『女子野球部入部の条件』

 私は夢野さつき、中学1年生。夢は女子プロ野球選手になること-。

 部活はもちろん女子野球部。中高一貫校で家から少し遠かったが、親に無理を言って行かせてもらっている。女子野球部だけでなく、多くの部活が好成績を収めていると聞く。

 女子野球部は強豪で、毎年全国大会に行っているし、昨年は全国制覇もした。練習は厳しいらしいが、レベルの高いところでやって、技術を磨いていきたい。

 だが一つだけ気がかりなことがあった。それは選手の髪が極端に短いこと。ショートカットの子なんていない。長くてもスポーツ刈り、それに丸刈りの子が何人もいる。

 私のトレードマークはポニーテール。お小遣いで買ったリボンを付けるのが楽しみ。髪を短くしようと思ったことなんかない。

 仮入部期間が始まった。仮入部とは思えないほど練習はきつかったが、これぐらい耐えられなくて本入部など出来ないと思い耐えた。最終日、仮入部の5人が集められて監督に言われた。
「うちは知っての通り全国で一番強いチームだ。体験して分かっただろうが、練習はきつい。だがこれを乗り越えた者には真の喜びが待っている。プロになった選手もいる。」そしてこう続けた。 
「それと髪は丸刈りだ。レギュラーになればスポーツ刈りを認めるが、まずは全員丸刈りにしてもらう。本入部の日までに髪を切ってこない者は、俺の手で丸刈りにするからな。」
「…どうしても丸刈りにしないといけないですか?」
「そうだ。野球部は男も女も坊主だ。髪を気にしていたらプレイに影響が出る。嫌ならば入らなくて結構。以上解散!」

 大変なことになった。ショートカット、最悪でも刈り上げぐらいならいいと思っていたが、丸刈りはさすがに嫌だ。この長い髪をバリカンでツルツルに刈られると思うとゾッとする。そんなことしたくない。でも野球はしたい。それに私立に行かせてもらっているのは、女子野球部に入るためだ。どうしよう…。

 地元の中学に通う、幼馴染の健太に相談してみた。こんな時は女の子の友達ではない。それに彼には密かに思いを寄せていた。丸刈りになんかしたら彼が離れていってしまうのではないか。早速電話をしてみた。
「健太、ちょっと聞いてよ!」
「何かあったのか?」
「実はね、今日仮入部の期間が終わって、監督に言われたの。丸刈りにしてこいって。でないと本入部を認めないそうよ。」
「女の子なのに?」
「うん。なんでも野球に髪はいらないんだって…。選手たちはみんな丸刈りかスポーツ刈りだったわ。」
「スポーツ刈りじゃダメなのか?」
「レギュラーになると許されるけど、それ以外はみんな丸刈りなんだって。つまり新入部員はみんな丸刈りなのよ…。」
「厳しいな…男でも丸刈りの奴は少ないのにな。それでさっちゃんはどうするんだ?」
「どうしたらいいか分からなくなって、今健太に電話しているのよ。」
「そう言われてもなぁ…。」
「健太は…私が丸刈りにしたら嫌いになっちゃう?坊主の女の子なんか嫌だよね…。」
「そんなことはないけど…急にそんなことを言われてもなぁ…。」
「そうよね。ゴメンね、こんなこと相談して。」
「ちょっと考えさせてくれ。明日電話するよ。」
「うん、分かった…。」

 その晩、両親にも相談してみた。お母さんには「何もそこまでしなくても…」と言われたが、お父さんには「いいじゃないか。何か一つに熱中するのはいいことだ。思い切ってやってみたらどうだ?髪なんてまた伸びてくるさ。それにさつきは美人だから坊主でも大丈夫だよ」なんて言われた。

 翌日は土曜日だった。朝に健太から電話があった。これから付き合ってほしいところがあると。近所の公園で待ち合わせをして健太に付いていくと、そこは床屋さんだった。

「あら健太君、いらっしゃい。今日はガールフレンドと一緒?」
 優しそうなお姉さんが迎えてくれた。なじみのお店なのだろう。健太は少し頬を赤らめる。
「それで今日はどうするの?」
「はい。あの、ま、丸刈りにして下さい!」
「丸刈り?どうしたの?何か悪いことでもしたの?」
 健太が丸刈り!?なんで急に?
「彼女が女子野球部に入るために、丸刈りにしないといけないって相談されて。だったらまず俺がやって、それを見て決めてもらえばいいかなって。」
「健太、そんなことしなくていいわよ!健太だって嫌でしょ?」
「俺は男だし、別に髪型にこだわりはないからいいよ。それに一度やってみたかったんだ。」
 
