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宇宙の星はすべて「過去の光」

宇宙の星はすべて「過去の光」、地球から太陽までは、何光年ですか?

いまさら、小学生女子からの質問に応えてみました。

地球と太陽の距離は1億4960万kmあります。それで光の速さは毎秒29万9792.458km(光速原理)で、光が1年かかって到達する距離を1光年です。それを電卓で計算すると9兆4600億kmです。

さらに地球と太陽の距離を1光年の距離で計算すると、0.00001581光年、分単位になおせば8分19秒。太陽から出た光は約8分後に地球に到着するというアインシュタインの話しです。

そんなことは掛け算九九と同じに、学校でならいましたよね(やったやらないという江戸瓦版の話は別として)

だから、その光速度と同じように、いくら「宇宙の果て」からといっても、時間がかかりますが、ただ遅れる時間が長い、ということであって、実際は見えるんです。ただし、それがいつだったか、という過去、未来のタイムスパンですが、じゃ、今の時間は、宇宙のどこなのかといったら誰も知らない。ただ「天の川銀河」という一定の座標があるので、それを基にして図っているとおもわれるのです。

それで判ることは、光の不可逆性で、前にしか進まない、という宇宙摂理(現時点で、後に新説が出る可能性もある)で、未来は見えない、という宇宙物理学です。
ですので、人間が見ている宇宙の姿は、過去の出来事なんです。そこで質問がありました。

私が生まれる前のパパとママは、私が生まれた後には生まれないのでしょうか? という子供の質問。

■親殺しのパラドックス
親殺しのパラドックス(おやごろしのパラドックス)は、タイムトラベルにまつわるパラドックスで、SF作家ルネ・バルジャベルが1943年の著作 Le Voyageur Imprudent(軽はずみな旅行者)で最初に(この正確な形式で)描いた。英語では grandfather paradox(祖父のパラドックス)と呼ぶ。すなわち、「ある人が時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺してしまったらどうなるか」というものである。その場合、その時間旅行者の両親のどちらかが生まれてこないことになり結果として本人も生まれてこないことになる。従って、存在しない者が時間を遡る旅行もできないことになり、祖父を殺すこともできないから祖父は死なずに祖母と出会う。すると、やはり彼はタイムトラベルをして祖父を殺す。このように堂々巡りになるという論理的パラドックスである。
このパラドックスは当事者の誕生の不可能性にだけ注目したものではない。むしろまず第一に、時間を遡るタイムトラベルを不可能にするあらゆる行為を考慮している。パラドックスの名称は単にそのような様々な行為の代表例にすぎない。他に、タイムマシンの発明に繋がる科学知識を特定し、その時代に遡って(殺人などの手段で)その科学者の仕事を妨害してタイムマシンが発明されないようにするという例がある。哲学においてはこれと等価なパラドックスが autoinfanticide と呼ばれていて、時間を遡って赤ん坊時代の自分自身を殺すというものである。このパラドックスは時間に逆行するタイムトラベルが不可能だとする証拠として使われてきた。しかし、パラドックスを避けるための様々な仮説も提案されてきた。例えば、過去は決して改変できないという考え方では、祖父や親を殺そうとしてもその試みは失敗し、相手は必ず生き延びるとする。あるいは、過去へのタイムトラベルは別の時間線を生み出すだけで、その時間旅行者が生まれた時間線はそのまま残っているという考え方もある。『出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

企業がつのる「スタートアップ」は現代版タイムパラドックスか

■「求む“起業家会社員”〜ソニーと14人の学生たち〜」NHK放送日: 2022年1月29日 ソニーが前例のない人材確保作戦に乗り出した。現役経営者や起業経験のある「起業家精神」あふれる学生を集め、新規事業プランを競わせる選考会を開催。その舞台裏に密着。 冒頭引用

この番組を目を皿のようにして観ていた学生諸君と、これから、その人材を確保したいという、日本の上場企業数千社?あった、と半ば誇大な見出しをつけてもおかくしくない、良質な番組であったことは、いうまでもありません。

