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僕はGOODじゃなくてPOP。そしてSOCIALには反抗期。

僕はいい子じゃない、いいことはしない期


最近、ソーシャルグッドに対する反抗期に入った自分を強く感じる。

ソーシャルバッドではないんだけど、アイロニックな姿勢にあるというか、ストリートやジャンクやチージーな感覚への共鳴

いい子でいなきゃいけない時間が長すぎる。そういう抑圧だとか、グッド疲れというか。誰かのためにすることと、そう期待されることへの疲れ。

特に感じるのが職場での、諸先輩方からの要望やコミュニケーションで使われる言葉。

かつて僕は自分がやりたいことの追求しすぎで総スカンを食らったトラウマがあり、今の会社に属し始めた初期は、誰かのために奉仕し続け、それをもとにキャリアをつくろうとしてきた。

けれど、もうあの頃のスズキコウタはいない。アシスタントでなく、去年までは副編集長。細かい案件よりも、大きな案件の場で記事を企画したり、授業をしたりすることに忙殺されているスズキコウタになった。

のに、まだ7-8年前の「編集アシスタント」で困りごとを助けてくれる子、という評価から脱せない。確実に実績を重ねても、それを期待されちゃう。もちろん、いろいろな構造はあるでしょう。後継育成だとかね、システム思考で考えると。

いつまでも、彼・彼女たちのために、「いい子」「すぐ動いてくれる人」「気が利く(だけ)の子」「連絡しやすい人」でいつづけるのも疲れてきた。

今は、自分がやりたいこともあるし、助けたいこともある。助けたくないけど、助けなきゃいけないこともある。そして、ちょっと後者2つがパーセンテージを増やしてしまう時期に入ると、もやもやする。

「社会のための〇〇」は今の僕には呪縛だ

今の僕はいい子でいたくないし、ソーシャルグッドを体現してもいない!

明確で直接的で誰にでも分かるようなソーシャルグッドなヒト・モノ・コトを取材したりワークショップで扱うことよりも、そうでないと見なされている、見なされがちな物事に密かに宿る、人の暮らしを美しくしようという心持ちや構造やデザインに興味がある。

もうソーシャル◎◎のラベルから逃げたい。

いかにも丁寧な暮らし。
いかにも社会に貢献したいというビジョン。
いかにもインクルーシブな仕組み。

ダウンシフト、地方移住、オフグリッド、地域おこし。

そういうものばかりを仕事で扱いすぎてきた反動なのかな。環境や地域や社会のためにいいことをしよう、いい子でいよう、期待されることに答えよう、というロジックにまったく心が動かない。

興味関心も知識も豊富だけど、僕自身の暮らしにそれらを取り入れる場はなくて、東京都新宿区に建ったマンションの一部屋に、多くのレコードと洋服と音楽制作機材に囲まれながら暮らしている。億単位のローン、相続金、今はそんな課題もある。グリーンズのメンバーというイメージとは確かに違うでしょう。

それでも、僕は東京都の外に住むことは留学時以外に一切考えたことがないし、それは今後も絶対変わらないと思う。何よりも暮らしに絶対に必要なのは音楽であり、自分の暮らしを楽しくしてくれる洋服であり、安価でクリエイティブな食事にありつける機会は貴重なインスピレーションソース。

これらをインプットするのに、東京は世界最高の都市である。そして、僕のローカルは東京都新宿区・港区・中央区。首都都市という機能じゃない部分で、東京を見ている。

僕がいわゆる地方移住してダウンシフトするとか、オフグリッドの家を建てるとか、地域やコミュニティにどっぷり浸かることに強い関心を持たないながらも、greenz.jp で働き続けているのは、「異物感」ある立場からに貢献であり、社会の多種多様な層への切り込みアプローチにあると思う。(他のみんなは、グッドやソーシャルですから)

自分の暮らしやインスタで垣間見える偏愛や嗜好が、僕が前年まで副編集長を務めてきた媒体の雰囲気と違うことへの指摘は、たまに来る。(というか人前に出てお話をする仕事が多かったんですよね。そこで最近はSNSはプライベートな内容であり、仕事と一切関係させないことを明確にした

さっきも書いた、

そうでないと見なされている、見なされがちな物事に密かに宿る、人の暮らしを美しくしようという心持ちや構造やデザインに興味がある。

この立場だからできることをしていく、そんな感じ。

何か明確で直接的なアプローチじゃないけど、何か心が躍る〜社会や地球のためになる小さな取り組みを連綿と伝え心を弾ませていくことに意義を感じているから。

だって、『ソーシャルデザイン』というグリーンズが編著した本の帯を思い出してくださいよ。

「楽しく」。
忘れてない?

A LITTLE FUNであり、A LITTLE GOODではない

サステナビリティと言っている余裕もなく、サバイバルであるという逼迫した状況を会議で話すこともあるし、それゆえ、ド直球に明快な社会課題解決プレイヤー紹介ばかりになっているけど、僕はもう、そういう人の取材記事の編集に多く携わったから、できれば離れたいんだよね。

原点回帰して、シンプルに動きたい。それがポップという領域への回帰であり、生きることがワクワクしてくる作品・商品をつくり続けること。その作品・商品が、記事から飛び出していって、いまは授業が順調に育まれ、もっと増えてほしいと思うし、また機会があるなら音楽や洋服に携わりたい。いろいろな商品がつくれるといいな。

僕のアウトプットでもたらしたいのは、この写真の言葉が全てです。

Put a little "GOOD"じゃない、Put a little "FUN"であることが僕には今、すごく大事だな。音楽もそう、洋服もそう。GOODのためより、FUNのため。

ずっと一貫して、僕はポップカルチャーの人で、そこは確実にぶれないで来たと思っている。

ポップというメガネをかけつづけて37年間。

覗きに入った空間がアンビエントだった時期もあれば、ダンスミュージックだった時期もあれば、アローングルメだったことも、ソーシャルデザインだったことも、パーマカルチャーだったことも・・・という具合。

全部ポップカルチャーの空想箱に投げ込んで観察している。

このポップという領域の弾力をもって、いろいろなことに取り組んできたけれど、いまは確実にポップのメガネであっても、ソーシャルを眺める時期の自分ではなさそう。ただ、「マネジメント疲れた」「つくりたい」「育みたい」とニーズや自己対話は見えている感があるので、後半ふたつですよね、今後の仕事選びでは。

それでも、ソーシャルをやらされちゃうのだとしたら、ヴァージル・アブローの例の言葉にさかのぼって、自分が一番輝ける、一瞬かもしれない残りの人生に悔いのないの過ごし方を考えるだろうね。

もちろん、最近は「早とちり」だったなと感じる選択ミスも多く発生している家庭&仕事事情なので、すべての時間短縮化〜過剰な功利主義は改めつつ・・・

2kai=ツウカイ=痛快にいきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます! よろしければチップや、仕事依頼もぜひご検討ください◎