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花の水を替えられないのは、ズボラだからだと思っていた

 だって、サボテンすら枯らしてしまうような女なんだから、花の水なんて替えられる訳ないよね?

 そう自分に言い訳をしながら、キッチンで茶色く変色した花を花瓶から抜くと、腐った水の匂いがした。息を止めて、白く濁った花瓶の水を流し、ゴミ箱に枯れた花を捨てる。

 いつもこうだった。送別会でもらう花や、結婚式の装飾の花のお裾分けなど、花をもらう機会は度々あった。でも私はいつも、花の水を替えずにすぐに枯らし、枯れてもずっとそのままにしていた。もっとひどい時には、花瓶にすら入れず、そのまま放置していた。見るに耐えない姿になったところで、やっと捨てる。こまめに水を与えなくていいはずのサボテンすら、枯らしたことがあった。

 ズボラなんだ、私は。性格だから仕方ない。ずっとそう思ってきた。

 でも違った。だって今、私の家には常に花があって、3つある花瓶の水を、毎日きちんと替えられているのだから。

 花の水を替えられない私に、もともと家に花を飾る習慣はなかった。しかし、コロナの影響で仕事はすべてオンラインになり、買い物も極力ネットで済ませるようになった。思うように外出できない日々が続いたある日、「部屋に花を飾ろう」と思い立った。目にする景色があまりに同じなので、変化が欲しくなったのだ。そして、アプリで注文して隔週ペースで自宅に届けてもらえる、花の定期便サービスを使い始めた。

 届いた花は、キッチン前のカウンターに飾ることにした。シンクの前に立つと、ちょうど目に入る場所。毎朝、お茶を飲むためのお湯を沸かす時にキッチンに立つのだけど、そのタイミングで花の水を替えるようになった。

 毎日水を替えるとき、自然と花の様子を観察する。つぼみが少し開いてきたとか、こっちの花はしおれてきたな、とか。花によって日持ちが違うことも、初めて知った。グリーンや小さめの花は長持ちするけれど、花びらが大きいものは比較的早めにしおれてしまう。枯れてしまった花を取り除き、本数が減って花瓶のサイズが合わなくなったら、小さい花瓶に移し替える。新しい花が届いたら、別の花瓶に生ける。それを繰り返すうちに、カウンターの花瓶は3つになった。

 ある時ふと、「あれ、私花の水替えられてるな」と思った。どうしてだろう? あんなに花を枯らしまくっていたのに。花の水を替えられない自分に、嫌気がさしていたのに。
「ずっと家にいるので目につくようになった」からではない。だって花を枯らしたあの時も、見える場所にずっと花瓶を置いていたのだから。

 きっと、仕事も含め生活のすべてを自宅で完結するようになったことで、「目に入っているけれど後回しにしていたもの」に、手を付ける余裕が生まれたんだと思う。

 外出しなくなったことで、まず時間的な余裕が生まれた。移動時間はもちろん、身支度をして必要な持ち物をまとめて、電車の時間を調べて……といった時間もカットされた。そして、時間の余裕ができたことで、心の余裕も生まれた。「いつかやろう」で後回しにしていた仕事を進めることができた。

 そして、仕事よりもっと後回しにしていた「暮らし」にまつわることにも、自然と手をつけられるようになった。「時計の電池替えなきゃ」「メガネのネジ緩んでるから締めなおしたい」といった、さほど重要じゃないから後回しにしている、でも頭の片隅にはずっとあって「いつかやらなきゃ」とモヤモヤを抱えている……みたいなこと。

 どれも時間にすれば、5分もかからないようなこと。花の水を替えるのだってそう。なのにできない、なんで? 自分はダメなやつだ、と思う気持ちがあった。でも単に、余裕がなかったんだ。別にズボラでダメじゃなかったじゃん、私。そう思えるようになった。

 そうしたら急に、日々の些細なことにも幸せを感じるようになった。たとえば、寝起きに窓を開けて温かいお茶を飲んでいたら、外から気持ちのいい風が入ってきてものすごく幸せに感じたり、朝日に照らされたコップについた水滴が綺麗だなぁと感動したり。書いていて自分でも「そんなこと???」と呆れるくらいなんだけど、本当にめちゃくちゃ些細なことに、いちいち幸せを感じたり、感動したりするようになった。ただ毎日家で仕事して家事をして、生活を営んでいるだけなのに、毎日がものすごくゆたかになった。

 振り返ってみると、暮らしの諸々を後回しにしている自分を、「こんなちょっとしたこともできないの? どうして?」と、無意識のうちに責めていたのかもしれない。自分を否定することで、知らぬ間に、楽しい・幸せだ、といった感情を感じにくくなっていたんじゃないだろうか。

 ゆたかさというのは、何を持っているかとか、どんな場所にいるかではなくて、「日々に幸せを感じられる心」なんじゃないか。その心は、やるべきことでガチガチに固められた日々を忙しなく生きて、できない自分を否定していると、すぐに失われてしまう。

 たまたま自宅に引きこもる状況が幸いして、心の柔らかさを取り戻すことはできたけれど、これから徐々に外出する仕事も増えていく予定だ。もしかしたら、また花の水を替えられない日が出てくるかもしれない。

 もしそうなったら、「花の水すら替えられないなんて自分はダメだ」じゃなくて、「余裕がなくなっているんじゃないか?」と、自分を見つめるようにしよう。

 特別な出来事が起きない毎日でも、ゆたかに生きることはできる。風に幸せを感じたり、コップの水滴に感動したり、他人に話したら笑われるようなことでも、別にいいじゃないか。ゆたかさは、誰かに自慢するためのものじゃなく、自分が心地よく生きるためのものなんだから。

 新しく届いた花には、ヒマワリが入っていた。鮮やかな黄色にうきうきと心が踊る。誰のためでもない、私のためのゆたかさを手に、私は今日もご機嫌で生きる。

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ライターです。noteではエッセイや小説を書いています|Webサイト https://2erire7.com/|お問合せ先 2erire7@gmail.com

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