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フィレンツェ・ミラノ・ベネチア,三都物語,ただし急ぎ足

ローマを早朝の列車で発つと,数時間後にはフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅に着いた.その駅はすぐ目の前に立つ教会堂の名前を冠している.その教会はレオン・バティスタ・アルベルティによるフィレンツェの宝石のひとつである.観光客目線で考えれば,その駅の名前はこの街で一番有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ(フィレンツェ大聖堂)の名前を取っても良さそうなものだが...と彼は考えたが,一緒に列車を降りるたくさんの観光客にごった返す駅のプラットフォームの喧騒に思索はかき消され,彼はそのまま歩いて街の中心部に向かった.

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ガイドブックには,ルネサンス発祥の地とされるこの街の名所がたくさん網羅されているが,若い建築学生だった彼のリストにはいくつかの主要な建築がすでに記されていた.幸い,ここは広島の市街地ですかというくらいすべてが近接しているので,歩いてすべて回れそうだ.すぐに,フィレンツェ大聖堂の姿が,細い路地と高い石造りの建物に切り取られたわずかな空を遮るように視界に入ってきた.正面に立ってまじまじと見上げてみる.ゴシックであれほど細やかな装飾を纏っていた建築スタイルが,ルネサンスになると途端にフラットで平板な表現になる.まるで時代が逆行したかのように.ルネサンスが古代ローマを手本にしたことと,その反ゴシック的な佇まいがどこかで繋がっているのだろう.そんなことを考えながら,周りを一周し,中に入り,その内部空間のスケールに圧倒されながら堪能した後,ブルネレスキが独創的なアイデアで完成させた教会堂のクーポラ(ドーム)への階段を少しづつ登っていく.

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とうとう一番高いランタンの頂部について,ちょうど灯台の展望デッキのような足元の狭いぐるっと一周したバルコニーから市内を見渡す.どの街の教会でも,その多くはこのように今では観光客に向けた展望台としての機能を果たしている.見渡す限りの赤いレンガ屋根.ルネサンス発祥の街とはいえ,その都市の規模はコンパクトで,当然のように歴史的な景観が守られていて,いまでも,中世から近世にかけての街の佇まいが残っている.通りは馬車が通っていた時代のままで,車では却って動きにくいようなそんな街だ.

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これくらいの都市の規模だと,この展望台は彼にとってこれから行く場所のおおよその方向と距離感を理解するのにうってつけだった.その後,彼はオスペダーレ・デッリ・イノチェンティ,シニョーリ広場,ウフィツィ美術館,ポンテ・ヴェッキオ,ピッティ宮など,北へ,南へ効率的なルートで歩いて回り,露店でペンネを食べたりしながら,丸一日を過ごした.ちょうど,大聖堂の裏側に位置する,サン・ロレンツォ教会のあたりでは,テントの市がたっていて,観光客向けに革製品や様々なお土産を売っている.彼は,日本と比べると随分安いそれらの革製品を眺めてみたが,この先の旅のことを考えると無駄遣いは避けなければならないように感じていた.いつも,ぐっと堪えて,の繰り返し.幸い,食事には頓着しないので,お金は割とセーブできていると思っていた.これなら,パリで少し贅沢な食事を一度くらいは出来るかもしれない.

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昼間に露店の軒先で食べたペンネは,少し冷めていたが,フィレンツェの空の下で食べるからなのか,何かイタリアに居るという充実感を彼は感じた.言ってみれば,広島に観光に来た旅行客が,地元お勧めの本当の安くておいしい店で食べるお好み焼きではなく,観光スポットに出店した出店のお好み焼きを食べて喜んでいるようなものだったが,彼にとってはそれは十分なイタリアらしさだった.それにしても,真夏の太陽は石畳の小さな町を容赦なく照らし,さすがに暑い一日だった.日本と比較して乾燥しているからまだマシだと彼は思ったが,ミネラルウォーターの消費量がどんどん増えている.イタリアでガス無しの水を買うのは難しい.殆どがガス(炭酸)入りだからだ.仕方なくガス入りを飲む頻度が増えているせいか,だんだん,ガス入りも悪くないと思うようになっていることに彼は気付いた.ホテルに帰る前に,小さな八百屋で,桃とアプリコットをひとつづつ買った.これが今日の夕食だった.

翌朝,早朝の列車でミラノに移動.ミラノはローマと並ぶイタリアの経済の中心地である.ローマの,ある意味で古代ローマ帝国の遺構の延長にある街の姿と比べると,非常に洗練されてモダンだ.良く知られているように,ファッションやデザインの中心地でもある.ミラノ中央駅は,こっちが首都なんじゃないの?と思うほどのスケールで彼を迎え入れた.ただ,その都市のスケールとは裏腹に,彼がミラノに滞在する時間はわずかしか予定していなかった.気ままな旅とはいえ,30日で出来る限り主要な建築を出来るだけこの目で見たいという欲望は,旅の効率化と,取捨選択の連続だった.ミラノではドウォモと,名画「最後の晩餐」をこの目で見なければならないと思った彼は,直ぐに地下鉄に乗り換えて,ドウォモ(ミラノ大聖堂)を目指した.

