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さよなら iPhone ハロー nothing phone.

iPhone を Android に変えた。

それにしても、nothing phone (1) の LEDのライトがリンゴへのオマージュだと感じるのは僕の考えすぎだろうか。

iPhone だけでなく,Appleを昔から使い続けてきた身にとっては、今回の決断は自分としては大きな変化だと思っているのでここに書いておく。

それまで使っていたのは、iPhone SE の第一世代のもの。その片手で扱える小さなボディをポケットから取り出すと、ときどき人から「何年使っているんですか?」と半分笑われながら尋ねられることもあったけど、それは別に僕にとってそれを使い続けるという意思に疑問を抱かせるものでは全くなかった。むしろ、僕はその小ささを好んでいた。

僕にとっての最初の iPhone は、2011年の秋に発売になった iPhone 5 だった。最初の iPhone が発売され、Apple信者や新しいもの好きな人たちが iPhone を使い始めてもう4年半経っていたことになる。それまでは深澤直人さんがデザインした INFOBAR 2 を使っていて、基本的には一度買ったら壊れるまで使うのが自分の信条でもあるし、iPhone より iPod をずっと持っていて、iPod touch という wifi に繋がるモデルでSNSとかも出来てたから、あまり電話と統合する必要が無かったので iPhone にする理由はそれほどなかった。でも、5 の発売がアナウンスされた時、さすがにいよいよ機が熟したということで iPhone に変えたのだと思う。iPhone 5 は、オリジナルの iPhone よりボディも少しだけ大きくなったけど、それでも片手で操作するに適当なサイズだった。手にしてみると、Apple 製品の殆どに見られるマテリアルとそのアッセンブルの隙の無いディテールを含むデザインと品質が手にずしりと感じられた。その後、iPhone はどんどん大きくなって、それに抗うように僕はこの 5 を2020年1月まで使い続けた。結局、バッテリーがどうしようもなくなって、買い替えるときに、同じサイズの初代SEの中古を買ったものの、やはり現代のOSや要求される処理能力にはどうもディスアドバンテージに感じてきた。でも、先日アナウンスされた iPhone 14 には、すでに mini モデルがなく、13の mini の在庫も少なくなっているらしい。そうなると12の中古モデルか何かを当たらないといけないかなとぼんやり考えていたのだった、数日前までは。

nothing phone (1) という、ちょっと変わり種の端末が出るということは春には聞いていた。そしてちょっと調べるとその存在感は年を取るにつれ冷静になり重くなった僕の所有欲の扉を少しノックした。でも、なにせ Android だ。個人的にずっと Apple プロダクトを使い続けている身としては、面白いけど自分は買わないだろうと最初から思い込んでいた。Androidの製品は、あくまでも僕から見れば(こういう点については残念ながら僕はとてもピッキーなのだ)端末のプロダクトとしてのクオリティや、Android OS のルックのクオリティに満足できそうにない、という印象を持っていたから。

時を同じくして、それまで比較的安定していた世界の経済バランスが崩れ、一気に驚くほど円安になった。Apple製品はじめ、輸入品はグッと価格が跳ね上がった。新しい iPhone は一番安いモデルでも10万を下らない価格設定になっている。13や12の mini の中古でも驚くような値段で取引されているようだ。そこで僕の頭は思考停止気味になり、もう小さい iPhone という自分の条件がある意味で現実的でないというか、自分の思い描いていた理想と現実のバランスを失っているのだなということだけが理解できたのだった。

ふと、夏に授業で学生に見せた、Apple の 1997年のCM「Think Different」を思い出した。僕にとってMacがイケてたのは、デザインはもちろんだけど、その思想だった。"The computer for the rest of us" という思想だった。いまや、iPhone は控えめに言って「残された人々」のためのものではないだろう。「異端」でもないだろう。その時に、僕の脳裏に浮かんだのは、nothing phone (1) の佇まいだった。

iOSも、Apple製品も、ジョブズと iMac 以降アップルのデザインと品質に大きく貢献した相棒のジョナサン・アイヴがいなくなってから、劇的な進化らしい進化は残念ながら成し遂げていない。大きくなり、早くなり、むしろ過剰さが目立つように僕には感じられていた。そして先に触れたように、価格はすでにユーザーを麻痺させている。それに対して、Android OS は、むしろオープンで統一感があまりない。それは、むしろ好ましい、なんというか、多様であるということの証でもある。nothing は2020年に出来たまだ新しい企業で、ファウンダーのCarl Pei は、いわば若きチャレンジャーだ。当時の Apple のようではないか、そう考えた時、あ、いまこっちかも。と僕の心がささやいたのだった。

自分にこんな変化があった時、僕はそれを実験的に実行してみたくなる。iPhone でなくてはならない理由をまず考えてみる。今や iTunes はないし、ソーシャルネットワークは機種に依存しない。日常的に使うアプリは実質すでに Google に手なずけられているとも言っていいほどだ。あらためて考えてみると、iPhone でなくてはならない理由はほぼ皆無だった。データの移行も今は簡単そうだったし、不安なのは、iPhone に保存されている幾つかのアプリのトーク履歴くらいだったし、どうしても残しておきたいような話があるわけでもなかった。ただ少し気になったのは、その大きさで、いまの iPhone と比べると3まわりくらい大きいのだ、でも僕の気持ちはすでに大きくても良いか、という気にはなっていた。iPhone ももう小さいのは出ない。大きいのに慣れろ、ということだと都合よく理解した。老眼が少し進んできたのもあるかもしれない。そこで、早速 nothing phone (1) の実機が置いてある店舗でモノとしてのクオリティを確認し、そして、その日にそれを手に入れたのだった。価格は iPhone の旧モデルの中古よりも安い位だった。

使い始めて一週間が経って、今のところ、圧倒的に満足感が残念な点を上回っている。懸念だった大きさは、やはりまだ少し苦労する。両手を使わないといけない。でも、まあそのうち慣れるだろう。そんなわけで、iPhone から取り出した sim を、再び iPhone に戻すことはなさそうだ。すくなくとも、しばらくは。


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