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唐突にストリップ処女を捨てた話

 かねてより気になっていたストリップに処女を捧げた。ストリップ劇場というのは新しく建設ができず、今あるものが無くなれば見られなくなってしまうという話を聞いて前々から行きたい気持ちがムズムズしていた。銀座にあったキャバレー・白いばらに結局閉店まで足を運ぶことができず、多大なる後悔をしたことに思いを馳せる。

 コロナが流行る何年も前だが私は一時期書店のイベントに「サクラか?」というレベルで行きまくっていたことがあり、そのときに話すようになったのが当時三省堂書店有楽町店のカリスマ書店員である新井さんだった。彼女がストリッパーになったという事実は風の噂に聞いていた。コロナ禍に入り、自分自身も転職したり環境が変わったりなどしてなかなか劇場に足を運ぶ機会に恵まれなかった。

 2023年のGW明け、コロナは第5類になってインフルエンザと同じ扱いになった。その日は学生時代の友人とごはんを食べてお茶をして解散した。そのまま書店にでも寄って帰るつもりだったのだがふとツイッターを見ると新井さんが香盤表を上げており、それを見た私は「あれ?もしかして行けちゃう?」ということに気付いた。

 こうして劇場に行くわずか20分前に私のストリップ処女喪失が決まった。右も左もわからない私は池袋ミカド劇場のスタッフさんに何度もシステムの内容を聞き(本当にありがとうございました)小さな劇場の隅にちょこんと座った私はスポットライトの下で肢体を露わにする新井さんにただただ圧倒された。

 醒めるのが恐ろしくなるような、美しい夢のようだと感じた。3000円払って入った暗幕の向こう側が現実だったと未だに信じがたい気持ちが渦巻いている。当初は新井さんだけ見てそそくさと帰る予定でいたのだがせっかく来たんだし、の気持ちが勝ってしまって最後の踊り子さんまで鑑賞してしまった。

 アイドルのようなダンスを披露してくれる踊り子さんもいれば、しっとりとした曲でドレスや着物を他靡かせる踊り子さんもいて、それぞれに個性があって飽きることがなかった。そして彼女たちが股を開いて見せてくれるそれは皆一様に美しかった。エロい気持ちには一切ならず、ただただ美術館の絵画のようなそれに寧ろ神々しささえ感じた。人はあの神々しい場所から生まれてくるのだと思うとなんだか不思議な気持ちになった。

 劇場にいるスタッフさんもお客さんも、皆紳士で優しかった。あとから入ってきた私に席を譲ってくれたおじ様、また来てくださいねと声をかけてくれたスタッフさん。地下アイドルのライブのようにペンライトで応援するお客さんもいた。空間全体が暖かな空気に包まれていた。

 夢から醒めた私は電車に揺られながら現実との境を彷徨っていた。自分の言葉で伝えきれないのがもどかしいのだが、ストリップはひとたび足を踏み入れてしまったらもう一度、と思わずにはいられない魅力あふれる場所だ。令和にひっそりと残る昭和の香り。年々劇場の数は減っており、今にも壊れそうな箱で踊り子たちが毎晩脚を開いている。

 今度行くときは身ひとつで訪れたことのない土地の劇場に行ってみたい。女のひとり旅の目的が女の裸。実現するかどうかわからない妄想は、私の気持ちをここではないどこかに連れていってくれる。

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