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感謝の気持ちでお別れを 旧鹿野公民館まるごとペインティングアート

「中学校の時に、この場所で文化祭を行ったことや、鹿野町として最後の成人式(※)をしたことを思い出します。今回参加する皆さんも、それぞれに思い出があると思います。ペイントをしながら思い出を語り、ありがとうという思いで公民館を見送ってほしい」
実行委員長の倉冨洋介くらとみようすけさんのあいさつが晴天の下に響き渡り、このイベントは幕を開けました。

(※鹿野町は、2003年(平成15年)に徳山市・新南陽市・熊毛町と合併し、周南市になっています)

旧鹿野公民館まるごとペインティングアート。
山口県周南市鹿野地域で6月12日(日)に開催されたこのイベントは、6月末に取り壊しが始まる旧鹿野公民館への感謝の思いを表現するために行われました。

鹿野地域に生まれ育ち、今も鹿野で自営業を営む倉冨さんを中心に、鹿野地域に移住してきた人たちをはじめとした地域住民有志、そして鹿野小・中学校の児童・生徒の皆さんが参加したこのイベントについて、ご紹介したいと思います。

旧鹿野公民館とは

1949年(昭和24年)、社会教育法の施行によって全国各地に公民館が設置されました。当記事の中で「旧鹿野公民館」と呼ぶのは、この後、1967年(昭和42年)5月に新築された公民館になります。

旧鹿野町の広報紙である「広報かの」第164号には、新築されたばかりの旧鹿野公民館の写真が掲載されています。

当時の様子を伝える、広報かの第164号(一部抜粋)

「新公民館の建設は近代感覚の横溢おういつしたアイデアーで内容の完備と相俟あいまって近郷きんごうに誇り得る豪華なものであります」と、当時の広報に語られた旧鹿野公民館。館内には、会議室や調理室、講習室や大ホールなど、さまざまな部屋が設けられていました。

そして自分の感覚では驚きなのですが、旧鹿野公民館には結婚式場としても利用できる諸設備が完備されていました。

建設当時は、中山間地域の若者の式場問題を改善するために「公民館結婚式」が推奨されていたそうです。実際に、旧鹿野公民館で結婚式を挙げたという方のお話もうかがったことがあります。

さらに1978年(昭和53年)に、多様化複雑化する町民のニーズに応じるために新館が建設され、旧鹿野公民館は現在の姿になりました。

向かって左側が1967年(昭和42年)、右側が1978年(昭和53年)に建設された建物です。

このように多くの町民に愛されてきた旧鹿野公民館ですが、時が経つにつれて、しだいに利用する人数も減少し始めていきます。

イベントに参加した小・中学生に聞くと「今までここに来たことはなかった」という声ばかりで、今は住民にとって縁遠い場所になってしまっていることを感じました。

自分自身も旧鹿野町出身ですが、中学卒業後、町外の高校に通学し始めた頃から、旧鹿野公民館には立ち寄った記憶がほとんどありません。

社会人になってから、かつて鹿野地域を拠点に活動していた市民劇団である、劇団「わ」の公演の取材で訪れたことがある程度で、認識の上では、いつの間にか公民館機能もなくなり、使用されなくなっていった……という印象です。

新しい思い出ができました

5月29日(日)、有志により、壁面を青く塗装する作業が行われました。

5月29日(日)に、ペインティングアートのキャンバスとなる壁面が青く塗られ、準備完了して迎えた6月12日(日)。晴天に恵まれた会場には、子どもたちを始め、たくさんの人が集まりました。

手形やスタンプを使った「鹿野の森型押し」や、旧館を風船に入れたペンキで彩る「ペンキ風船投げ」が行われ、公民館を利用したことがないという子どもたちも、「最高」「楽しかった」「風船を投げるのがおもしろかった」と、楽しそうにイベントに参加していました。

5月29日(日)に青く塗装された旧公民館の壁。
鹿野の清流をイメージした青に、魚やカニが描かれました。
若者も下準備からスタッフとして加わりました。
イベント当日、手形やスタンプで「鹿野の森型押し」
結婚式が行われていた場所だからか、結婚式のイラストも。
旧館の壁に向かって、ペンキ入り風船を投げる!