ミラノ大聖堂.そのおびただしい数の石で作られた繊細な彫刻やオーナメントを身に纏った建築.ひとつひとつ人間の手で作られたことを想像すると,驚きを超えて戸惑いすら覚える.中世が暗黒の時代と言われていることをこの時代の職人たちはどう思うだろう.領主とそれに仕える民衆.宗教というシステムがもたらす構造.時代を超えて職人の息づかいが聞こえてくるような空恐ろしささえ感じながら,彼はその教会を見て回った.

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ドゥオモのすぐ横につくられたガレリアは,ガラスと鉄でできたアーケード屋根が載る,外部空間のインテリア化としていは最初期のものである.高級ブティックが軒を連ねていた.

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そして,ブラマンテの設計したサンタ・マリア・デル・グラツィエ教会まで歩く.ヨーロッパに来てから歩く距離が半端じゃない.地下鉄や路線バスがあるにはあるが,歩いたほうが街の空気を感じられる気がする.こっちの人は,本当に気さくに声をかけてくる.単に挨拶を交わすくらいのことだが,街の表情というのは,そんな街の人のフレンドリーさも大きく影響しているのだと彼は実感した.

しばらく歩いて,彼はサンタ・マリア・デル・グラツィエ教会に着いた.ミラノに来たからには,ここに立ち寄らないわけにはいかない.補修作業中と知っていたが,どうしても見ておきたかった作品がある.レオナルド・ダ・ヴィンチによる名画,最後の晩餐だ.足場が組まれて照明の影響も最小限に抑えるために暗い室内に,それは神々しく存在していた.この絵画の存在意義とそれに相反する環境の悪さが,また一層この絵画の価値を高めているというのは皮肉だなと思った.近づいても筆致はぼんやりとした輪郭で,子供のころ教科書の写真で見たものと比べても,明らかにぼんやりとした絵に見えたが,むしろ,その幽霊のような絵画の佇まいにこの絵の本質があるように思えてくるから不思議だ.しばらく彼は,その暗い部屋に目が慣れるのを待って,時間が許すまで,じっくりと最後の晩餐と対峙した.

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その後,彼は中央駅に戻ると,僅か数時間滞在したミラノを後にし,列車でベネチアへ.彼の地元広島も,水の都とPRしているが,こちらはさらに本格的な水の都,本家も本家である.ベネチアは,本土から離れた群島で形成されていて,海の中を一本の線路が水に浮かぶようにまっすぐに続いている.鉄道で渡るベネチアの風景は特別だ.サンタ・ルチア駅について直ぐに,目の前で大きなゴンドラに乗り込む.背後に聞こえていたイタリアの駅のアナウンスは,ゴンドラのエンジン音にかき消された.イタリアの駅の放送といえば,どこもマイクの音がつぶれていて,さらにイタリア語独特のリズムと相まって,彼には心地よいサウンドスケープになっていた.気が付けば,頭の中に鳴る音は,駅のアナウンスから有名なイタリア民謡のメロディに変わっていた.これが「サンタ・ルチアね」と思いながら(注:サンタ・ルチアはナポリ民謡だそもそも),ゴンドラはグランド・カナルを蛇行して一気に島の反対側に位置するサンマルコ広場近くの駅まで運んでくれた.

サンマルコ寺院と,その前にひろがる広場.世界の大広間と呼ばれるだけあって,圧倒的なスケールが印象的だ.鳩がいっぱい飛んでいる.広場を取り囲む建築のアーケードには,カフェや,建築デザインの分野で著名なショールームがあり,ぐるっと回るだけでも楽しめる.アーケードの角の銀行で両替をして,彼はこれまで見てきた教会に比べてどこかオリエンタルな香りのするサンマルコ寺院の中に入っていった.

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サンマルコ寺院は,ベネチアが西アジアとの交易で栄えたという史実を証明するかのように,中近東の香りがそこはかとなく漂っている.いわゆるビザンチン文化の影響が強く残る.それでオリエンタルな佇まいに繋がっているわけだ.彼はこの2日で,ルネサンスの教会をフィレンツェで,そして,ミラノの大聖堂はその少し前の中世のゴシックの教会,そして,ここベネチアでは,ビザンチン文化の影響が強いさらに昔の初期キリスト教建築にまで遡って見てきたということになる.500年の歳月を僅か一日で駆け抜けたわけだ.その前のローマを入れると,3日で2000年だ.こんなことが出来るのもヨーロッパ旅の醍醐味かもしれない.

ベネチアに着いたのは午後すでに3時を過ぎていた.西日が広場を照らし出す.彼は,サンマルコ広場を後にすると,小さな路地を辿り,観光客や街の人たちとすれ違いながら歩いて駅に向かうことにした.途中で,建築学校らしい施設の展示会を見つけて入ってみたり,良さそうな土産物屋に立ち寄ったり,そぞろ歩きに楽しい街だ.そのうち,小さな路地を抜けると,駅前の広場まで着いてしまった.今日は夜行でウィーンに入る.イタリアともこれでお別れ.駅の近くの店で,pizzaをテイクアウトして,列車が出る時間まで,駅の近くのベンチに座って食べながら行き交う人を眺めて過ごした.サンタ・ルチア駅から聞こえてくる,例の潰れたイタリア語のアナウンスをBGMにして.(了)

リアルな後日譚(実際の話)
ストーリーは以上ですが,投げ銭感覚で,購入いただいた方にはネタバレ的に旅の背景や思い出,後日譚などをちょっとだけ書き加えています.

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