学生諸君も、なかなかのもので、現役CEOもいたようで、そこでアブラを売ることなく、すぐさま市場獲得に奔走したい人材も見受けられました。

まあ、それはそれでタイムリーな企業側(それとテレビ局)企画コンセプトとは思ったのですが、では一番肝心であった学生諸君の懐には、何が秘められていたか、というシークレットは、さほど期待できるものではなかった。
というのも、学生諸君は、高学歴者という一定のリテラシーはあったと推定されますが、その知識は、現況社会知識であり、はたまた企業ノウハウであり、もっと云えば家庭社会としての「親」のカテゴリーを逸脱しない、程度のキャパシティーと換言されないでしょうか(それ以外の想定予想もありますが比率が低い)。
学生諸君の「プレゼン」をみて、そんな印象を受けたことは否めませんでした。

それはとても課題難題で、明日の日本の使命が託されているとなると重圧です。
そのプレゼンの様子は、当然のようにデジタルで処理され、顧客へのトークや接触はアナログですが、ほぼ90%がデジタルで賄っているのが印象的でした。印象的、という形容もこの場合、合っていませんが、まだまだ企業サイドとしても完全デジタル化が、なされていない、という視点で観れば、そんな意見になってしまうのです。

一番判りやすい例として「マイナンバーカード」の移行例で、すでに施行されて時間が経ちますが、全世帯に浸透していないという不手際は、やはり行政の手落ちでしょうが、やはりデジタルアレルギーがあると思います。

そうしたことが社会に波及していて中々デジタル化しない。やはりそれは、社会時世が大きく関係していて、日本高齢化層が、それに対応できていないという現実がある。

では社会的なデジタル化、とはどんな事なんでしょうか。わたし個人の身のの廻りで説明してみましょう。といっても私の日々生活は、ほぼデジタルで済んでいますので、その中でアナログは何か、というのを説明しましょう。

通信(メール)類は全部デジタル。複雑な行政書類(特許出願、選挙候補準備「一部アナログ指定」)などで、印鑑指定(だいぶ省けた)、銀行支払いはすべてネットバンク(手数料あり)で、窓口での取引はなし。

そのほか、いろいろありますが、そうした諸々の扱いの金銭また書類は、考えてみれば一つの「概念」であり、金銭にしても、もともと「石」だったり「金」だったり、一つの「物体」でした。それが取扱量が多くなったり、遠距離だったり、それでは不都合なので、軽易な「紙、硬貨」に代替したという歴史があります。
だから今では、その紙さえも、デジタル印字で代替してますから、億とか兆の金であっても一瞬にして世界を飛び回る時代です。

それと「ビットコイン」のように「仮想通貨」が出てきて、それは完全にアナログを排したデジタル通貨です。現況の通貨も、その仮想にはならないが、その流通手順は、デジタル化するでしょう。
そうなれば世界インフラは、すべてオンラインで取引されるようになる。ただ、前述したように、高齢者社会の日本では、それが遅々とすすまない、という現実に阻まれているということです。

そうした考えの延長線上で「企業が求めるスタートアップ人材」をつのった場合、コペルニクス的発想転換(むしろそれは企業側であり、日本社会の伝統的呪縛感)、そこから抜け出すには、簡単なことではないというのがよくわかります。

冒頭示した、地球と太陽の距離を1光年の距離で計算すると、0.00001581光年、分単位になおせば8分19秒、という宇宙の普遍摂理は、どういじっても変わらない。
ただ、月につけた「足跡」は、後何億年も残るでしょうが、それを発見して、喜び驚くのも人間ですから、不可逆は、その中で痕跡は残せるという期待は、捨てることは出来ないでしょう。

画像 | WIRED.jp


編集構成// #つしま昇




続編は、昨日の「聖徳太子」の実像さがしです。


















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