見出し画像

自由の由


「名前は由紀夫にしろよ。」
そう言い残して、船乗りだった父は長い航海に出た。出っ張り具合からだろうか、母のお腹にいたとき私は、この子は絶対男の子だと周りから言われていたらしい。

そして生まれた子供は女の子だった。当時は今と違って海の上の父とは通信手段がない。母はどうしたか。
「えいっ、子にしちゃえ!」
こうして私の名前は決まったのだった。

「由」の字は、父方の親類がみんな背負っている。そして父の名は「由右エ門」だった。わが子にもその字をつけたかったのだろう。なぜ「由」の字なのかはわからない。そんなこと聞く前に父はさっさと逝ってしまったし、親戚付き合いも途絶えてしまった。

「由」へのこだわりはいいとして、なぜ「由紀夫」と決めたのか。父の死後母に聞いたのだが、父は三島由紀夫の大ファンだったらしい。
父は昭和45年の8月に若くして病で亡くなった。そして、三島由紀夫もその同じ年の11月に割腹自殺をしている。
「お父さん、先に死んでよかった。生きてたら相当ショックだったと思う。」
これものちに母が言った言葉だ。

子供の頃の私にとって、三島由紀夫と聞かされてもピンと来なかった。しかも私は父があまり好きではなかったので、父から命名されたことが別に嬉しくもなんともなかった。なので、彼の作品を読んだのは大人になってからだ。もともと読書好きの私は父は三島由紀夫のどこが好きだったんだろう、という思いがふと自分の中に持ち上がって読んでみたのだった。

小説は2、3作品読んでもあまりピンと来なかった。父は三島のどこが好きだったのかもわからずじまいだった。
「特に思い入れもなく名前をつけられた子なんだな。由の字がついてりゃよかったのかな。」
そんな認識のまま名前の由来なんかどうでもよくなってしまった。

それでもいまだに自分の名前を書くとき、しばしば私の脳裏には三島由紀夫の姿が浮かぶ。それはもしかしたら、私が幼すぎてあまり知ることができなかった父の姿を探す作業なのかもしれない(あれ、今これを書きながら涙が出てきた)。

今ちょっとした三島由紀夫ブームである(…と思うのは私だけだろうか)。戦後の日本を憂いた三島が1969年に東大全共闘と激論を交わした時の映像が映画として公開された。おそらく書物も読まれているだろう。没後50年に合わせたか。さらに今、政治がいつも以上にゴタゴタしているせいもあるかもしれない。私自身、小説をちょろっと読んだときよりもたくさん歳を重ね、政治について色々思いをめぐらす人となっている。

三島由紀夫について様々な人が様々なことを言っている。生き様について。耽美的な作品について。政治的思想について(右寄りの人は味方として、左寄りの人は現政権を批判する材料として)。

父が心酔した三島由紀夫はどれだろう。戦地に赴いたことがある父。海を愛した父。愛人がいた父。キザでおしゃれだった父。仕事熱心だった父。見栄っ張りだった父。短い間に私が知り得た父の姿と三島がどこで重なるのか、結局はわからない。

とはいえ私は自分の名前は結構気に入っている。漢字を聞かれるときには必ず「由」の字は”自由の由”と伝える。私にとって、とってもとっても大切なもの、それは何よりも”自由でいること”。何にも誰にも束縛されたくない。

結局自分の名前に込められた父の思いはわからずじまいだけれど、この先も私は自分の名前を書くときに、ときどき三島由紀夫を思い出すだろう。せっかくなので、自分の思考を深めるひとつのきっかけとしてこの名前を大事にしていきたいと思う。

ありがとう、お父さん。

(海が大好きで海軍に入りたかったのに陸軍歩兵隊になっちゃった父のために、海の画像をお借りしました。ありがとうございます。)






この記事が参加している募集

名前の由来

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?