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第四話:砂の城

連載小説『秒針は青く鳴る』の第四話です。「あらすじを知りたい」「最初から読みたい」という方は以下をどうぞ。
まえがき —小説連載始めます

本編

「あーあ、もう疲れたなぁ」
 向かいの席に座る裕太の、独り言にしては大きすぎるその呟きを聞きながら、美琴はアイスティーを一口飲んだ。今日彼が「疲れた」と言ったのはこれで何度目だろう。数えておけばよかったかな、と美琴は心の中で苦笑した。

 8月の終わりに、予備校の夏期講習がひと段落ついたから会おうと祐太から連絡がきた。浪人生の祐太は現在、千葉の実家に住んでいる。美琴の実家とも近いし、美琴が今一人暮らしをしている家からも通えないほど遠くはなかったが、勉強が忙しく会えない日々が続いていた。

 昼過ぎに新宿で待ち合わせ、ランチを食べてから映画を観に行った。そして今は、映画を見終えたあとに、近くのカフェでお茶をしているところだ。久しぶりに会える嬉しさはあったが、その気持ちは待ち合わせ時がピークだった。ランチの時も、上映前の待ち時間も、そしてカフェにいる今も。祐太の口からは愚痴がとめどなく流れ続け、美琴の気持ちは徐々にしぼんでいった。

 予備校生活は想像以上に過酷なようだ。月曜〜金曜は朝から夕方までみっちり授業があり、その後は予備校が閉まる21時まで自習。土日は授業はないものの、予備校の自習室にこもって一週間の復習をしたり、問題集をまとめて解く時間に充てたりしているらしい。考えただけで頭が痛くなる。

 祐太が目指すのは、難関の国立大学だ。美琴も同じ大学を目指していたのだが、残念ながら2人揃って落ちてしまった。祐太はその大学への入学にこだわり、浪人を決めた。一方、美琴は大学にはさほどこだわりはなく、その国立大学を目指したのも「他に行きたいところもないし、祐太が受けるならそこにしよう」くらいの軽い気持ちだった。

 祐太から浪人すると聞かされた時、迷う気持ちはあったが、もう一年勉強漬けの日々を送るのは嫌だと思い、すべり止めで受けた私立への入学を決めた。
 はっきりとは言わないが、祐太はそのことを良く思っていないようだ。美琴が大学生活の話をすると機嫌が悪くなるが、単純に「毎日遊べて羨ましい」というのではなく、「一緒に同じ大学を目指していたのに、先に離脱するなんて」と裏切られたように思っているのでは、と感じることがあった。

「たまに、浪人なんてしなきゃよかったなって思うことがあるよ」
 ため息混じりに祐太はそうこぼす。
「大変そうだよね。私は諦めちゃったけど、祐太は目標を変えずに一年間勉強するって決めて毎日がんばってるのって、本当すごいなって思う」
「そうかな? まぁでも、周りの奴らもみんな同じように頑張ってるからさ、俺が特別なわけじゃないけど」

 ——でもさ、浪人するって決めたのは自分なんだから、あんまり文句を言うのはどうかと思うよ? 延々愚痴を聞かされるこっちの身にもなってよ。
 祐太を見つめながら、美琴はそう心の中でつぶやく。口には絶対に出すまい。プライドの高い彼に、諭すようなことを言うのは逆効果だ。「そうだね、わかるよ」と肯定し続けて、程よいタイミングで「がんばってるね」「すごいよね」と褒め言葉を添える。そうして不機嫌をやり過ごす。高校時代からずっとそうやって付き合ってきた。

 実際、祐太は努力しているんだと思う。成績が良く運動もできる彼は、プライドが高いなりに努力を怠らない人だった。きっと受験勉強にも手を抜かずに打ち込んでいるんだろう。朝から晩まで休みなく勉強し続ける日々を送り、ストレスが溜まるのは仕方ないのかもしれない。しかし愚痴を聞かされ続け、その度に機嫌を取り続けるのは、そろそろ疲れてきた。