皆さんの思い出

54年の歩みの中で、たくさんの思い出ができました。

わいわいと賑やかに盛り上がるイベント会場の中で、集まった人たちに旧鹿野公民館にまつわるエピソードをうかがいました。

「私たちは新館で最初に結婚式を挙げました。挙式した44年前のことを思い出し、今まで、元気でやってこれたな、これからも元気でやっていこうと思いました。子どもや孫世代が参加するイベントを、これからも応援していきたいです」という人、10歳の時に行う「二分の一成人式」を行ったという人……話を聞くたび、人それぞれの思い出があることを感じました。

自分自身の思い出を振り返ったとき、思い出すのは、中学校時代の文化祭です。生徒ごとにバンド演奏など、さまざまな出し物の発表を行った記憶があります。

自分はそうした出し物の中で、演劇の演者としてステージに立った記憶があります。幼稚園のお遊戯会や、小学校の学習発表会でも舞台になってお芝居をしたことはありましたが、中学生になり旧鹿野公民館の舞台で演じた時は、舞台装置のライトや、まさに劇場のように供えられた椅子が並ぶ空間の中だったこともあり「演劇をしている!」と強く感じることができました。

新館で成人式をしたこともあります。
当時、北九州市の大学に通学しており、スペースワールド(北九州市にあったテーマパーク。2018年閉園)で行われるという成人式の案内を断り、鹿野に帰って懐かしい顔に囲まれる成人式を選びました。

人によっては中学校卒業から5年ぶりの再会ということもあり、鹿野での成人式に参加してよかったな……と思い出します。

この思い出の内容、あれ? と思われた方もいるかもしれません。
実は、自分と倉冨さんは小・中学校の同級生。同じように、中学時代に文化祭を旧鹿野公民館で行い、成人式もこの場所で行ったんですよ。
思い出を共有し、語り合うことができたのも、旧鹿野公民館でこうしたイベントが行われたからに他なりません。

文化祭で演劇をした旧館2階ホール。
2階に向かう階段も、なんだか懐かしい気持ちにさせられます。
旧館床にもアートが。
「ありがとうこうみんかん」という言葉とともに描かれた寄せ書き。

「公民館ありがとうございました!」とみんなで感謝の気持ちを伝え、イベントは終了。思い出を持っている人、今回のイベントが初めての思い出になった人……たくさんの人の心に、このイベントを通じて旧鹿野公民館の存在が息づいたのではないかな、と思いました。

未来はあなたの手の中に

いつの間にか書き記された言葉。

7月2日(土)に、幸いにまだ取り壊し着工されていない状態の旧鹿野公民館を訪れることができました。
あの時の賑やかさが嘘のように静まり返った旧鹿野公民館には、こんな言葉が残されていました。

「過去は変えられない だが未来はあなたの手の中に」

誰かが書き加えたものでしょう。少なくとも、イベントの取材中には見かけなかった言葉です。

多くの思い出をつくり出した旧鹿野公民館という存在は、残念ながら過去の存在になってしまいました。

ですが、これから鹿野地域の新しい思い出となっていくであろうたくさんの出来事は、この言葉のとおり、未来はこれから鹿野地域で生きるみんなの手の中にあるものだと思います。

これからもたくさんの思い出が、鹿野のまちに生まれますように。

旧鹿野公民館位置図

旧鹿野公民館は、鹿野小・中学校や鹿野図書館などのそばに建っています。
これから取り壊しが進み、建物自体はなくなってしまいますが、この付近を通った時には、鹿野の皆さんの思い出が詰まった建物があったことを、ちょっと思い出してくれると嬉しいです。

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