見出し画像

サッカーという娯楽

Jリーグが延期となった週末。たまには、鹿島以外のことについても書く気分になった。なにを書こうか迷った挙句、23歳の自分にとってサッカーがどんな存在かを考えてみようと思った。

【今の自分にとって「サッカー」とは】

結論から言おう、今の自分にとってサッカーは「娯楽」だ。

厳密に言えば最高の。仕事でもなんでもない、ただの娯楽。その延長に自分のTwitterやnoteが存在する。たまにスタジアムに行く程度で、ほとんどDAZN観戦だ。そんな自分にとって「サッカー」とはどんな存在なのか。時系列で振り返ってみる。

【プレーヤー】

自分は高校までがっつりプレーヤーとしてサッカーをやってきた。時にはプロを目指していたこともあった。実際に同級生には現役のJリーガーもいるので、「ああしてたらプロになれたのかもな…」とかも考える。現在は社会人となり、めったにボールを触ることもなくなった。プレーをするのが嫌いなわけではない。ただ、割と観るのが好きなタイプかもしれない。たまにボールを触ると感覚が鈍っていないか心配になるときもあるが、それが全く鈍らない。もちろん、フィジカル自体は衰えているので使い物にならないが、感覚は不思議なくらい残っている。上手くないなりに(笑)

この現象には高校サッカーが影響している。自分の通っていた高校は今年優勝した静岡学園にインスパイアされたサッカースタイルを志向していた。特別強いわけでもなかったが、中学時代にボカ蹴りサッカーをやっていた自分にとって、新しいサッカーの楽しみ方を教わった。ボールコントロールを中心に、プレーヤーとしてボールを扱うことを覚えた。正確には沁みついた。戦術も糞もない個人技術のスタイルだったので、そこは後悔が残るが、この楽しさを知ったことを大人になって心底よかったと思えている。感覚が鈍らないからこそ、たまにサッカーをやろうと思うし、体が楽しさを覚えてくれているのだ。

【指導者】

卒業後、大学では指導者ライセンスを取得して、「職業」としても考えていた。小さい頃から戦術や采配が好きな子供で、周囲の友達とはあまりサッカーの話が合わなかった。「あいつ移籍したらしいね~」とかぐらいの友達にマニアックな話をするのも面倒だった。自分でやって指揮をとってみたいという欲はあったものの、熱量には欠けていた。ライセンス取得後、「普通にサッカー観ていたほうが楽しいかも」と思うようになった。これに気付けたのはある意味よかった。指導者の道に進まなかったことが自分にとってとても腑に落ちている。

【娯楽】

そうして、サッカーが徐々に娯楽になった自分はTwitterである方のツイートに衝撃を受けた。その方はJリーグを見ながら、試合で起きている配置や現象を分析してツイートしているのだ。「こんな人がいるのか!」と興奮し、Twitterを探検していると思いのほか沢山の戦術クラスタの方がいた。これまで、自分の周りにはいなかった層のサッカーファンがいて、どこか仲間を見つけた感じがした。そこからパダワンアカウントを作った。

【現在】

パダワンを名乗りだして約1年。質は大したことがないものの、試合を観てそれについて発信することが楽しくなった。そして、なによりコミュニティに出会えたことが財産である。鹿島サポもさることながら、様々なサッカーファンと繋がる機会が多くなった。仕事ではエリートでもなんでもない23歳の居場所が増えたのだ。今では自分で作った繋がりに自信を持っている。最近では、発信者としても見本になるような人たちから沢山勉強させていただいている。こうして、小さい頃からやってきたサッカーが自分の人生における娯楽として残っているのだ。凄く誇りなことで、サッカーを始めさせてくれた両親には感謝しかない。

ってなわけで、今回はサッカーは自分の娯楽となりましたよ~って話。今後も暇があれば雑談として投稿していこうと思う。

画像1


この記事が参加している募集

部活の思い出

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?