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『あちこちオードリー』は何かが足りない

『あちこちオードリー』という番組がある。昨年の10月からテレ東で始まった番組だ。

『オードリーのANN』10周年&武道館ライブを成功させ、春日も若林も結婚して 芸人として完全に一つ上のランクに上がり「第二次オードリーブーム」に入った感のある オードリーがメインMC、『ゴッドタン』『キングちゃん』などを手掛ける佐久間伸行がプロデューサーを務める番組で、演者・スタッフ完璧な布陣が揃っていると言ってよい。

佐久間は以前に「千鳥とオードリーの番組がやりたい」(『佐久間伸行のANN0』2019年5月30日の発言より)と述べていたので、その願望が叶ったのだろう。若林と佐久間に親交があり、非常に現場の雰囲気も明るい、楽しい番組に見える。

内容も、土曜の午前にやっているとは思えない、お笑いの最前線の「ウラ」が覗ける番組に仕上がっている。主にお笑い芸人がゲストとして出演し、「お笑いどスケベ」が喜ぶような、ラジオのような話が聞ける。

しかし、この番組は 私の中で「見なくてもよいもの」に分類されてしまっている。

内容は上記で述べた通り、土曜の午前に放送されているとは思えないほどに面白い。

ただ、テレビでやる意味を感じないのだ。
Twitterで視聴した人の感想や ネットニュースに上がっている発言を眺めて「おもしろいなぁ」と満足してしまう。

これは何故なのだろうか。幾つか理由は考えられる。

その内の一つは、ラジオとテレビの中間の形式を取っており、両者の悪い所を寄せ集めてしまっているからだろう。

『あちこちオードリー』を視聴していない人は、是非一度観てほしい。
本当にラジオのようなのだ。演者が「ウラ」の顔でしか喋らない。それは「演者を構えさせない」というMCとしてのオードリーの強みでもある。

だが、この番組では、その特徴が悪い方向にも働いているような気がしてならない。

ラジオにおける、テレビスター達の仕事に対するアツい想いを元にしたフリートークは 「ラジオ」が垂れ流しのメディアであるからこそ成立している。ラジオが(基本的には)トーク内容に手を加えないからこそ、リスナーはそこにテレビスター達が埋め込んだ行間やフリ、掛け合いや言い回しを楽しむことができる。アツい話は、演者が創り出す半分「ガチ」で 半分「バラエティ」の雰囲気があるからこそ、その語り口を楽しむことが出来るのだ。

だが、「テレビ」というメディアは、制作側の「編集・演出」が欠かせない。
テレビというメディアで 演者がラジオのように話せば、その内容が制作によって 観やすく箇条書きのように並べ替えられてしまう。視聴者は、テレビでの発言に演者が込めた100%のセンスを読み取ることは出来ない。ピックアップされた放送内容を眺めるだけで十分となってしまう。

大きな理由にはならないが、「他の番組とは違う」という『ゴッドタン』の自画自賛が多いことも少し気になる所だ。あとは、テイクアウトのコーナーも必要なのか??と思ってしまう。

『あちこちオードリー』が更に面白くなれば、オードリーは「お笑い天下」を取れると思う。
同年代で「お笑い天下」に最も近い千鳥と比較すると、オ―ドリーは代表的な冠番組に出会えていない。(こんなような話も『あちこちオードリー』東野・シェリー回にあったような??)
かつて、若林は「どんなにスベっても返ってこられる『持ち家』のような冠番組を持つことが目標」だと何かのバラエティで話していた。千鳥は『相席食堂』や『テレビ千鳥』がその枠になりえるが、オードリーは やはりラジオの『ANN』がホームであろう。この辺りの「ラジオっぽい」雰囲気・空気間が、良さとしても悪さとしても そのまま『あちこちオードリー』に出ている。逆に言えば、『あちこちオードリー』はオードリーの「オードリーっぽさ」を一番引き出せている番組でもあるのだ。

しかし、テレビでやるからには、新世代のディレクター佐久間と組むからには、是非ラジオでは出来ないことをやってほしい。現状ではゲストとして演者を『ANN』に呼べばよい構成であり、むしろラジオでやった方が良いとまで言えるだろう。

ラジオの雰囲気はそのままに『あちこちオードリー』が更に面白くなり オードリーの「持ち家」となり得る番組となるために、そしてオードリーが「お笑い天下」を取るためには足りない、何かが「足りない」のだ。

☆ ☆ ☆

こう列挙すると、「テレビ」と「ラジオ」には 明確なメディアとしての特性があるようだ。この辺りを整理すると、私のやりたかった「メディア論」になるのかもしれない。

※このnoteは『あちこちオードリー』を視聴しながら書き殴ったものゆえ、自分の考えがもう少しクリアになったら書き直したい。

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