才能もセンスもない。だけど常に「わかりにくい天才」でありたい
以前ツイッターにこんな漫画をアップしました。まずは読んでみてください。
「わかりにくい天才(2019年制作)」
努力は必ずしも実るとは限らない
この漫画では「音楽」をテーマに扱っていますが、他の物事に例えても十分ありえることだと思います。
私は絵も音楽もやっているのですが、自分の事を天才だと思ったことは全くありません。
なぜなら絵のフィールドでも音楽のフィールドでも常に身近に「天才」と呼ばれる存在がいたから。私はいつも二番手、あるいはそれ以下だったように思います。それでも、凡人なりに努力を重ねてもがきながら、時には良い結果として残せた事もありました。その経験のせいか、「努力してれば必ず報われる」と信じ込んでしまいました。
しかし、次のステップに進めば進むほど、「ただ努力をするだけでは結果は実らない」ということを痛感し、かなり苦しみました。
今まではがむしゃらに頑張っていればうまくいったことも、ステージが上がるごとに次第にうまくいかなくなりました。
他に得意なこともなく、取り柄もない私はいつしか「人よりちょっとだけできる音楽や絵」に縋りつくような形で取り組むようになってしまいました。常に私の心には「音楽と絵がない私には価値がない」と悲観する気持ちがありました。
「楽しむこと」を忘れていた
そんな生活が続いたある日、
「こんなに頑張っているのに結果は出ない。私は天才じゃないんだ」
とこぼした私に対して、
「本当の天才は、努力すること自体を「私は頑張っている」なんて思わないし、それすらも楽しんでやってる奴のことなんだよ。」
と言われた事がありました。
この言葉に私はハッとしました。
思い返してみれば、私は物心ついたときから絵を描くことが好きだった。あのときはまだ「誰かと競い合う」という気持ちもなくて、ただひたすらに楽しいから描いていたのだと思う。
「競い合う」「比べられる」ことを経験して、いつからか私は「楽しむ」ことを忘れていた。
そんなことを振り返りながら、多分私に今足りていないことは努力よりも「楽しんで取り組む」ことなのではないかと思いました。
わかりにくい天才
最初に言った通り、私は「わかりやすい」天才ではありません。
生まれ持った才能も圧倒的な技術もセンスもない。ましてやずば抜けた能力なんて夢のまた夢です。私のことをパッと見て「こいつ天才だ」と思う人はまあいないと思います。今でも他人と比べて落ち込んでしまうことはぶっちゃけかなりありますし。
でも、物事に対して楽しんで取り組む「わかりにくい」天才には今からでもなれると思っています。もちろん努力は惜しまずに、楽しんで取り組んでいく中で自分の能力を磨いていければと思います。
その過程で本当の意味での「天才」になれたらサイコーじゃないですか?
落ち込むこともあるけれど、わたしは常にわかりにくい天才でありたいです。
まとまりないけど、終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。
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