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考える女子高生 カント編④ AIは万有引力の夢をみるかpart1

ときに人はどうしようもなく、頭にこびりついて離れない問いに遭遇することがある。このnoteは、そんな問いに取り憑かれた少女の気難しい青春の物語になるはずである。

前回までのあらすじ
世界の始まりは?という問いから始まったカント哲学談義。カントは人間が世界を知覚するための条件として、「空間」と「時間」をあげ、それらを感性の形式と呼んだ。
人間は感性の形式に縛られて、世界を知覚するために「物自体」を認識することはできず、「現象」を知覚しているのだった。

「ニュートンってやっぱり天才なのかなあ」
と美月は仲の瀬橋を歩きながら呟いた。
「ニュートンってあの林檎が木から落ちるのを見て、万有引力の法則を見つけたって人?」
美月と真希は今日の物理の授業で万有引力の法則を習ったばかりだった。そこで、物理の宮本先生がその逸話を披露したのだ。
「うん。そう、その人」
「確かに、普通は林檎が木から落ちるのを見たってなんとも思わないからね。天才っていうか変人に見えるけどね。私には」
「そうだよね。普通はそんなこと考えないよね。でも私が考えているのとは少し違うの」
「違うって?」
真希は聞き返した。
「つまりね、百歩譲ってよ。『なんで林檎は落ちるの?』ってのは思いつかないでもない気がするんだ」
「いや、しないって」
真希は思わず突っ込んだ。
「まあ、百歩譲ってね。でもね、その林檎が落ちるのと、惑星の動きが同じ法則で説明できるって考えたことのほうが天才的だと思わない? だって全く別の動きをしてるんだよ。普通考えないでしょ」
と美月は太陽を見つめた。初夏に差し掛かった太陽を美月はしっかりとは捉えきれなかった。
「きっと、ロマンチストだったんじゃない?」
真希の一言に美月は思わず吹き出しそうになった。確かにニュートンはロマンチストだったのだろう。そう考えると、なんだかニュートンも1人の人間として親しみが持てるのだった。

カランコロン
美月はカフェ&バー「アイロニー」のドアを開けた。

「また君たちか、高校生ってのはそんなに暇な人種なのかい?」
「叔父さんに比べればだいぶ忙しいわよ。毎日この店で本読んでるだけなんだから」
確かに美月の叔父である陽平は、一日の殆どをこの店で本を読んで過ごす。昼に客が来ることは滅多にないのだ。
「これでも一応、仕事なんだよ。お客さんを待つのも仕事のうちでね」
「じゃあ、ほらお客さんなんだからアイス珈琲でもちょうだいよ」
美月はしてやったりの顔をしながらカウンターに腰を落とした。
陽平はため息混じりにアイス珈琲を2人分用意しようとした。

「あっオレンジジュースお願いします。珈琲は苦くて飲めないんだよね。」
と真希は言った。
「オッケー。みっちゃんはアイス珈琲で真希ちゃんがオレンジジュースね」
そう言って、陽平は飲み物を作り始めた。

2人はカバンをカウンターに置くと、中から教科書とノートを取り出した。「物理学入門」と書かれていた。2人はしばらくの間、角度30度の斜面を転がり落ちる質点について考えていた。

「ねえ、どうしてこんな問題とかなきゃいけないの? 私、生きてて今まで一回たりとも、坂から転がり落ちるボールがどれくらいの速さで転がるかなんて知りたいと思ったことなんてないし、きっとこれからもないと思うんだけど」
真希はため息をつきながら美月に訊いた。
「まあ、確かにどうでもいいことかもね。でもきっとどうでもいいってところがいいんじゃない。私好きなの、なにかの役に立ちそうもない、どうでもいいことが」
「やっぱり美月は変わってるわ」
と真希は言った。
「まあ、実際には君たちが使っているそのニュートン方程式は信じられないくらい役に立ってるんだけどね」
と陽平が口を挟んだ。
「ねえ、ところでオジサン。そういえば、この前の話の続きはどうなったの?」
「カントの『純粋理性批判』の話だね。まあ、勉強にも飽きてきたみたいだし、ここらで1つ珈琲ブレイクとしよう」

「さて、この前はカントが現象と物自体とを区別したというところまでいったよね」
「うん。私たちに見ることができるのは現象だけで、本当の物それ自体は消して見ることができないって話でしょ」
「そう、みっちゃの言うとおりだ。でも、実は感性の働きだけでは、世界を認識する方法の半分しか来てないんだ。僕たちは確かに感性の働きによって、この赤くて丸いものを頭の中でイメージすることができる。でもどのようにしてそれが林檎だってことを判断するのだろう?
陽平は一口サイズにした林檎を美月たちに差し出した。

「うーん。どうして私たちがそれを林檎だって判断するかって言われてもねえ。だってどう見ても林檎でしょこれは?」
そう言いながら真希は林檎を食べた。やはりそれは林檎の味がした。
「それは、私たちがその赤くて丸いものを林檎と呼ぶって知っているからじゃない。何百回もその赤くて丸い果物を林檎と呼ばれるのを聞いたり、見たりしてきたでしょ? だからそれを林檎と判断するんじゃない?」

「そう。君たちは林檎という概念を予め知っている。過去の多数の経験によってね。そして今、君たちが心のうちに思い描いた赤くて丸いイメージにその林檎という概念を当てはめたわけだ」
そう言って、陽平はカウンターの下からもう1つ林檎を取り出した。
「さて、これは林檎だ。」
真希と美月は頷いた。陽平は林檎を持っていた手を突然離した。林檎はカウンターの上に落ち、バウンドして止まった。
「さて、今何が起こったかな?」
と陽平が真希に訊いた。
手を離して、林檎が落ちた
真希が答える。
「そう。空中で林檎から手を離して、林檎が落ちたんだ。」
「そうだけど、それがどうしたって言うの?」
と美月は当然の疑問を投げた。
「では、この現象をこう言い換えるとどうだろう。『空中で林檎から手を離すと、林檎が落ちる』ていう風にね。なにかさっきのとは違う感じがしないかい?」
「確かに言ってることはだいたい同じだけど、ニュアンスが違う気がする。なんか一般的なことを言っている感じ?」
「一般的なことってどいういうこと?」
と真希は美月に訊いた。
「つまり、客観的な事実を言ってるってことかな。物理法則を述べているように思えるじゃない?」
「確かに、『林檎から手を離すと林檎は落ちるものだ』ってなんかの規則を言ってるように聞こえる」
真希は頷いた。
「その通り。この2つの主張は同じことを言っているようで実は全く違った意味なんだ。最初に真希ちゃんが言ったのは、まさに真希ちゃんが見た通りのことだ。でもそれは真希ちゃんが見たっていう個人的な経験だよね。でも僕が言ったのは個人的な経験じゃなくて、一般的な法則だ。『空中で林檎から手を離すと、林檎は落ちる』っていうあの有名な万有引力のね」
「さて、ここで質問しよう」
と陽平はいい、一呼吸置いてからこういった。

「AIは万有引力を発見できるかな?

つづく


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