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政治(憲法)とますます乖離する社会の犯罪

政治憲法と乖離する社会はその犯罪に無関心?

■選挙政治に無関心ではなく、とても関心はあるが、「どれもこれも写真がウザいよね」といったような外見判断が主で、そのマニフェストについては、まったく読んでいない(しらじらしくて読む気になれない)と思われた。ましてやこの度の与党自民党のダーク色を越して真っ黒な内部残滓が暴露され、その体質が安倍氏の政治姿勢にも起因していたという内外暴露で、にわかにに日本政治そのものの体質が問われ始めた。

冒頭、7月10日のその「参院選」に関連する記事についてのコメントとして書いたつもりだ。

それ以来、安倍氏銃弾殺害した「山上」容疑者25歳の名と写真がSNSに載らない日はなかった。(考えようによっては容疑者=犯人既成事実化のおそれもある。そしてすでにいまでは社会的に犯人化している)。

そうした経緯を逐一ここで推理小説のような筋論を書くのが私の使命ではなく、ましてやライターキシャという任務に程遠い身として、これは素人記事の駄文でしかない、と念を押しておく。

そんな思いに至ったのは、彼らが「ジョーカー」(隠れヒーロー)だからだ、という新聞記者の主観論で書かれていたからだ。またその分け方として道化師「ピエロ」に置き換えてもいいとおもう。それは間違いではないと思う。

違った形容するなら「アウトロー」的人格者で、社会に対して反抗的な態度ということになる。

■〈ジョーカーは 何故なぜ ジョーカーに 変貌へんぼう したのか。何に絶望したのか。何を笑うのか> ジョーカーを想起させる、孤立を背景とした凶悪事件が後を絶たない。昨年10月、東京・京王線の電車内で乗客を刃物で刺し、火を放ったとして殺人未遂容疑などで逮捕、起訴された服部恭太被告(25)は「仕事を辞め、友人関係も薄れ、死刑になりたかった」と供述。事件時に着ていたのは、ジョーカーに似せた衣装だった。
昨年12月に26人が犠牲となった大阪・北新地の放火殺人事件を起こした谷本盛雄容疑者(当時61歳。事件後に死亡し、不起訴)も、孤立と困窮の末に事件を起こしていた。先月、死刑が執行された東京・秋葉原無差別殺傷事件(08年)の加藤 智大ともひろ ・元死刑囚(39)も職場を転々とし、唯一の居場所だったネット掲示板で嫌がらせを受けたと思い込んだことが理由だった。
約20年前から100件以上の事件で精神鑑定をしてきた聖マリアンナ医科大の安藤久美子准教授(司法精神医学)は「孤立を深め、境遇への不満を他者にぶつける事件は体感として増えている」と指摘する。~~~


など、一部記事を引用した。おしなべて結果論(犯罪犯行は常に結果である)を伝えるのが記者の書くニュースだと、私は考えている。

結果であるから、過去に起きた犯罪は新旧合わせれば膨大な犯罪歴数で、猟奇的事件など、そこに潜む犯行心理は千差万別だった。それらから判ることは、どれ一つとして同じものがないという犯行心理だ。(例外的に冤罪事件もあるがそれには言及しない)。

その「ジョーカー」に限定してみれば、記事内に示した2.3の例に誰もが該当するという精神的病巣が、そこに潜んでいると思われた。あとは、それを実際に行動するか、しないかで、その人間と社会は、コペルニクス的に意識が逆転する場合もある。
そうならないために政治があって、そこから憲法が派生する、と思っているが、その格差というか脈略は、まったくリンクしていない、というのがその「ジョーカー」を生んでいる要因であると思った。たまたま見ていたNHKドキュメントテレビでは、それと全く同じことが日々、日常に起きて今や社会問題化しており、またそのことはハリウッド映画の素材の一つとして取り上げられていると解説していた。
いまではすっかり政治破壊者の代名詞となったトランプ前大統領は、アメリカのシステムが、その経済主導の拝金主義になり果てたと結論している。
もう一つのゲームとして「ジョーカー」と双璧の、「ババ抜き」(フンババ)というのがある。これも異色因子を排他的に扱うのに好都合な表現に違いない。

『ギルガメシュ叙事詩』

その好例がギリシア神話【レバノン森の守護神フンババ】伝説だった。

ギルガメシュ叙事詩』は、古代メソポタミアの文学作品。実在していた可能性のある古代メソポタミアの伝説的な王ギルガメシュを巡る物語。
人間の知られている歴史の中で、最も古い作品。ギルガメシュを主人公とする物語は古くから存在するが、現在『ギルガメシュ叙事詩』として知られているのは前1300〜1200年頃にまとめられた「標準版」(「標準バビロニア語」で記されているため)と呼ばれるもので、新アッシリア時代のアッシュルバニパルの図書館から出土した。
12枚の書版から成る。『ギルガメシュ叙事詩』というタイトルは近代学者により付けられたもので、古来は作品の出だしの言葉を取って題名とする習わしがあったことから、原題は『深淵を覗き見た人』もしくは『すべてを見たるひと』となる。

『ギルガメシュ叙事詩』は古代オリエント最大の文学作品であり、これを英雄譚と称する場合、古代ギリシアの『オデュッセイア』や中世ヨーロッパの『ニーベルンゲンの歌』『ローランの歌』『アーサー王円卓の騎士』などに肩を並べる世界的な物語と言える。

