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結末は「ふて寝」だった

結末は「ふて寝」だった。

仏事の最後の山(※)は越えた。49日法要後の食事会DONE。食事は親友に任せ、僕は音楽とメモリアルキットを準備した。

(※)弁護士を巻き込んだ係争案件は除く

美味しい料理、音楽、思い出キット。この日のために、印刷業者とやり取りをし、何度かシェフと打ち合わせをし、音楽も選曲し。とにかく喜んでもらいたくて、美しく豊かな時間を過ごしてもらいたくて、膨大なエネルギーを使って準備をした食事会だった。

それでもケチを口頭でつけなきゃ気がすまない輩なのが、THE S BLOOD。「ありがとう」の前に、まず文句を言える人たち。

本当は楽しんだくせに、そのことに感謝をせず、些細なマイナスポイントを拡大化させて追及する。それが、うちの親戚だ。
もう親戚とか、ひとりもいなくていいよ。

「ありがとう」「ごちそうさま」の一言がなく、感謝・尊重の前(そもそも不在)に、持論・自己主張・嫌味をまくしたてる。その思考には一切共感を持てないし、無礼で非情な人だなと心から思う。僕が人間の好き嫌いが激しいか分からないが、感謝と尊重のない人は嫌いで、勢いよくシャッターを閉める。

美味しかった。
楽しかった。
父を亡くしたことへのエール。

そんな素敵コメントでマインドフルな時間を過ごし会場を去る際に、そして事後の電話で、あるふたりの無礼者が発した言葉で、僕は「こんな場、つくらなきゃよかった」「何もやらなきゃよかった」まで陥れられた。しかも、父が去った後の会社の勢力争いに巻き込まれたような、超絶僕らに無関係案件。

それを帰り際や電話で、伝えるの、必要かな?
伝えて満たしたいニーズがまったく見えてこない。

最悪な結末ですよ。「ふて寝」したよ。

まずは受け取りましょうよ。
感謝しようよ。
物事を表面だけ見てすぐ言葉を発するの、やめようよ。

創作物への尊重と解釈、背景にある苦悩や試行や思考に対するリスペクトが、完全に欠けている。

ただの服、ただの文、ただの曲、ただの食事会。表面上だけ見て、裏のコンテクストを読み取ろうとしない人向けには、もう何もつくりたくないな。とさえ思う。一種、この投稿は、その親戚2名への絶縁状でいいとさえ。

僕がグリーンズに長くいるのは、こういうことが起きないから。基本起こらない、そんなことは。(年明けに1件、悔し泣いた案件はあったけどね。笑)

なぜこういうモノ・コト・場になったのかと考え、その設計をした人の意図や事情や努力や注いだ愛を想像してから話そうよ。慮ろうよ。

相手にどんな情動が起こるかという視野・想定に欠ける発言。そんなものを言っても、相手=僕はあなたを嫌いになるだけです。でも、きちんと視野を持ち、いろいろ考え、感じ、慮ってからの主張は真っ当から受けますから。

そういう配慮がないのがTHE S BLOODで、だから距離をとってきた。だから今日は一種、超重労働だったのかもしれない。今後もそうなのだろうな。

父の死で、親戚づきあいは新たなフェイズに入っていいと思う。彼も仕事のためにやむを得ずの親戚づきあい、というスタンスだったし。会社を辞めて2年、亡くなってそろそろ2ヶ月。もう最後の縁だった、でいいんじゃないか。

今日は渾身のコラボだったのに。
後味が悪い日になったのが、とても残念。
素敵な時間があったはずなのに、ふて寝で記憶に残っていない。


せめてその悪漢2名以外が、「コウタに素敵な時間をもらった」と思っていてくれれば、それで今日は納得し、もう次のクリエイションに向かおう。

でも、95%はきっと喜んでくれていたよ。
主役のオレは、別世界から羨ましく見届けていたよ。

父は、きっと「ふて寝」せざるを得なくなった僕を励ましてるし、そう追い込んだ輩をきっと一喝してくれているはず。

そう信じて、祝日を終える。

へこたれてる場合じゃない、週末は岐阜だ。岐阜でポジティブな愛のバイブスを・・・(使い慣れていない言葉だ)、愛で爆発する岐阜の最終回にしよう!


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