「そういえば、模試の結果が良くなくてさ」
「そうなんだ。でもまだ夏だし、大丈夫じゃない?」
「俺もそう思ってるんだけど、最近親があれこれ口出ししてくるようになったんだよね。夜ちゃんと寝た方がいいとか、食事しろとか……」
「え? ちょっと待って、寝てないし食事も食べてないの?」
「全く寝てないわけじゃないけど、2〜3時間くらいかな。食事も一応食べてるけど、勉強が終わって夜中に適当に食べるとか、疲れて食べられない日もある」
 そう語る祐太は、疲れた表情の中に得意げな様子をにじませた。もしかしたら、寝食を削り勉強に打ち込む自分を誇らしく思っているのかもしれない。だが、寝不足でろくに食事も取らない状態で頭が働くとは思えない。親が心配するのも無理はないだろう。

「こっちは今年の受験にかけてるんだよ。なのにどうしてやる気を削ぐようなことを言ってくるんだよ、って腹が立ってさ」
 心底鬱陶しそうな顔でそう語る祐太を、美琴はやんわりとなだめた。
「祐太のことが心配なんだよ、きっと。私も一緒に住んでた時は親のことウザいって思ってたけど、大学に入って一人暮らしを始めてから親のありがたみに気づいたんだよね」

 実家に住んでいた時には、美琴は家のことをほとんどしたことがなかった。家に帰れば温かい食事が用意されていて、脱いだ服は洗濯かごに入れておけば洗濯してもらえ、畳んだ状態で部屋まで運んでもらえた。一人暮らしを始め、身の回りのことをすべて自分でやるようになり、改めてその大変さを思い知った。それらの行為を当たり前のように受け取り、感謝の言葉ひとつ口にしていなかった昔の自分を反省した。

「へぇ? 大学生ともなるとやっぱり考え方が違うね。余裕がある感じ」
 祐太の口調は皮肉めいていたが、少しだけ傷ついているようにも感じられた。自分を置いて一足先に大学生になった美琴に対する、嫉妬にも近い感情。その向こうには、新しい世界に足を踏み入れ変わっていく美琴への不安が透けて見えた。美琴は何と返したらいいかわからず、口をつぐんだ。

 プライドが高い一方で、祐太には繊細な面があった。もろいくせに強がるから、築き上げてきたものが崩れるときの反動は大きい。ひどく落ち込み、時にヒステリーを起こすこともあった。まるで砂の城みたいだ、と思う。最初から砂でいれば楽なのに、彼は海水でしっかりと固めた立派な城を、やはり築きたいのだ。自分のもろさを、他人に知られないために。

 ——美琴が変わっていくのが怖いんじゃないの。
 あの日、真夜中の公園で諒に言われたセリフが、頭の中に響く。
 周りにいる人や環境が変われば、影響を受けて自分が変化するのは自然なことだ。変わるのがそんなに悪いことだとは思えない。
 きっと私は、これからも変わり続ける。そうなった時に、これまで通り祐太と一緒にいたいと思うんだろうか。

 黙り込んだ美琴を見て空気を変えようとしたのか、祐太は明るい調子で「そういえばさぁ」とまったく別の話を始めた。へぇ、そうなんだ……うんうん、わかる……と、あたりさわりのないあいづちを返しながら、美琴はアイスティーを飲む。すっかり氷で薄まったそれは、まるで水のような味気なさだった。

・・・

 夕方になり、祐太と美琴はカフェを出て駅に向かった。このあとは、美琴の家に行くことになっていた。ホームで電車を待っている時、美琴は何気なく駅の時計に目をやった。長針と短針のみのシンプルなデザインで、秒針はついていない。先日夜中の公園で見た時計には秒針がついていたが、思えば駅や公園など公共の場にある時計は、秒針がついていないタイプのものが多い気がする。そんなことを考えながらじっと時計を見つめていたら、「どうしたの?」と祐太が声をかけてきた。

「クロノスタシスって知ってる?」
「何それ?」
「目の錯覚で、秒針が一瞬止まって見える現象のこと。この前本当に止まってるように見えて、びっくりしたんだよね」
「ふーん」
 興味がないことを隠そうともせず、祐太はスマホをいじり始めた。美琴は駅の時計を見上げながら、秒針が止まって見えた夜のことを思い出す。夏の匂いをはらんだぬるい風、甘いクチナシの香り。そして、鼻歌を歌いながら歩く諒の後ろ姿。

「美琴、電車来たよ」
祐太の声で我に返り、あわてて電車に乗り込む。ドアが閉まり電車が走り出すと、窓の外に見えていた新宿駅のホームはあっという間に流れ去り、見えなくなった。

