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百姓のもてなし

 数日後にお盆というある日の午後、突然五人の老人たちが我が家にやって来た。余りに暑く、炎天下の野良仕事はとてもできず、家でごろごろしていた時のことだ。
 表で大きな声がして、続いて「いるかい」と言いながら、扉を開け男性が顔を覗かせた。どこかで見たような、と、あっ、かみさんの叔父さんの節夫さんだ。後ろにはぞろぞろご婦人たちも。五人そろって姪っ子のかみさんの顔を見に寄ったというが、生憎かみさんは東京に遊びに行って留守だ。先頭の節夫叔父の後方で老婦人四人が口々にわめていて姦しいが、このメンバーと最後に会ったのは、義父の葬儀の時だから、もう十年も前のことかと記憶を瞬時に辿ってみた。
 かみさんの母親は、七人兄弟の長女で、もう三十年前に癌で亡くなっている。叔父さんが言うには、実家の墓参りのついでに、姉の仏前に線香でもと、突如決めて寄ったという。彼らと会ったのは、その葬儀の時と、義父がなくなった十年前のことだ。私にとっては、義理の親戚で、しかもみな遠方の人々ゆえ、普段の付き合いもほぼない疎遠な関係で、突然の訪問にいささか面食らうところもあった。
 普通のおっさんなら、誰もいないんで…、となるところだが、百姓の私の場合はちょっと事情が違う。さあさあ上がって冷たいものでもと、先ずは招き入れる。アポなし訪問で、まったく用意もしてない中でのことだが、とりあえず、自家産蜂蜜入りの冷たい手作り赤紫蘇ジュースを出し、朝とって冷やしておいた大玉トマトを二皿、さらに冷えたキュウリの糠漬けを即座に出して歓待する。
 挨拶もそこそこに、朝取りの枝豆を茹で、ものの五分で、大盛り一笊をテーブル中央に。これで広いテーブルもまずまず埋まり、食べながら話しながらで、何とかなるというもの。
 ここでようやく再会の挨拶をして、互いの近況を語り合い談笑する。長い年月が経ち、皆年を取り、顔かたちが変って、なかなか判別が容易でないが、まあ何とかなると話しながらテーブルに目をやると、先に出したトマトや糠漬け、枝豆は、すでになくなっている。それを見て即追加だ。トマトなど畑の野菜は、いつも朝取りし置いてあり、枝豆は今まさに旬で、これも余分に取ってある。手間のかかる糠漬けだが、お茶請けにもなる優れもので、いつでも食べられるよう冷蔵庫に常備してある。さらに冷たい自家製トマトジュースがあったので、それを出すと、話は一層弾む。続いて、ドライバーの叔父さん以外には、自家産コシヒカリを原料に、昨年暮れ、愛知のメーカーに製造してもらった本味醂と、自家産梅だけで仕込んだ梅酒も出す。するとこれが大受けだ。本味醂の天然の甘味と梅の酸味が絶妙に混じり合い、文句なしにいける味に仕上がっている。
 久しぶりに会った懐かしさと、田舎の手作りの味が相俟って、場は大いに盛り上がり、あっという間に二時間が過ぎていた。東京、大阪、松本からと、お盆という特別な時期に、故郷に集まり、気まぐれな思い付きで突撃訪問したご老人たちを、臨機応変で田舎の手作り美味をもって歓待する。特段に手の込んだものはないが、日常の農的暮らしが産み出す、季節の素朴な味でもてなすことができるのが、我が百姓の特技でもある。自分で作り、加工・調理するからこそ分かる味の本質。三十年続けた暮らしの極意でもある。短い時間だったが、都会暮らしの彼らに、田舎の良さを味わってもらえたことを確信し、笑顔で立ち去る彼らを見送った。これぞ百姓の田舎ふうもてなし、これぞ百姓の面目躍如たる対応で、今日もいい仕事をしたと、自画自賛の気分に浸りながら、遠くに去っていく車を見ていた。


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