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アカウントを消さずに旅立った水くさいヤツ

#キナリ杯 #思い出 #ICT #スマートフォン

Y子は、どうやらこの世からいなくなったらしい。
LINEにメッセージを送っても返事がない。
黙って旅立ったのはY子らしい。
引っ越した時に新住所も電話番号も、「教えるの忘れてた」というくらいのヤツだったから。
連絡する間隔が年単位な時もあったから。
それで音信不通になっても、気がつくと30年間の付き合いになっていた。

大阪に実家があるY子は、広島で2年働いて地元に戻って行った。
携帯電話がなかった頃だから、文通なんてことをしていた。
筆不精なY子はなかなか手紙を書かなかったが、年賀状と暑中見舞いは欠かさなかった。
電話はあったけど固定電話、おまけに長距離電話なので電話代がかさむ。
Y子と電話で話した覚えはほとんどない。
待ち合わせの場所を確認する時だけ、電話で話していた気がする。

わたしはなかなか携帯電話を持たなかった。
わたしが携帯電話とiPadを持ったはいいが、使いこなせずもたくさ格闘している間に、Y子はさっさと携帯電話を使いこなしていた。
 わたしがモバイルを装備するまでは、パソコンのメールと携帯電話のメールで連絡をとっていた。

お互いネットネイティヴじゃないので、メールに即レスしなくても既読スルーでも全く気にしていなかった。腹が立ったことや言いたいことがあれば、勝手に一方的にメッセージを送っていた。
「本当の友達だから、即レスしなくても通じ合っている」なんてかっこいいものではない。
お互い面倒くさがりなので返事をする気がなかったら、メッセージが来てもほったらかしにしておいた。
即返事が欲しい時だけ、「都合が良い時返事して」とメッセージの最後に添えていた。

わたしが体調を崩して寝込んでいたときに送信したメールの返事が、
「検診でがんが見つかった。これから検査して手術する」だった。
Y子に何を返信したのか覚えていない。
「なんて言っていいかわかんない」とでも返信したのだろう。
そのあとメールで話題にするのは、進路や職場のことばかりだった。お互い病気をしても、治った・治療中など経過報告はしなかった。

ある時「腰が痛いと思ったら、がんが転移していた」とメールの返事があった。
Y子はいつも通り、それからどうなったかは話さなかった。

最後にあったのが3年前の12月。
Y子のうちに久しぶりに泊まりに行った時だった。
その時初めて面と向かって、お互いの病気とうまくいかない人生の話をした。
全部「たられば」の話だ。
あの時別の治療を受けていれば・あの時パワハラ上司に会わなければ・あの時仕事をやめなければ。
2人とも前向きな話は一切しない。励ましもしない。
ただ後ろ向きな話を吐き出すだけ。
アラフィフのおばさんに必要なのは明るい話がひとつもない、ひたすら後ろ向きなことを吐き出す時間だ。
お互い面と向かって後ろ向きなことを話したかった。だからLINEのメッセージはただの近況報告や、日常でむかつくことを垂れ流すだけだった。
他に拾った子猫が15歳のおばあにゃんになったこと、正社員で働かない非常勤でゆっくり働くライフスタイルのこと、テレビを見ないY子にイマドキのタレントの説明をしたことなど、
だらだらとコタツに入っておしゃべりをしていた。

その後もLINEで、応募する論文のことや仕事先の相談をしていた。
締め切りが近いらしく、わたしたちにしてはメッセージの往復は頻繁だった。
ある日LINEにメッセージを送っても返事がこない。
いつもの既読スルーと思っていたらいつまで経っても返事がこない。
既読すらついていない。
最後に会った時、「腰が痛いから、また治療しなきゃいけない」と言ってたことを思い出した。
多分、勝手なわたしの予測だが、先が長くないことを知っていたのだろう。

あわててこの世から旅立ったから、スマフォのデータを消し忘れたんだろう。
きっと持っているパソコンも、データを消してないんだろう。
パスワードがかかってるから、誰かが覗く事はないだろう。
Y子の親族はICTに詳しくないらしいく、きっとそのままにしてあるんだろう。
だからわたしがいまだにメッセージを送っても着信している。
でも既読はつかない。

時々自分がしんどい時、Y子のLINEにメッセージを送る。
季節の変わり目と年始にもメッセージを送る。

返事はないけど、なんとなく気が楽になる。
お互い一方的にメッセージを送りつけていた頃を思い出す。

ババアの世迷言に付き合ってくれて感謝感激雨霰。 スキしてくれたら、中の人がめっちゃ喜びます。