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大幅円安の中の「日本のマスク」

racoco

日本人マスクと政治スタイルの酷似性

引き続き、政治の話題をしようと、今朝の記事を閲覧してみました。たまたま「毎日」記事の見出しに、それらしい誘い文句があったので、それについて意見したいとおもったのです。

まず先に目についたが「なぜ日本人はこれほどマスクを着けたがるのか。そのルーツは何か。」という編集記者の視点でした。

その要点はこんなことでした。

◆近代のマスクの原形は1836年に英国で登場した。元々、呼吸器を患う人のために開発されたもので、鼻と口を布で覆い、布の中に格子状の金属が入った構造だった。患者が着用すると、温かく湿った空気を吸うことができたようだ。これが日本に輸入され、その後は国内でも製造された。1880年ごろまでには都市部で広がったという記録がある。~~

と、それが医学的な回答です。ですが、それと「日本人マスク」論は根本的に違う、と考えるのは果たして間違っているのでしょうか。

当初は、マスクをしないで外を歩くと「白眼視」されましたが(いまでもそれは変わらない)、状況は大幅に緩和されたはず、でしたが、都会の横断歩道を見る限り、世界に冠たる日本マスク社会とその政治スタイルの酷似性ではないかとおもったのです。

結果論的にやらないよりやった方がいい理論にとれますが、その、なんと申しますか、繊維(アナログ)と不繊(デジタル)マスクの性能の差、は論じられないまま、その間をすり抜けるというミクロ世界は、やっぱり「富岳」にしかわからない世界なのでしょうが、そんな科学的論証はちっとも訊かれないし、メディアもそのことについては精査してない、及んで社会も問うてはいないので、それはそれでナア~ナア~でいいのでしょう。

それで、日々の食料品買い物にいくと、そのスーパーでは連日連夜、朝昼晩、マスクをしろしろと天井で「ジャズ音楽」と交代でアナウンスしている。

「こいつ頭おかしいんじゃねえの」、とおもったら最後、それはあんたの事でしょ、と返り血を浴びてしまう日本システムは油断も隙もない。

ましてや官公庁指令の「かん口令解除」と、そのスーパー店内のマスク着装アナウンスの決定的なズレは、誰が埋めているのでしょうか。

そんなことを漠然と考えていると、その「人の顔色をうかがう岸田首相」というフレーズが、妙によみがえって、まるでそのマスク論を一言で代弁しているような錯覚に陥った、のでした。(これも返り血の憂いか?)

でそのマスク代替論は、当事者の安部さんでもないし、ピンチヒッターの菅さんでもない、まさしく岸田さんを置いて外にない。

訊けば「アーウー総理」を尊敬するという大平正芳元首相ら自民党宏池会の政治家などに、玄人受けする人材だったというのです。

それでいえば大平氏は「三角大福」の中にいて、とくに目立った存在ではなかったが、後の評価語録では、ずば抜けた実績を誇ったという。(官僚評)
「人は見掛けによらないもの」と、私も云われたことがあるが、この場合においてはスケールがまったく異なることは間違いないです。

再考、「人の顔色をうかがう岸田首相」は疑いのないことか

それを簡潔に云ってみれば「付和雷同」のことで、みんなと一緒に手を携えて、ということになるのでしょう。だから一概にわるいことではない。しかしこの場合は、「日和見している岸田さんが気に入らない」ということと理解しているので、別の論点で論じてみたいのですが。

じゃそれが氏の専売特許かといったら、一概にはそうとはいえないし、云ってる本人、書いている記者、はたまた読んでいる読者が、そうではない一人、唯我独尊かといったら、そうとはいえない。むしろ、平均値的に均したスタンスで発言し、行動することで社会に同化することは民主主義の基本姿勢に換言されるでしょう。

だからその塩梅で、どちらに拠るか、その度合いの僅差を語っている訳でして、巷間、「ひろゆきさん」にしたって、極論を述べているわけではなく、ごくまっとうな理論展開をしているはずですが、ある人によっては気にくわない。その差じゃないですか。

ある話で、スタートアップする起点の発起人を誰にするか、という大問題がありますが、アメリカ例でいったら、「二人」合議でスタートしている場合が多いです。その筆頭がGoogleのブリンとペイジの二人でした。
その詳細は語りませんが、二人というのは、一人ひとりの意見を尊重し合議の結果、一つのスタイルが完成するという好例です。いいかえれば民主主義の基本スタイルでしょう。
その点、日本人は古来より君主政治に従属し、さらに「儒教」という教えが意識を固定化していて、なかなか民主主義に変換できていない。その折り合いをつけるのが付和雷同とか、日和見という自己を滅して大道に準ずるという仕方を選んだのでしょう。

そこで自分の場合を回顧してみると、ある難題が発生したとき、それを誰に相談するかです。適当な人をいろいろ想定しますが、結果的に「私このみ」を選んでいる場合が多い。
だから、それを何十人選んだとしても結果はおなじで、解決の糸口に至らない。それは自己肯定する人を選任していることに他ならないからです。

そのことが判っていない自分ですから客観視していないという結論です。そんなことは、あとで知る結果論ですから、初めの一歩、というのは探し出すのが大変だったという自己弁護です。

哲学のない岸田首相 「聞く力」とは言えない

中島岳志・東京工業大学教授 毎日新聞 2022年6月16日
 岸田文雄首相は、自分がトップリーダーなのにさまざまな人の顔色をうかがい、一貫性がない。この国をどこに持っていきたいのか、就任から8カ月以上たっても分からない。岸田氏が尊敬するという大平正芳元首相ら自民党宏池会の政治家には、確かに聞く力はあったが、世界はこうあるべきだという哲学があったうえで、多様なものを吸収していた。岸田氏には哲学がなく、翻弄(ほんろう)されているに過ぎない。それは聞く力とは言わない。

 支持率が比較的高いのは、安倍晋三元首相、菅義偉前首相の横柄な態度が若干弱まり、財務省中心の安定的な政治にシフトして、落ち着いて見えるからではないか。安倍、菅両氏は人柄が支持されていなかったので、それよりはましということだ。第1次安倍内閣後の福田康夫政権と似ている。以下割愛

世界標準「マスク=日本人」

「マスク=日本人」世界に浸透 なぜ外さないか
宇田川恵毎日新聞 2022/6/19 08:00(最終更新 6/19 13:02)
 感染状況が落ち着き、政府はマスクを外しても構わないという場面を例示したが、マスクを着けている人が多い。なぜ日本人はこれほどマスクを着けたがるのか。そのルーツは何か。マスク史に詳しい住田朋久・慶応大大学院社会学研究科訪問研究員に尋ねた。【聞き手・宇田川恵/オピニオングループ】
元々はファッションアイテムだった 
部分引用

画像アルトネ 遮られる世界 パンデミックとアート 椹木野衣<63> 【連載】マスクの緩和 以前の状態に戻るか 「仮面社会」の到来か| アルトネ

アルトネ


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サルトルの自・問・自・答。エマール・サルトルは、フランスの哲学者、小説家、劇作家。右目に強度の斜視があり、1973年にはそれまで読み書きに使っていた左目を失明した。自分の意志でノーベル賞を拒否した最初の人物である。実存主義は無神論的実存主義を唱える。