長野遺跡の土器も景色も最高だった件
新潟県三条市に長野遺跡という遺跡がある。新潟で長野、と少しばかりややこしい名前だけど、まあ、そんな名前の遺跡がある。
日本遺産『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』の構成資産?になっているくらい有名な遺跡ではあるけれど、行って見たら、思った以上に土器も景色も最高だったという話。
土器は同じ三条市の下田郷資料館にある。
まずは土器を見て欲しい。長野遺跡の土器が見れるのは下田郷資料館。ここは健康増進のための施設「ウェルネスしただ」(体育館)の2階にある。入り口でスリッパに履き替え、いやが応に期待は高まる。渋いエントランスをくぐり渋い階段を上がると旧石器から展示ははじまる。
長野遺跡からは火焔型土器、王冠型ももちろん、大木に栃倉、様々な土器が出土しているが、どれも出来が良いものが多い。それもそのはず、長野遺跡は5,000年から3,500年前の縄文時代中期・後期の大集落。大集落ということは人が多く、その分土器の精度も高まるものだ。
ここには、竪穴住居址23軒、炉址20基、フラスコ状土坑13基や柱穴、土坑など360基もの遺構が確認されているそうです。
ほら、すごいでしょ。このカッコいい土器たちを脳裏に焼き付け、遺跡に向かう。
車で15分ほどで長野遺跡に着く。車を止め、すでに巨大な岩のある風景が気持ちを高まらせる。
遺跡の景観は完璧だった。
粟ヶ岳、守門岳などの山々に抱かれすぐ近くにはこの200メートルの岩肌がそびえる八木ヶ鼻の絶景。すぐ下を五十嵐川が流れる小高い大地に位置している。遺跡のあった場所は今は田んぼに囲まれているけれど、そのおかげであたりの見通せて、とんでもない開放感がある。
地形図はこんな感じ。
長野遺跡からは、様々な地域の影響を受けたものが多い。
それもそのはずで、長野遺跡は、ここから八十里越を越えて会津地方との交流の拠点のムラだったのではと考えられている。
会津の縄文人が、この八木ヶ鼻を見て、「新潟に来たな」との感慨を抱いたり、さあこれから八十里越だと少しの休憩をしたり。当時の縄文人の行き交う姿を想像する。
ここだけではなく、遺跡は景観の良い場所にあることが多い。長野遺跡をぼうっと見ていると、もしかしたら縄文人が集落を作る条件に、「景観」があったのかもしれないと、どうしても思えてしまう。
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