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上から目線の子育て

15歳の尾崎豊は、心のひとつも解り合えない大人たちをにらみました。
10歳のマルコは、南米へ出稼ぎにいった母を訪ねて三千里の旅にでました。
ギリシア神話は父クロノスとゼウス兄弟による親子喧嘩の壮大な物語です。

親と子の問題、とりわけ親子の確執は世代を超えた重大テーマ。成人して二十代になっても、重大であることに変わりありません。(ヒント:ガラスの十代)

親と子は分かり合えない関係なのでしょうか。その答えのヒントは「親」という字にあります。

「親」を分解すると、「立」「木」「見」になる。文章にすると、

親 は 木 のうえに 立 って 見 る

そうなんです。親はいつだって上から目線。子どもと対等の位置には立てません。

親子喧嘩の多くは親が頭ごなしに子どもを叱り、子どもが反発することで勃発します。親が子どもを上から目線で叱るのは、字解からして仕方ない。自戒をこめて。

ここでのポイントは「見る」にあります。
親の役割は、見守ること

例えば、目の前で子どもがつまづいて転んだときに、親はどうするか。次の二つの選択肢があります。

A.倒れた子どもをすぐに抱き起こす
B.子どもが自分で起き上がるのを待つ

「親」という字に照らせば、Bの行動が望ましい。子どもが転んだら自分の力で立ち上がれることを信じ、上から目線でじっと見守る。そういう親でありたい。

「豚もおだてりゃ木に登る」の諺になぞらえば「子が転んだ親は木に登る」
・・意味はとくにありません。すみません。

オプションCの答えで「スマホをみていて子どもが転んだのに気づかない」というのもありそうです。

ともあれ、子どもの月齢や年齢によって対応方法は異なります。行動基準として、山口県の教育者が提唱されたという「子育て四訓」が参考になります。

子育て四訓
1.乳児はしっかり肌を離すな
2.幼児は肌を離せ 手を離すな
3.少年は手を離せ 目を離すな
4.青年は目を離せ 心を離すな

乳児のあいだは肌身離さず、幼児とは手をつなぎ、小学生になれば手を離す。青年は目を離した途端、盗んだバイクで走り出す。思春期とはそういうものです。

子どもの発達に応じた四段階戦術でいえば、「上から目線の子育て」は目を離さない少年時代にこそ発動すべきです。思春期は手と目を離し、互いに子離れと親離れの準備を進めるのがよいでしょう。

有名人の事例で考えます。

「アナと雪の女王」のエルサは21歳の青年。「Let it go」と歌いながら、魔法で氷を放ちました。「Let it go」は「ありのままで」と邦訳されましたが、英語の本来的な意味は「ほっといて」。

テレビ番組「学校へ行こう!」よろしく、エルサは氷の城の朝礼台に立ち、「レリゴー!私のことは、ほっといてー!!」と叫びました。それは、青年の主張として全くもって正しいわけです。

さて、「木のうえに立って見る」にはもう一つ意味があると思われました。それは、目線を高くする。

新型ウィルスの感染爆発で世界中が危機に陥り、ぼくたちの生活はこれまでのようには成り立たなくなりました。仮に感染が収まったとしても、その後の社会はあり方を大きく変える必要に迫られることでしょう。

日々の暮らしにおいては今日明日の買い物や健康の心配があり、今後の生計がいつまで成り立つのかどうか心配は尽きません。

そうしたなか、政府から対策が発表されるたびに「それで足りるの?」と現実味が増し、不安は募るばかりです。おそらく、政策でどこまで手を尽されたとしても、ウィルスの治療方法が確立するまで、ぼくたちの不安が消えることはありません。

ならば不安を上回るほどに目線を高くし、将来をじっくり見据えたいところです。コロナ後の世界を想像しながら、外出自粛の日々を過ごしてみませんか?

ん、この文章も上から目線でしたね。 おや!?

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