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農の縁―父のくれたもの

 父が死んでからもう四十年近くも経つのだが、今でも台所の前に立ち、料理を作っているその姿をよく思い出す。
 素晴らしい献立が食卓に並んでいたという記憶はあまりないが、煮魚、焼き魚、刺身、煮物、青物のおひたし、酢の物、豆料理、漬物などからの組み合わせで、海産物の豊富な港町小樽にふさわしい魚中心のシンプルな和食メニューが多かった。
 夫婦共稼ぎで、特に母親が行商で市外に出かけることが多かったせいで、普段の食事を父が作ることは珍しくはなかった。
 町中にあった我が家の近くには、大きな市場があり、父はよくそこに出かけ食材を調達し、短い時間で手際よく調理したものだった。
 そんなわけだから、私の場合は、「お袋の味」として我が家の味を記憶してはいなくて、「親父の味」としての印象のほうがずっと強く残っている。
父はどんな人間だったのか、と今改めて問うてみても一向に明確な答えは出せないのだが、台所で動き回る父の姿以上に父を的確に表す言葉はないのかもしれない。最近ではそんなふうに思うようにもなった。
 親の後ろ姿を見て子は育つ、とは確かな格言で、台所にいる父を見ながら成長したせいか、私は男が料理や家事や育児をすることにまったく抵抗がなく、学生時代から半世紀もの間、自ら率先して家の仕事を担ってきた。
 結婚前の学生時代、女友達とスキーに行くのに、朝飯と昼飯用に、二人分のサンドイッチと握り飯を作って持っていったことがある。
 貧乏学生が食事代を節約するため、朝飯は車内ですまし、昼飯はスキー場のレストランを利用しなくて済むように、自ら手作り弁当を持参することを彼女に約束し、その通り二食分を持参したのだ。早起きが苦手の彼女に代わって、私が弁当係りを引き受け、それを見事に実行したというわけだ。(そのせいもあってか、彼女とはその後所帯をもつことになった)
 またサラリーマン時代、妻の妊娠中、身体を動かすのが特に大変だった時期などは、朝食を作りがてら、自分と妻の昼用の弁当も作り、それから出勤したこともよくあった。
 三十五年前に帰農し、百姓生活を営む今でも、せっせと台所仕事に励む我が身を省みて、これはやはり父親譲りのものなのだろうと、しみじみ感じたりする。この「男も家事をする」という父から無言で受け継いだ心構えは、現在の生活においても大いに役立っていることは確かだ。栽培したものは、食卓の一品として調理し、それを味わうことで初めてその作物としての価値が計れるとの日頃からの想いを、私は自身で料理をして確認しているわけだ。
 例えば、空いた畑にソバを作る農民は少なからず存在するが、そこで収穫したソバを、製粉し、調理し、うまい手打ち蕎麦として自ら食す(ことのできる)農民はあまりいないのが現実だ。調理し素材としてのソバの品質を自ら検証することは、栽培技術の習得や、さらなる向上にもつながる、と私は考えている。
 普段からそんなふうに考えているせいか、百姓仕事の醍醐味は、作物を栽培する過程にあるのは当然のことで、それよりも調理過程のほうに多くあると私は信じている。農的営みの面白さを存分に享受するためにも、栽培だけでなく、加工し調理することも自ら行うことが是非必要だと感じている。
 こうしてあれこれ思い返してみれば、農への転身にも、やはり父から自然に学んだ「料理や家事をする男」という基本姿勢が大きく関係しているように思えてならない。農家の一人娘と一緒になったという運命的なつながりがあるとはいえ、やはり私の性根に及ぶ父親の影響は大きいと思っている。
 今でも私の料理メニューには、父と同じものがいくつもある。それは、手のかかる大層な料理ではなく、簡単に作れてしかもとても美味い、というものばかりだ。
 その中の一品に枝豆ご飯というのがある。これは何のことはない、旬の枝豆を茹でて、茹で上がったら、実だけをほぐし、これを軽く塩もみするか、若干の醤油をかけて、炊き立てのご飯のうえにたっぷりと乗せて食べるだけのものである。料理というにはあまりにシンプルすぎるが、この美味さは絶品としか言いようのないものだ。夏の暑さが食欲を減退させる季節には、この枝豆ご飯の威力は絶大である。薄緑色の鮮やかな枝豆が食欲を刺激すること請け合いで、これに旬のキュウリやナスの糠漬でもあれば言うことはない。父の好きだったこの枝豆ご飯は、私に受け継がれ、そして私によって、三人の子供たちにもその美味さが確実に伝えられた。
 また、特に昼飯など簡単に済ませたいときにうってつけのメニューは、冬季限定の沢庵ふりかけご飯だ。これもシンプルそのものの一品で、沢庵を細かく刻んで、ふりかけのようにご飯の上にたっぷりとかけて食べるものだ。父は漬物には目がなかったが、私も同様だ。そのため、キュウリやナスがとれる夏期は糠床をしっかり守り、冬期用には沢庵漬けを作り、境の季節は、畑のものに合わせて適宜浅漬けなどを欠かさず作るようにしている。
 父といつも食卓を共にしていたことで、父の好みがいつしか私の味覚を決めていたのかもしれない。それほど意識はしていなかったが、やはり私の好むものや作るものに、父の影響が大きく関わっているのは確かだ。父の調理法は、手間をかけずにしかもそこそこ美味い料理を作るという基本スタイルに貫かれていたが、これは、毎日の忙しい生活にあってはとても大切なものだと思う。父と母同様、私と妻も共稼ぎで、妻が外に出ることが多いので、家で仕事をする私が家事全般に関わり、野良からの産物や自ら加工した食品を主にして、手軽でしかもバランスのいい料理を心がけてきた。
 ご飯と具のたっぷり入った味噌汁、そして豆料理と漬物を定番にし、旬の野菜サラダを加え、これに魚類や肉類を適宜選択して組み合わせる。昼食や小昼用には、梅漬けを刻んで混ぜればおいしい握り飯が簡単に出来上がる。自家産パン小麦で焼いた定番の食パンは、栄養たっぷり無添加の全粒粉パンで、おやつにもなり、農閑期には、三日に一度は焼くほどだ。こうして、この地で帰農して以来三十五年、私は野良と台所を直結させながら、父親仕込みのシンプルでありながら十分美味しい食生活を心がけてきた。
 そのせいか成人病に掛かることもなく、また太りも痩せもせず、野良仕事を楽しみながら、しかも食べることも楽しむという極めて快適な農的人生を営んでいる。

 夜、銭湯の帰りに、父はちょっと蕎麦屋に寄って一杯やることがよくあった。、蕎麦を啜りながら、風呂上りの至福の時を過ごしたものだった。
 あれから六十年、田舎暮らしの私は、自分で栽培し、自家製粉し、そして自ら打つ極上の十割蕎麦を腹一杯食べながら、あの頃父と一緒の蕎麦屋で味わったのと同様の幸福な時間に浸っている。
 遠い昔に亡くなって、今ではその顔を思い出すのも困難なっているというのに、幼心に刻印された父の姿やその好みが、今なお私の中で甦り、私の人生とずいぶんと重なるものがあるのを知るにつけ、それは父が私に残してくれた貴重な贈り物だったのだと思わずにはいられないのだ。

 


 

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