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勉強の仕方がわからない-本屋と図書館がない地域で育つということ

#本 #本屋  #図書館 #勉強 #思い出

本屋と図書館がない町で育った。
当時の新興住宅地は「人が住む所」が目的だったので、集会所はあっても図書館がなかった。
人が住む場所を作ることしか、考えてなかったのだろう。
だから「本を借りる」のは小中高の学校にある図書室だけで、「図書館で勉強する」意味は全くわからなかった。

本屋といえば文房具も一緒に売っていた。近くのショッピングセンターの本屋には、週刊誌と流行雑誌と小中高生の参考書やドリルが置いてあるだけ。学問をする本は売っていなかった。
繁華街に紀伊国屋があったけど、置いてあるのは専門書より流行小説や漫画雑誌のたぐいだった。

東京に引っ越して、近くに区立の図書館があることに驚いた。本が無料で借りられる。専門書から流行小説や雑誌まで。ここになければ取り寄せができる。電子書籍がない時代、たくさんの本が無料で読める。うれしくて引っ越した当初、図書館に通ってばかりいた。

近所の書店は地元の書店と変わらないが、新宿・池袋など繁華街に「本屋」がたくさんあった。専門書のコーナーがあり、文豪のコーナーがあり、規模の大きさに驚いた。本屋で時間を潰すのが、これほど楽しいこととは思わなかった。

残念なことに本屋と図書館がない町で育ったから、「本屋と図書館で勉強する」ことがわからなかった。勉強をする場所はファミレスかファストフードの店だ。勉強といっても受験勉強や課題をこなすだけだ。「勉強する」、これがどういうことなのかわからなかった。勉強といえば学校で出された宿題のことしか頭に浮かばなかった。

通っていた長崎の大学院は、大学の図書館は地域住民に解放していた。専門書学術書は大学なので当然取り揃えてあった。もともと家政科があったので、料理や洋裁などのテキストや資料は趣味レベルではなく、学問として手に職をつけるための本格的な本だった。

浮世絵・洋画・写真集など、普段手に取ることができないものを、ただ眺めるのが好きだった。禁帯出なのだが大きさを考えたら、絶対うちに持って帰ることができないけど、よからぬ考えのものが無理やり持ち帰ってはいけないので、あの赤いラベルをつけて正解だった。
セバスチャン・サルガドの「人間の労働 大地」を見ることができたのは、本当にラッキーだった。

その大学の学生でなくても簡単な手続きで入館できて、夜の10時まで開館していた。図書館には勉強するスペースがあり、大学の近くに住む中高生がいつも勉強しにきていた。学部生用には個室の勉強スペースもあった。

歳を重ねるごとに図書館を利用することが多くなった。勤め先の図書館、自治体の図書館はフル活用している。ICTを導入しているから、文献検索も簡単にできる。中高生の頃に住んでいた町に、図書館があったらと今でも思う。
勉強の仕方が分かっただろうし、思春期のモヤモヤも、読書で発散できただろう。ちょっとは今よりまともな大人になれたかもしれない。

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オンナオンフィフおひとりさま道


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