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デモとコロナ検査のシンクロ度合い.1

HOME 最新記事 ワールド NY州知事クオモ「抗議デモ参加者はコロナ検査を」  最新記事アメリカ社会 NY州知事クオモ「抗議デモ参加者はコロナ検査を」 感染拡大を懸念 2020年6月5日(金)10時39分 

ニューヨーク州のクオモ知事は4日、米中西部ミネソタ州で発生した白人警官の暴行による黒人男性死亡事件を受けた抗議デモが新型コロナウイルスの感染を拡大させる可能性があるとし、デモ参加者に検査を受けるよう呼び掛けた。ニューヨーク市で3日撮影(2019年 ロイター/ANDREW KELLY)

定例会見で、同事件について「私も激しい憤りを覚える」とし、デモ参加者に共感を示す一方、ニューヨーク州では推計3万人がデモに参加しており、「多くの人がマスクを着用しているものの、ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離)は取られておらず、警察官と直接対峙している。デモに参加するのなら検査を受けてほしい」と強調した。

ただ、抗議デモによって新型コロナ感染拡大の懸念が高まったとしても、州内の段階的な再開が妨げられることはないと述べた。

またマスクなどを着用する人が増えたことにより、州内の感染拡大が大幅に抑制されたと指摘。新型コロナ検査で陽性反応が出た人の割合は過去6週間で26%から2%に低下したほか、入院者数も減少傾向にあると語った。
[ロイター]

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人のことは、大きなお世話だが、これだけの人間が同時に集まって、このコロナウイルス禍において、感染しない、というリスクは排除しているのだろうかという心配は、取り越し苦労なのだろうかと、こちら(日本人から見た所見)が試されていのか。いまのところ、それによって罹患したアメリカ人の検査結果が陽性だ、というデータ記録のニュースはどこにも出ていない。

すでに、あれから相当数の日数が経過し、世界パンデミック騒動は、まったく収まらないが、人間意識として、それにいつまで呪縛されない、という人の心理まで規制させるな、という現れなんだろう。(そのコロナ禍とアメリカ黒人差別デモは、関連付けされていない)

現況ではさらに米中の、いがみ合いは持続し、それ以外の他国は辟易しているが、コロナ禍とそれは並行して進むのだろう。このまま進むと、戦争が起きそうな気配だが、過去の例からすると、それは部分的な戦争で、その動機はなにかといったら、どちらかの恣意的理由に他ならない。これは推測の域でしかないが、大統領選挙絡みだとすれば、戦争を仕掛けて勝利することは、西洋的価値観からすると、それが得点に結びつくというのは、結果論として記録されている。しかし、今回の場合、そのリスクは歴史的にも大きすぎる。(そんな事態にもし陥った場合、世界はそれをどのような立ち位置で俯瞰すればいいのか、という、そのどさくさ感覚を整理できないだろう)。

画像 ケンドリック・ラマーが、水曜日(5月30日)米コロンビア大学で開かれたピューリッツァー賞の授賞式に出席し、2017年春に発表した4枚目のスタジオ・アルバム『DAMN.』で、ヒップホップ・アーティストとして初の同アワード音楽部門受賞者となった。

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ピューリッツァー賞(英: Pulitzer Prize)は、アメリカ合衆国における新聞、雑誌、オンライン上の報道、文学、作曲の功績に対して授与される賞。新聞出版業で財を成したハンガリー生まれのアメリカ人、ジョーゼフ・ピューリツァーの遺志に基づいて1917年に創設され、現在はニューヨーク市のコロンビア大学により運営されている。

21部門で賞の授与が毎年行われ、うち20部門で受賞者には賞状と現金15000USドルが贈られる(2017年の1万ドルから上乗せとなった)。ジャーナリズムの公益部門(英語版)における受賞者には、金メダルが授与される。