一方、古代オリエント文学とりわけ古代メソポタミア文学界の多くが持つ宗教性と政治性という点は出張っておらず、むしろ世俗的でヒューマニズム的な芸術的感覚が見られるのが特徴とされ、日本文学としての相性も悪くないとされる。口伝を含めてギルガメシュ叙事詩より古い物語はあるが、人間が主人公となり、人間味溢れる物語としては記録に残っている最も古い物語の一つといってよい。多くの人に読み継がれる文学作品として、また、死すべき定めの人間が、また2人1組の関係がテーマになっているという意味では、ギルガメシュ叙事詩は最古の物語だと言える。

現在に残る最古の写本は、紀元前2千年紀初頭、書記学校の生徒たちによって書き写された、シュメール語版ギルガメシュ諸伝承である。シュメール語版の編纂は紀元前3千年紀に遡る可能性が極めて高いが、オリジナルは残っていない。おそらく文字に書きおこされる以前から口承などで伝えられており、叙事詩を構成する個々の題材は、シュメール時代には既に流布していたとみられる。

シュメール伝承を基に、紀元前1800年頃に成立したアッカド語による古バビロニア版は、書記学校の生徒による書写により残っているが、このときすでに後述の「標準版」の筋書きがほぼ出来上がっていたことがわかる。A. Georgeによれば、アッカド語は学校のカリキュラムではなく、アッカド語版は生徒達がシュメール語の勉強の息抜きに書き写したものであり、そのためフワワ(フンババ)討伐の話が人気で最も多く残っている、という。

紀元前1300〜1200年頃の中バビロニア時代(カッシート王朝時代)には、いわゆる「標準版」が成立した(「標準バビロニア語」という文学作品を書くのに使われたアッカド語で書かれているため、そう呼ばれる)。アッシュルバニパルの図書館から出土した「標準版」の奥付には「ギルガメシュシリーズ、シン・レーキ・ウニンニの言葉」と、作者の名前が記されている。前述の通り古バビロニア版と共通する点が多いが、シン・レーキ・ウニンニのオリジナルの部分もある。
たとえば、古バビロニア版の書き出しは(奥付に記された題名によると)「他の王達にまさる者」であることが知られているが、標準版では「深淵を覗き見た人」となっている。したがって、このプロローグの部分はシン・レーキ・ウニンニの創作であろう。また洪水伝説も標準版で挿入された。

また、前二千年紀後半、バビロニア語版がヒッタイトシリアパレスティナで発見されているほか、ヒッタイト語版、フルリ語版が発見されており、ギルガメシュ叙事詩が各言語に翻訳されて各地に広まっていたことがわかる。

楔形文字で粘土版に記された『ギルガメシュ叙事詩』の断片の解読が最初に発表されたのは1872年のことであった。1853年にホルムズド・ラッサム(en)によってニネヴェアッシュールバニパルの図書館紀元前668年-紀元前627年)から発見されていた遺物の1つに記されていた文字を、大英博物館の修復員であるジョージ・スミスが解読を進め、『旧約聖書』の洪水物語に酷似した「(『ギルガメシュ叙事詩』第11の書版に当たる』)大洪水」部分を見つけたのが始まりである。
この発見は大きな旋風を巻き起こし、スミスは自らニネヴェ発掘を繰り返すと、次々と叙事詩を構成する書版を発見。解読が進むにつれその文学性に注目が集まり、19世紀末には更に研究が進んだ。その後、スミス没から15年の時を経た1891年に、1人の研究者が登場人物の名を「ギルガメシュ」と初めて正しく読むことに成功する。以降1900年の独訳を嚆矢に各国語への翻訳が進み、各地の神話・民話との比較が盛んになる。1930年にはセム語を用いた『ギルガメシュ叙事詩』をカムベル・トムソンが刊行し、それが後の翻訳に関する全ての基盤となるとともに、各著者によって叙事詩の改訂増補が成されていった。

和訳は矢島文夫により完成し、1965年山本書店から、その33年後には文庫化に伴い、『イシュタルの冥界下り』を加えた増訂版がちくま学芸文庫として筑摩書房から刊行された。
和訳にあたって矢島版からは性的表現が削除されている。また刊行後の半世紀以上のギルガメシュ叙事詩研究で明らかになった成果は反映されていない。現在では月本昭男訳(1996年)が一般的である。この他にも『ギルガメシュ叙事詩』とする書籍は複数に渡り出版されているが、多くは物語として成立するように各言語のテキストを充足しながら編成されているため、史料的な翻訳書であるとは限らない。

物語

ウルク市の王ギルガメシュは、強き英雄であると同時に暴君でもあった。その横暴ぶりを嘆いた市民たちの訴えを聞いた天神アヌは、女神アルルにギルガメシュの競争相手を造るよう命ずる。
アルルは粘土からエンキドゥを造り、ウルクから離れた荒野に置いた。エンキドゥははじめは自分の使命に気付くことなく荒野で獣たちと共に暮らしていた。しかしある時、巫女からギルガメシュのことを聞き、仲間が欲しいと思い喜び勇んでウルクに向かう。仲間を求めるエンキドゥと、近々やって来るエンキドゥという男と友人関係になることを夢で見ていたギルガメシュ。2人は顔を知る前から互いを意識していたが、ギルガメシュが国の花嫁を奪い去るという噂を耳に挟んだ瞬間エンキドゥは憤激し、出会って早々、大格闘を繰り広げる。結局のところ決着がつかず、2人は互いの力を認め合い深く抱擁を交わして親友となった。彼らは常に行動を共にし、様々な冒険を繰り広げる。昔日の暴君とは異なるギルガメシュと、野人としての姿を忘れ去ったエンキドゥはウルクの民から讃えられる立派な英雄となっていた。だが、冒険の果てに彼らを待っていたのは決してかんばしいものではなかった──。

資料「ウイキペディア」部分掲載 文


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