やりたいことがなくても、「やりたいこと」は常に大事であり、訊かれて色々考えちゃった話
「やりたいことはないか。この先どのようになりたいか」という質問を久しぶりに受けてドキッとした話。
不惑と言われるまでになって、まだこの質問に惑っている自分に多少の自己嫌悪を抱きながら、この問いに関する答えはやはり重要であるというように気づく。
若い時に同じ質問をされたときに「〇〇ができるので××をしてみたい」というようなことを言うと、
「『できること』を考えるのではなくて『やりたいこと』を考えたらいい」と言われたことを鮮明に覚えている。
いつのまにか、賢明ではあるとは思うが少し狭い世界に自分を閉じ込めていたことに気づかされた言葉だからだ。
ただ、若いから言われたことであって、正直不惑ともなれば『できること』に着目しないと、
流石に浮世離れし過ぎていると客観的に映るのではないかと考える。
という自問自答を羅列していても「結局何がいいたいんですか?」となるので、ここまでは前置きとしてー--
『いつの年齢になっても「やりたいこと」というのは大事で、
それは、常に持っておくべきものである』
というのが今回、述べたいことである。
最近はそれなりの適齢になったからか、この質問を受けることがほとんどなかった。
私は与えられた仕事をこなす。
仕事が無くなれば、仕事を探して求められるところで仕事をする。
このスタイルで人生を通そうと思っていた。
ただ、子供が3人なのと、家族のケアは今の時代必要なので、相応にワークライフバランスは考えて、というような感じである。
なので、あまり自分が何をしたいかを考えずに生活のバランスがよければ、あとは世間に流されようかな、
と言語化してみるとこんなことを脳内に考えていたのだと思う。
だから唐突に来た「何がやりたいの?」という質問に関し、明確に絞り出せるような言葉は無かった。
ただ普通の会社(個人的には"正常"な会社)というものは個人の現状維持を放置しない。
社員は成長することが前提であるということを考えるものだよな、と再認識した。
年齢的に訊かれることが少なくなっただけで「やりたいこと」を問われるのは当たり前なのである。
そしてその方向と現在またはこれからの立場や業務にズレがあるとき、人は転職を少し考えるのであろうな、と思う。
そういう意味では私は現在の会社にはそれなりにフィットしているのではないかとも考えた。
ただ、現在の会社に合っているが、会社はそんな私にあと20年このままを保証してくれるわけではない。
むしろ、保証しない。より成長して「なんとかせい」と詰め寄ってくる。
その潜在的な会社側の意志をスルーしていた自分に対しての今回のメッセージなのかなと感じた。
どんな状況に関わらず、今働いている場所の動きに備えるためにも、
「やりたいこと」は常に頭の片隅にでも持っておいた方がいい。
それが今の会社で決して叶わないことでもいいと思う。
ちなみに上記の面談で私はやりたいことは特にない、と伝えた。
現状で満足です。
そして、仕事は終わらせるし、簡潔にしていきます。
それで自分の価値が不要になったら次に行くと。
そうすると意外にも「去るな」と言われた。
まぁ、これはどの会社も社交辞令だとは思っている。
結局、どのような人がいなくなっても会社はまわる。世界はまわる。
間接部員は本質的には経費であり、少ない方が助かるというのは会社の本音だろう。
そこを解っているからの発言と意思表示ではあった。
と、いうことを臆せず話す私は、恐らく生粋のジョブホッパーなのだろうな。
皆様は、今の会社で、良い、人生を。