 最寄り駅に到着し、10分ほど歩いたところで美琴が住むアパートに着いた。祐太は慣れた様子でエレベーターに乗り込み、2階のボタンを押す。

「うわぁ、蒸し暑い」
 部屋に入った美琴は、そう言いながら真っ先にクーラーをつけた。汗が背中を伝う。荷物を置いて冷蔵庫に向かい、「麦茶でも飲む?」と言いながら冷蔵庫を開けると、後ろから祐太が抱きしめてきた。美琴は、冷蔵庫をゆっくりと閉める。

「まだクーラー効いてないから、部屋暑いよ?」
「すぐに冷えるでしょ」
「先にシャワー浴びない?」
「どうせ汗かくからいいよ」

 いや、私が嫌なんだけど……と思いながら振り向くと、祐太の顔が近づいてくる。目を閉じ、唇を重ねた。しかし、一ヶ月以上会っていなかった恋人とのキスだというのに、こんなにも心が動かないことがあるのかと思うくらいに、何も感じなかった。ただ皮膚と皮膚が触れ合っているだけ。唇が離れ、視線が絡まる。切れ長の目元に、通った鼻筋。整ったその顔立ちは一見冷たい印象にも見えるが、笑うと目元が柔らかく緩む。美琴はそれを見るのが好きだった。しかし微笑む祐太を前にしても、美琴の胸は高鳴ることはなかった。心の奥底で燻っていた火が、静かに消えていく。

 きっと、もうすぐ終わりを迎えることになるんだろう。そんな予感が頭をよぎる。悲しいようなおかしいような不思議な感情がこみ上げ、美琴は祐太の胸元に顔をうずめた。

・・・

「美琴、俺もう帰るね」
 その声で目を覚まし、美琴はベッドの上で体を起こした。外はすっかり暗くなっていたが、寝ている美琴を気遣ってか、部屋の電気はついていなかった。
「あっ、寝てた、ごめん」
「いいよ。本当は泊まっていきたいんだけどさ、親がうるさいから。ごめんね」
「あ……うん、大丈夫」
 一瞬言葉に詰まった美琴を祐太はじっと見つめた。何かを言いたげなその視線に、美琴はたじろぐ。しかし祐太は何も言わず、美琴の髪を撫でて微笑んだ。

「じゃあ、また」
 そう言い残し、祐太が部屋を出て行く。玄関のドアが閉まり、静寂が訪れた。薄暗い中、ベッドの上に座ったままぼんやりとしていると、冷え冷えとした部屋の空気に鳥肌が立った。おそらく、祐太が設定温度を下げたのだろう。美琴はクーラーを消し、ベッド下のチェストからTシャツを引っ張り出して、頭からかぶった。

 外の空気を吸いたくなり、ベッドの横の窓を開ける。ぬるい風が隙間から流れ込んできて、レースのカーテンを揺らした。外の街灯の明かりがカーテンを透かし、ベッドに投げ出した美琴のむき出しの脚に、まだらに光がかかっている。風が吹くたびに脚の上で揺らぐその光を、美琴はしばらく眺めていた。

<続く>

続きはこちら。ペトロールズの曲を元に書きました。
第五話:雨

今回の曲:砂の城(泉まくら)

 泉まくらさんは福岡県在住のアーティスト。顔出しされていないし、詳細なプロフィールも不明です。
 ジャンルとしてはヒップホップ/ラップだと思うのですが、「砂の城」はラップではありません。「砂の城」は暗めな曲ですが、明るめの曲もあります。でも全体的に切なめだったり、しっとりした雰囲気の曲が多いかも。ちょっとハスキーなウイスパーボイスで、ラップもウェイウェイした雰囲気(?)はなくて聞きやすいです。

 ほかに好きな曲はこの辺り。2つピックアップしたけど他にも好きな曲はたくさん。というかどれも好き。一回聴きだすと延々聞いてしまう中毒性がある。

 泉まくらさんを最初に知ったきっかけは、たしかYouTubeだったかな……? イラストがかわいいなと思って、そこから音楽も聞き始めたらすっかりハマりました。イラストを手掛けているのは、大島智子さんというイラストレーター/映像作家の方。泉まくらさんのジャケットやMVのアートワークはすべて大島さんが手掛けられているようです。

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