感」はその中のコミュニケーションを活性化します。つまり「三共」は適切な「密閉・密集・密接」という条件の元に生まれ、そんな「三密三共」から「共創」が生まれます。

三密は三共を育む前提条件で
三共は三密を成立させる源泉


私たちは、定かではない未来ではなく
今すぐにCOVID-19 終息後の三密ビジネスを応援します。

#コロナが終息したら
#三密と三共
#密閉と共存
#密集と共有
#密接と共感

「三共」という感覚が広がれば、新型コロナウィルス問題が終息した後の世界は、きっと、これまで私たちの生活を豊かにし続けてくれた「三密ビジネス」と「それに従事する人々」に優しくなれると信じています。

私たちは「FORGET」という言葉が示すように、得るために忘れるべきなのかも知れません。そして、与えるために寛容でもあるべきではないでしょうか。あらゆることを許さない社会は、まさに「FORGIVE」の真逆に位置する何も与えることのない世界を生み出してしまいます。

現在(イマ)得るために
少しだけ過去を忘れませんか?
未来に、与えるために
まず、許すべきことを
一緒に探しませんか?





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