 そう言って健太は少し下を向いた。ハッとした。これは彼が嘘をつく時の仕草だ。本当は嫌なんだ…。
「健太君は男らしいわね。そんな理由ならバッサリやっちゃうけどいい?」お姉さんは健太の前髪に手を入れた。こうしてバリカンを入れていくよ、と言わんばかりに。
「は、はい…お願いします!」
「彼女さんは?」
「私は…健太に任せます…。」
「じゃあこれからバリカンでガーッと刈っていくけど、ちゃんと見ておくのよ。彼が坊主になるところを。それに彼の男気をね。」
 
 もうこうなったらしっかり見ておこう。
「ところで長さはどうするの?」
「長さ…考えていませんでした。」
「この際思いっきり短くしてみる?」
「痛くないんですか?」
「大丈夫よ。うちのバリカンは短くても痛いって言われたことないわ。そこは安心してね。」
「じゃあ短いのでお願いします。」
「分かったわ。」

 お姉さんは棚からバリカンを取り出した。美容室で見る物よりも大きい。あれで今から健太が坊主になるのか…。お姉さんは先端の刃をガチャガチャと取り換えている。
「0.5ミリにしてみたわ。今からバリカン入れていくけど覚悟はいい?」
「はい。」
 バリカンのスイッチが入り、聞いたことのない乾いた音がする。お姉さんは健太の前髪を優しく掴み、バリカンを入れる。あっという声が健太、私から出た。
 
 健太の前髪が刈られ、そこだけ地肌が見えた。
「どんどんやっていくわね。」
 続けてバリカンが入る。健太のサラサラの髪が次々に刈られていく。次第に坊主の範囲が広がり、やがて健太は丸刈りになった。

「はい。丸坊主の完成よ。坊主は初めて?」
「初めてです…。」健太は坊主になった頭を触りながら言った。
「バリカンは痛くなかったでしょ?」
「はい。全然痛くなかったです。」
「お嬢さん、これが坊主にするということよ。坊主にしたらしばらくは元には戻らない。今の長さになるには数年かかるわ。それでももし良ければ、本当に坊主にするのなら、来てくれたらいいわ。痛くないようにやってあげるから。」
 健太の頭を見て、チラッとバリカンを見た。怖くなった。
「代金は半分の1000円でいいわ。残りのお金で彼女とお茶でもしてきたらどう?」

 健太はすぐに帽子を被り、床屋さんを出た。帰りにマックに寄った。健太に帽子を取ってもらい、頭を触らせてもらった。始めは嫌がったが、頼み込んで触らせてもらった。

 ザラザラしていた。これが丸刈りなのか…私もこうなるのかな…。
「俺は坊主にしたけど、さっちゃんは無理にしなくてもいいんだよ。男の俺とは髪に対する思いが違うだろうし、そうまでして野球をしなくても、って思うんだ。」
「…正直迷っているわ…。夢のためには、今から野球を始めた方がいいに決まっている。でもそのために髪を坊主にするのはやっぱり嫌。健太の姿を見て、少し怖くなってきた…。私どうしたらいいんだろう…。」

 その後はとりとめのない話をしたが、上の空だった。坊主にするかしないか、それだけが頭を駆け巡っていた。

 家に帰ってからもずっと考え続けた。野球部は辞めて、ソフトボール部にしようかとも考えた。せいぜいショートカットでいいだろう。でもたかが髪のことで夢から遠回りすることになってもいいのだろうか。これぐらい我慢すべきなのだろうか。堂々巡りをして結論が出ないまま、朝を迎えた。

 ご飯を食べて、歯を磨いている時に、鏡の前でようやく結論が出た。丸刈りにしよう。髪よりも夢だ。それを健太にも見届けてもらおう。彼がしてくれたんだし、今しかできない事に全てを捧げよう。

 櫛で長い髪を梳かし、お気に入りのポニーテールにする。もうしばらくこんなことは出来なくなる。何度も解いてはいろんな髪型に結ってみた。

 丸刈りにする前に、一つ思いついたことを実行するため健太に家まで来てもらった。
「ねぇ健太、私丸刈りにすることに決めたよ。」
「凄いな…。とうとう決断したか。」
「でも丸刈りになったら、私から離れて行っちゃうかもね…。」
「そんなことないさ。こんなに勇気のあるさっちゃんは立派だし、俺も坊主だから。」
「ありがとう。でもその前に健太に一つしてもらいたいことがあるの。」
「?俺に出来ることならなんでもするけど…。」
 
 そこで私は新聞紙を頭から被り、椅子に座った。そして健太にハサミを手渡した。
「健太に私の髪を切ってほしいの。」
「えっ!?さっちゃんの髪を俺が?この場で坊主にするのか?」
「ううん。うちにバリカンはないから、適当に短く切って。その後昨日の床屋さんへ一緒に行こう。」
「そんな…本当に…いいのか?」
「うん。やっぱりいきなりこの長い髪を坊主にされるのは辛い。それよりも、その、だ、大好きな健太に切ってほしいから…。」
 
 思わず大好きなんて言ってしまった。今まで告白したことなかったのに。自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。同時に健太も赤くなった顔で
「分かった。じゃあバッサリ切っていくから。」と言って私のポニーテールを解いた。
 
