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花冠を掲げるアラディア

櫛本朔治さま 櫛本佐和子より
お返事が遅くなり、すみません。年度末はお互いに忙しくて参りますね。このときほど事務仕事が嫌になることはないです。
さて。このあいだ言っていた神学校の件ですが、姉さんは賛成です。神様のことでどんなお勉強をするのか、あたしには想像がつかないけど、何かを学びたいと思うのはとても善いことです。
あたしからも報告があります。同じ営業所の運転手の方に、結婚を申し込まれました。ママのお葬式のときにご焼香にいらしたので、たぶん顔を見ればあの人だとわかると思います……――。

そこまで読んで朔治は顔を上げる。消毒液の臭いが鼻をかすめた途端、刑事が手を差し出してきたので、彼は唯々諾々と佐和子からの手紙を渡す。これを押収されるのは嫌だ。しかし、やたらに反抗するのは好ましくはない。刑事は2枚の便箋を受け取ると、書かれた文章にざっと目を通した。そしてしばしの黙考の後に、彼に向ってこう訊ねてくる。
「この手紙を受け取ってから、荒城正和氏とはお会いになられましたか?」
「いいえ、会うときはいつも姉1人でした。ただ――」
そのときだ。看護師が待合室の扉を開き、朔治の言葉を遮った。そしてこう告げる。櫛本さん、今お目覚めになられて。わずかに2人は顔を見合わせた後、早足で病室に向う。
朔治には姉に訊ねたいことは山ほどある。荒城との間で何があったのか。どんな経緯で恋人に絞め殺されかけたのか。そして本当に彼を殺したのか。だが、その願いは叶わない。
病室はもぬけの殻だった。鍵のかかった窓と、若干乱れた寝台があるだけで。もちろん数日間昏睡状態だった人間がすぐに動けるはずがない。ならば答えは1つだ。
突如外で激しい靴音が響いて、急速にこちらに近づく。まもなく刑事! と、叫びながら若い男が部屋に滑り込む。ついで朔治たちに対し、こう声を張り上げる。
「荒城の死体が消えました!」
どうも願いは自分で叶えるしかないようだ。

【続く】

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