ニューヨーク・ワールド(英語版)紙の発行者だったピューリツァーは、1903年4月10日に死後の財産のうちコロンビア大学にジャーナリズム学部を創設するために200万ドルを寄付する協定にサインしたが、そのうち50万ドルをピュリッツァー賞にあてるという条項があった。

ピューリツァーは記者の資質の向上を願い、やがてコロンビア大学のジャーナリズム学部はミズーリ大学コロンビア校やノースウェスタン大学メディル・ジャーナリズム学院と並ぶ三大ジャーナリズム学部の一角となるが、ピューリッツァー賞は彼の思惑以上に権威を持つことになる。ピューリツァーが自らニューヨーク・ワールドで語った内容によると、「社会的不正義と当局の汚職の摘発こそ、審査を貫く基準である」と語り、その基準によって「公益」部門を最上の賞として金メダルを設定した。そのため、権力側が隠蔽していた不正の報道による受賞は、1992年の時点では全体の40%を占めている。

ピューリッツァーの対象となる部門は、遺言を元に当初9部門の賞が設定された。すなわち、ジャーナリズム部門が公益、報道、社説、新聞史の4つ、文学が小説、伝記、アメリカ史の3つ、「戯曲」が1つ、そして「ジャーナリズム学部の発展と改善」をテーマにした論文の1つを賞の対象とした。しかし、新聞史は1918年度のみ受賞者が出ただけで以後取りやめとなり、論文に至っては応募がまったくなかったため、これも中止された。1922年には「時事漫画」が追加され、1942年には「写真」分野も追加される。また取材対象の広がりにあわせてジャーナリズム部門は細分化し、写真分野も1968年に特集写真部門とニュース速報部門の二つに分割された。

また、文学も加重されていき、1922年には詩が追加され、1962年にはノンフィクションを追加、さらに小説分野はフィクションに改められ、対象の分野を広げた。1943年には新たに音楽のジャンルも追加されている。

1975年まではピューリッツァー賞の最終的な選考はコロンビア大学の理事会が決定していたが、理事会には財界人がしばしば名を連ね、関連する記事の受賞に反対することが度々あった。これはピューリツァーの精神とは完全に外れた行為であったため、現在では理事会は審査にはまったく関わることはできなくなっている。

1981年に「ジミーの世界」虚報事件が起こった。

賞金は開始当初のもので、公益が金メダル、アメリカ史が2,000ドル、その他1,000ドルとなっており、その後一律で1,000ドルとなった。その額は物価の変動に関わらず長い間据え置きとなり、1989年に3,000ドルに引き上げられた。2017年時点で賞金1万ドル、さらに今後は1万5000ドルへと上昇した。

ピューリッツァー賞はメディア内の全該当作品を自動的に考慮するのではなく、具体的に応募されたものだけで選考を行う(各部門応募ごとに75ドルの参加料が必要)。 応募は、特定の賞部門の少なくとも1つに該当している必要があり、単に文学的または音楽的であることでは応募資格を得られない。作品はまた、その性質に関わらず、最大2部門にだけ応募することが可能である。

ピューリッツァー賞理事会によって毎年102人の審査員が選ばれ、賞の21部門に対してそれぞれ審査員20人が選考を務める。 1人の審査員が写真賞も両方推薦する。ほとんどの審査団は5人組で構成されている(公益、調査報道、解説報道、特集記事、論説部門を除く、こちらは7人)が、文学書籍の審査団は全て最少メンバーが3人である 。各賞の部門で、審査員は3件の最終候補推薦(ノミネーション)を行う。 理事会はその推薦候補から過半数票をもって受賞者を選ぶ、もしくは推薦候補を無視して75%の多数決をもって別の応募作品を選出する。 理事会は、受賞者なしにする投票も可能である。理事会とジャーナリズム部門の審査員は、この活動を無償で行う。 しかしながら、文学、音楽、戯曲の審査員は年間2000ドルの礼金を受け取り、各議長は2500ドルを受け取る。 ウイキペディア


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