「機能不全家族」という言葉がなかった時代の話ーゆんぼくん
この作品が世に出たのが1989年~1997年、ひとり親の子育て支援がまだ行き届かなかった時代の物語。この時代はもちろんアルコール依存症対策もなかったし、児童福祉や貧困対策も充実してなかった。
ゆんぼくんの作者・西原理恵子さんは高知の貧しい漁村で生まれ育ち、実父がアルコール依存症で義理の父がギャンブル依存症で借金癖がある、機能不全家族で育った方だ。ゆんぼくんの舞台は人里離れた山の集落、場所は違えど西原理恵子さんの幼少期に育った環境に似ている。自然に囲まれた集落に住むのは両親揃って仕事があって、子どもが子どもでいられる家族だけじゃない。
この漫画は、人目のつかない集落に住む、ワケありの母と息子のゆんぼ・アルコール依存症の父と息子の小出くん・真っ当な仕事についてない父親と息子の横田くんが登場人物。小学校はあるけど、3人の男の子がまともに通っているのかどうかは怪しい。役場なども出てくる様子がないので、行政が介入するには遠すぎるところにある集落という設定だろう。
小出くんにはアルコール依存症の父親だけ、横田くんにいたっては両親がいるのかどうかわからない。ゆんぼくんは父親がいないだけで面倒を見てくれる母親がいて、いたずらをすれば叱られる。だけど小出くんと横田くんは、典型的な機能不全家族の中で育っている。小出くんはお父さんが有り金全部お酒に使うので、給食費が払えないことが度々あるけど、絶対にお父さんを責めることはない。酒浸りのお父さんの世話をして反抗しない、親の世話に追われる小出くんはアダルトチルドレンだ。父親を責めることなく、自分のやりたいことや希望を話すことなく、頼まれたことは断らない。小出くんは反抗期に必要なエネルギーを父親の世話のために無くしている。小出くんのお父さんは、まるでずっと息子が自分の世話をするものだと考えているようだ。
両親がいるのかどうかわからない横田くんは、いつも荒ぶっている。まだ反抗期を迎えてないゆんぼくんと、おそらく反抗期を迎えることがないだろう小出くんは、おとなしくて優しい男の子。
「不良になってやる、悪いことをしてやる」と荒ぶる横田くんは、誰に向かって怒っているだろう。横田くんは自分の環境に腹立たしいけども、子どもだから何もできない。その苛立ちをぶつけようにも、山里では不良になりようがない。今だったら子ども食堂や児童保護施設などでケアしてもらえるだろうが、この時代とワケありの山里にはそんな施設も人もない。
ゆんぼくんは成長して反抗期をむかえる。いつも通りの会話がケンカ腰になっていく。素直に返事ができない。子どもだって反抗期の自分の言動に戸惑う。楽しかったことがつまらなくなっていく、大好きな人が大嫌いになっていく。
母親は息子の反抗期の言動に動揺するどころか、「いつかはこういう日が来るから、しっかりしなきゃ」と、一人息子と決別する心の準備を始める。動揺せず一人息子が成長していく様を、口喧嘩しながら見守るお母さん。男の子は時期が来たら一人でどこかに行ってしまうもの、とお母さんは考えているように見える。
小出くんの父親はアルコール依存症、横田くんは両親がいない。親離れしようにもこの二人の男の子は、反抗期を迎えることもできない。
機能不全家族は子どもの成長だけでなく、自立も妨げる。
男の子から少年に成長したゆんぼくん・小出くん・横田くん。ゆんぼくんが親離れをするのは、家出という真っ当な方法。でも小出くんと横田くんは突然親がいなくなり、放り出されるように世の中に出ていく。保護されるべき未成年なのに、制度がない上に行政の介入もない。小出くんと横田くんは行き場がないけれど、住んでいた集落から出ていかなければならない。
機能不全家族に育った上に、親に捨てられる体験を持つ小出くんと横田くん。おそらくまともに生きていけず、早々に他界することになるだろう。外に出れば優しいふりをした大人だらけ。生きていく知恵がなければ、騙されて命を落とすことは簡単に予測できる。家出したゆんぼくんは、飯場を渡り歩いて生活費を稼ぎ、年上の子持ちの女の人と出会い所帯を持つ。そして自分の母親の住む集落に帰る。
お母さんは生きているかどうかわからない。お母さんが「ゆんぼを産んだのは家族が欲しかったから」と独り言を言ったように、ゆんぼくんも家族が欲しかった。
一人で生きて方が絶対に楽だ。子どもの面倒は見なくていい、嫁の機嫌を取らなくてもいい。何より自分が食べていけるだけの稼ぎがあれば、それでいい。
男女問わずそれでも家族を持ってしまうのは、なぜだろう。