人生の成功

丈くんを好きになってから約6年8ヶ月、担当と呼んでから約5年半。もちろんもっと長い方はいるんだけど、私の人生の中では本当に長い時間だったのだ。

部活をしたことがなく、あまり長期間目標に向けて打ち込んだ経験がない私にとって、丈くんのデビューさせた、というのは人生で一番の達成感だった。人が普通部活などでやる、ある大会を目指して3年努力して…等をやっていないからこそ、この少なくとも5年ぐらいは丈くんのデビューだけを見据えて応援してきた時期とそこからの成功体験は私にとって人生に刻み込むべきビッグイベントなのだ。

端にいたって、メインじゃなくたって。ソロ曲がなくたって、いてほしい場所にいてくれなくたって。なんで丈くんじゃだめなの?と口では言いながら、ファンレターには「丈くんならデビュー出来ます」と書いてきた。あの頃、いわゆる焼け野原の中で、メインすら目標はデビューと口にすることすらはばかられる雰囲気の中、私はかなりトップクラスに丈くんを本気でデビューさせようとしていた人間な自信がある。

うちわを出す、グッズを出す。東京Jr.と共演。今では息をするように叶う、目標にするほどでもないようなことが当時は目標、しかも叶うかどうかわからないギリギリの目標だった。それを叶えるため、たくさん考えて伝えた。もちろん丈くんのファンレターに書いたって、それを丈くんが読む保証もなければ、読んでも事務所に伝わらなきゃ意味がないんだけど、でも私は本気だったのだ。

丈くんの就活の年が一番しんどかった。喜んで突き落とされ、期待して怒り、傷つかないように心を抑えて、常に丈くんと精神的大喧嘩していた。スタタン期間は「関西ジャニーズJr」としてくくられた雑誌に丈くんがナチュラルにいた。ずっとこうならいいのにと思った。舞台挨拶が終わるのが嫌だった。未だに忘れられないぐらい泣いたのは2017年9月末の日誌。5年後の自分へのメッセージを残した丈くんは、5年後もいるよ、と言ってくれた気がした。

ここあたりから、本格的に私のデビューへのガチ挑戦が始まった気がする。社会人になったのもあったが、グッズは基本20個をノルマとして買いはじめた。月や寺社仏閣。ありとあらゆる場所で丈くんのデビューを祈り、勝手に約束をしていた。

会社の帰り、大きな月が浮かんでて、条件反射で「丈くんがデビューしますように」と思いもうしたことに気づくと泣きそうになる。音楽番組でクリスマス風コーデで踊ること。WEST の曲を盛り上げる丈くんは見慣れた関西ジャニーズJr.の丈くんすぎて、それがデビューした丈くんなことが不思議だった。

まだ慣れない、多分あと4年ぐらい慣れない。今日も丈くんはテレビに出て一人でしゃべるらしい。器用だ。ずっと喋ってきたのだ。どこに出しても恥ずかしくない…とまでは言えないけど(笑)嬉しいなぁ、テレビ側に需要があると思ってもらえることが。

現場は決まってない。不思議な気持ちだ。寂しくはない。丈くんは今日も、ちゃんと丈くんなのだ。

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