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Fragments_20230109

僕の仕事は,年間を通して週休1日だったりすることが多いこともあって盆と正月にまとめて休暇が取れる仕組みになっていて,この時とばかりに長期の休暇を取るようにしている.日本では珍しくクリスマス休暇的なことも可能なので,今シーズンは本当にクリスマス前から成人式まで休暇を取った.ヨーロッパはクリスマス休暇はあっても,年始は2日から普通に仕事だったりすることを考えたら,ひょっとしたら世界で一番長い休みを取ったのかもしれないと思いつつ...

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正月にはスポーツ中継を中心によくテレビを見た.普段はほとんど見ることがないだけに,いろんな気づきがある.CMにもいちいち感心する.ニューイヤー駅伝や箱根駅伝の中継を見ながら「3年ぶりに沿道に観客の姿が戻ってきました」という言葉を何度も聞いた.そうか,今そういう段階にようやく来たのかと.先月,カタールでのワールドカップ中継を見て,日本と隔世の感があるなぁと感じていたから,それと比べると,律儀に外でもマスクを着用して応援する人々の姿を見て,まだまだ慎重といえば慎重,でもそれ以外は確かに賑わいは確実に戻りつつあるのをテレビを通して感じた.

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中国で,急に政府がゼロコロナ政策を転換せざるを得なかったのには,実はこのW杯中継が間接的にではあるが大きな影響を与えただろうというのが大方の見方のようだ.あれ,なんで世界はこんなに普通にサッカー観戦して大騒ぎできてるの?ということに気づいてデモが起き,それが広がった,という嘘のような本当のような話が聞かれる.いずれにしても,中国政府がどれだけ制限しようと,これだけインターネットが発達した世界では,隠しておきたいことも隠せない,ということはどうやら本当のようだ.あとは,それをどれだけ力でねじ伏せるか,ということなのだろう.ウクライナに侵攻したロシアについても,ロシアの善良な(という音葉が適切かどうかはわからないが,とりあえず文脈としては分かりやすい)市民がVPN経由で客観的なニュースに触れて困惑している具合がどれほどのものかと察する.僕のプライベートの英語の講師(ロシア人)もジョージアに逃れている.

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段取りがいい方ではないので,我が家は正月を迎えるための飾りや鏡餅などの準備も,これといって決まったオペレーションがない.子供の頃は田舎の家で餅つきをして,それで大きな鏡餅を作っていたのを思い出す.小学生の頃には父親が「もちっ子」という餅つき機を買ってきて,おおーーと言いながら家族みんなでお餅ができるのを上から眺めたりもした.そういう自家製のお餅は鏡開きの頃には底に青黴が生えて,それを包丁で削ぎ落としてお雑煮を作ったりしたものだった.だから,今でも,本当は「ちゃんとした」お餅を飾りたい,という気持ちはあるものの,もう年の瀬も押し迫って,近所のスーパーでプラスチックのお餅の形をしたパッケージに包装された切り餅がバラバラと入っている「便利な」ものを買って罪悪感に苛まれ,ということも少なくない.全く情けない話だが...それでも今年はちゃんとお餅を買って飾れただけ良かった.

しかし,これだけ脱プラスチック包装をしないとね,という認識が広まっている中でも,こうやって「便利さ」「手軽さ」のために目を瞑ってつい手を出してしまう人はきっと多いんだと想像する.メーカーの人には悪いけど,だんだんあの手の商品が市場で売れなくなる,ということは果たして起こり得るのだろうか?

若い世代は,随分と僕ら世代とは感覚が違うという.スーパーに並ぶ商品の賞味期限を確認し,できるだけ賞味期限が遠いものを奥から引っ張り出して買う世代に対して,若い世代は「手前買い」と言って,賞味期限が迫っているものを買うのだという.こういう動きが先導して僕らの世代が影響を受ける,ようなことが広がればいいのになと思う.

つまり,「便利」や「手軽」という言葉の裏にあるのは,できるだけ手間をかけたくない,ということだから,それだけ忙しい(他にやることがある)ということになる.だから,それに対抗するには違う価値を提示する必要がある.便利さや手軽さで,僕らは何を失っているのだろうか,その中に,ヒントがあるような気がする.

どこで聞いたか覚えてないけど,新幹線開通に沸くニュースを横目で見ながら「早く移動できて,その分短縮できた時間でより多くの仕事をさせられるなんて,愚の骨頂だ」という話は時々思い出す.

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ミヒャエル・エンデの童話「MOMO」は,時間泥棒によって支配された社会から人間に時間を取り戻すというストーリー.こういうことを考えた時にいつも頭に浮かぶのはこの話だ.僕も時間泥棒に支配されないように今年は意識していこう.


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