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自分自身から解き放たれる旅 5 <スエズ運河→ヨルダン ペトラ>

「叩き壊して生まれ変わる」ガラス造形作家が、作品制作に浸りきる生活から離れ、日常の全てを放り出し、未体験の環境下で、自分自身の内と外、過去と未来、そして、宇宙とじっくり対話するための旅。

2015年10月〜11月
ベネチアからギリシャ、スエズ運河を抜けて
ヨルダン、インド、シンガポールまで海路で巡る4週間の旅その2

文明や宗教ってどんなところで生まれてきたんだ!?
今そこでは、人は何を食べ、何を着て、どんな暮らしをしているんだろう?

ネット上の『情報』で、分かったような気になるんじゃなくて
その場の文化や空気を自身の目で見て体感して、そこに暮らす人と触れ合い
今までの自分の生き方を叩き壊す時間にしたい。
という思いを携えて旅に出た。

スエズ運河

ヨーロッパから海路でアジアに向かう際に、
アフリカ大陸の南端を回らず近道するために掘られたスエズ運河。

砂漠の中を水路が突き抜ける。

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気が遠くなるような、人間の作業を想像してしまう。
ピラミッドや万里の長城のような膨大な数の人の手による仕事。

1869年に開通した運河は、仏英やイスラエル、米露までが参加して、
于裕曲折しながら、やっとのことでエジプトの国営になった経緯がある。

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アジア、アフリカの支配から得られる収益に対するヨーロッパ諸国の執念って、ずっと変わらないんだなぁ。

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ラクダのキャラバン隊が砂漠を越えて運んでいたモノと人が
今はこの運河を、大型船で膨大な量が行き交う。


ヴェネチアからギリシャ、そしてエジプトという文明の地は、距離的にとても近いのを体感する。

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時代時代で、攻めに行ったり、攻め込まれたり、栄えたり衰退したり、お互い大きく影響を授受しながら文化や産業、生活スタイルを発展させたんだ。

極東の島国、日本は長い間、中国を通して外界からの影響を受け
その後の鎖国で、独特の文化を発酵させてきた。
そのおかげで、独特な文化を花開かせることができたに違いない。

ペトラ(ヨルダン)

スエズ運河を越えてアカバ湾を北上し、陸路でペトラ遺跡へ。

紀元前からスパイス交易の拠点として栄えた砂漠の都市 ペトラに向かう。
暑い砂漠の中を遺跡までの道はココしかない。
途中、壮大な生きているかのような形の岩の間を進む。

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異なる砂が気の遠くなるような時間の中で積み重なった山。
大量の鉄砲水が鋭いナイフのように削り取った不思議なカタチ。

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何度も何度も大量の水により削られた砂の山。

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アメリカから来ていた人が「アンテロープキャニオンが巨大化したみたい。」と叫ぶのを聞いて、行きたかったアンテロープへの興味が突然に萎む。

と、目の前に突然姿を表すエル ハズネ。

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想像してたよりも断然デカイ!!! 高さ40m以上。
古代ギリシャの影響を受け、砂岩の山を人力で掘り抜いて作られた巨大な建造物 。

2000年前、これを掘らせた人は、各地から来る商人たちに
「ドヤ〜見てみろ、オレって凄いだろ !!!」と誇示したのだろうか!?
今で言うとドバイのブルジュ ハリファや上海の上海中心、東京都庁?って感じかな。
間違いなく立派な建造物ですが「オラオラ」が大袈裟すぎてチョット恥ずかしい?!
インディージョーンズの映画で有名になったんだよね。

その奥に、紀元前からキャラバン隊の中継地として栄えた大規模な街の遺跡がある。

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栄華と夢の跡、過去に多くの人の暮らしがあった証し。
何度かの大地震や水害で放棄された街は、そのほとんどが未だに発掘されていない。

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これだけの規模の街をつくるってことは相当に豊かだったんだろうな。
当時、住んでた人達はどこに行った?

オマーンヘ

この後、紅海を南下してオマーンヘ向かう。

紅海を抜けたソマリ沖では、2010年頃をピークに海賊による襲撃が相次いでいた。
当時は、タンカーや貨物船が海賊に乗っ取られたので、各国が軍隊を出しエリアの安全を守るための活動が行われ、日本からも海上自衛隊が参加した。

その後は海賊発生件数は激減したが、今も多国籍部隊による警備活動は続けられている。

「すしざんまい」の社長が海賊にマグロ漁を教えて漁船を与え、獲れたマグロを買い取った結果、海賊がマグロ漁師に転向したっていうのは、ビックリの実話。

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