 髪を触られただけで心臓がバクバクする。今から健太に私の髪を切られる。自分から言ったこととは言え、複雑な気持ちだった。健太も褒めてくれたポニーテールがこれから切られる。健太は今どんな気持ちなのだろう。

「どのあたりで切ればいい?」
「う~ん、そうね…と、とりあえず首のあたりで切っちゃって。」
 櫛で私の髪を丁寧に梳かしてからハサミを入れた。ジョキジョキと鈍い音を立てて。健太は長い髪をそっと床に置いた。それを見て泣きそうになったが堪えた。ここで泣いたら健太を困らせる。

 だが目に溜まった涙を健太は見逃さなかった。
「さっちゃん、大丈夫?やっぱりやめておこうか?」
「ご、ごめんなさい。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ。続けてよ。」精一杯声を振り絞った。
「分かった。続けるね。」
 再び首筋ではさみを開閉し、ジョキジョキと切っていく。後ろの髪を終えると、今度は横の髪に取りかかった。少し迷った健太は、耳の上にハサミを入れた。

 しばらくして耳が出される。耳が真っ赤になっている。恥ずかしい。横を切り終えたら次は前に移動した。
「前髪はどれ位にしておく?」
「あまり短いのは嫌だから、眉毛のあたりにしておいて。」そう言ったものの、坊主にされるのだから関係ないことに気づいた。でも変な前髪で床屋さんに行くのも嫌だ。

 長い前髪もバッサリ切られ、視界が急に開けた。その後は適当に切っていき、なんとかショートカットが完成した。案外悪くない。
「健太、辛いことさせちゃってゴメンね。でもありがとう。何だか吹っ切れたわ。」
「本当に俺が切ってよかったのか?」
「健太だからいいのよ。床屋さんに全部切られるのは何だかね…。」
「そうか。じゃあいよいよ床屋に行くか?」
「うん、そうね。行こうか。」

 昨日訪れた床屋さんに着くと先客がいた。中学生ぐらいの女の子が座っていた。床には大量の髪。あの子も長かったんだろうな。運動部にでも入るのかな。

 お姉さんはバリカンを襟足に入れる。自然と食い入るように見た。刈り上げにするんだ…。女の子の「あっ」という声が聞こえる。お姉さんは構わずバリカンで刈り上げを作っていく。後ろが終わると、耳周りにもバリカンを入れる。

 やがて短く刈り上げられたショートカットが完成した。襟足が短くなっている。その襟足を何度も触り、恥ずかしそうにその子はお店を出て行った。

「あらいらっしゃい。昨日のお嬢さんね。あれ、自分で切ったの?」
「はい。あの、彼にやってもらいました。」
「まあ凄い。それでどうするの?ここまで切ってきたと言うことは、やっぱり丸刈りにするの?」
「はい。覚悟を決めてきました。お願いします。」
「よく決心したわね。それじゃあご注文通り丸刈りにするけど、長さはどうするの?」
「長めがいいかなって思うのですが…。」
「せっかくなら彼と同じ0.5ミリにしてみない?髪なんてすぐに伸びるし、最初に短くしておけば次からも抵抗なく丸刈りに出来るわよ。」
「そうなんですか?それなら…彼と同じ0.5ミリでやって下さい。」
「うふふ。じゃあ準備するから待っていてね。」
 
 お姉さんはバリカンをセットし始める。心臓がドキドキいっている。いよいよこれから丸刈りにされる。昨日の健太みたいにされる。ここまできて急に髪が惜しくなった。今ならまだ止められる。ベリーショートぐらいで誤魔化せる。

 けれどそれでは何も変わらない。野球部に入れないし、私のために丸刈りにしてくれた彼の立場がない。でも…。
 
 ここまで来てまだ動揺している自分が恥ずかしかった。それが収まらないうちにケープをかけられ、お姉さんはバリカンを構えた。
「あ、あの、ちよっと待って下さい。」
「なぁに?止めるの?」
「いえ、そうじゃなくて、あの…最初のバリカンだけ…彼に…やってもらってもいいですか?」
「いいわよ。その方が安心するかもね。健太君、彼女のお願いよ。最初だけやってもらえる?」
「いいですが…俺バリカンなんて使ったことないですよ?」
「簡単よ。おでこにバリカンをあてて、ゆっくり動かすだけよ。君にやったようにね。」

 健太は神妙な面持ちでバリカンを手にした。スイッチを入れる。振動に驚く健太。
「じゃあさっちゃん、バリカン入れていくぞ。」
「健太君、お願いします。」
 健太は優しく前髪を掴んで、バリカンを額に当てる。バリバリと変な感触。冷やっとする。そのままバリカンを動かす。振動とともに、髪が刈られていった-。

 
 その瞬間、涙が零れた。悲しいのか、健太にやってもらえるのが嬉しいのか。自分でもよく分からなかった。

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