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やわらかツギハギ修繕社ブログ #パルプアドベントカレンダー2022

 どんなモノにも起源があります。物事の始まり、あれがなければ今がなかったというような。神社仏閣ならやや大仰な言葉を使って『縁起』とも呼ぶでしょう。この会社にもそういった契機が、いくつか存在します。今日は、そのうちの一つの話をさせてください。クリスマスですからね。

 私が子どもだったころ。近所に、おばあさんが住んでいました。まとめた髪からほつれた、うなじの後れ毛がきれいな人でした。故国を亡くしたお姫さまが齢を重ねて生きながらえた――そのような風貌です。

 そのおばあさんは日中、街中をさまよい歩きます。そうして、いつもぬいぐるみを抱いていました。犬か猫のどちらかを日替わりで。

 可哀そうに。路傍の彼女の有様を目の当たりにする度、大人たちは鼻先をつけて、そう話し合ったものでした。どうも大昔に辛い目や悲しい目に遭って、今のような境遇になったのだそうです。とはいえ彼女は暴れたり大声を出したりはしなかったので、遠巻きにはしていても、力ずくで抑え込みはしませんでしたが。でも憐れみをてらう口ぶりの端々には、単純に踏みつけにするよりも善くない気配があったのを覚えています。

 ある年。大晦日が間近に迫った、十二月のある日。私は冬休み中の姉に、公園へ連れてこられました。親はいません。大掃除でかかりきりだったので。ごたごたと忙しくしている家には、小さな子どもは邪魔だったのです。

 しばらくのあいだ、私たちは二人きりで遊んでいました。ブランコを揺らしてもらったり、滑り台では背中を押してもらったりしたのです。そのうち年齢に見合わない幼稚な遊びに飽きたのか、子守りにうんざりしたのか。姉は暖かいジュースを買うといって、私を砂場に置き去りにしました。

 しかたなくあたりの砂をかき集めて、山や建物を作っていたときです。私は視界の端に彼女の姿を捉えました。

 長い散歩の後で、疲れていたのかもしれません。彼女は白い額を前髪で隠すように項垂れて、ベンチにぺったりと背中を預けていました。しなび始めた青草を思わせる、力のない姿です。そうして、犬のぬいぐるみの頭を撫でています。脆く薄いガラスに触れるような、優し気な手つきで。

 そんな彼女に私は話しかけました。世界中のどんな人とも友達になるべきだと、そうなれると心から信じていた時分でした。またオモチャに優しくする人なら、きっと悪い人ではないだろうと思ったのです。クリスマスから日が経っておらず、クリスマスプレゼントにペンギンのぬいぐるみを貰った余韻が、ある種の無謀さを後押ししたのでしょう。

 実際……というよりも幸いにして、相手は悪い人ではありませんでした。彼女は私に対してとても親切で、穏やかな態度で接しました。そうしてスポンジケーキみたいに柔らかい話し方で、少なくない数の物事を教えてくれました。自分はぬいぐるみの職人であり、色とりどりの糸やボタン、触り心地の良い布地と綿で生計を立てていること。そして彼らが持つ言葉について。

 人間と同じように、ぬいぐるみにも言葉があるのだと彼女は言います。たいていの人は、この事実を知らないままで終わってしまうとも。またこのことを理解する数少ない人たちも、きちんと彼らの声を聞いてはいない。なぜなら彼等は、ぬいぐるみたちを砂糖漬けのスミレやバラで出来た存在だと思い込んでいるからだ。だが、本当違う。

 ぬいぐるみと人間の考えに大きな差はない。『あの子は好き』『あいつは嫌い』『死ねばいいのに』『他人のお金でお菓子を食べたい』それから『幸せになりたい』。そんなことを言っている。この世に在るすべてのぬいぐるみたちが。ずっと昔から、今に至るまで。

 なぜ彼らが言語体系とこのような思考を保持しているのかといえば、動物や虫と同様に、死後の生物が生まれ変わる先の一つだからだと。ぬいぐるみの職人たちは純粋に課せられた役割によって――あるいは己が犯した罪の清算のために、魂をこの世界に迎える器を作るのだと。そんな人々の中には、彼らの言うことを聞きとれる者もいる。彼女もそのうちの一人でした。

「この子たちの前では、恥ずかしくないように振る舞いなさい。美しいものを見せて、音を聞かせてあげなさい。ほつれたときには繕ってあげて、ほこりを被ったら払ってあげなさい。それが人間に出来る、一番善いことだから」

 彼女がこう言い締めたときです。なにしてんの――そう誰かが横から入り込んできました。声のした方を顧みると姉さんが、後ろに立っていました。眼の吊り上がった、でも、どこか呆然とした顔つきで。そうして投げかけた問いに答える隙も与えずに、いくよ、と私の手を引きました。引き潮のように強い力で。

 犬のぬいぐるみを抱く彼女の姿はあっというまに遠くなり、煙みたいに視界から消えてました。それっきり二度と、彼女に会っていません。私と別れて少しあと、病院に入れられたのだとずっと後になってから聞きました。

 そしてこれは大人になってからわかったのですが、おばあさんは、本当はおじいさんなのでした。戦争中に寒冷地用のコートに使う毛皮を得るために、たくさんの犬や猫を殺した――正確に言えばその命令を下した……その立場にいた――のだといいます。相手の身だしなみへの無頓着さ、あるいは強いこだわりを私は無知と偏見で受け止めたのです

 あれから四十年近くの時が経ち、私はぬいぐるみを繕う人間になりました。今では専門の会社を立ち上げ、人形の修理で暮らしを立てています。ここまでに至るあいだに私はあの日の出来事を、ずっと覚えていたわけではありません。むしろ忘れ去っていた期間の方が長いはずです。でもどんなに記憶が朧げになろうと、芯のようなものが、心身の片隅に残っていたような気がします。

 ここは絶えず温もりや柔らかさのある、傷つきやすい、さまざまなものを損ない続ける世界です。そこに新しく何かを送り出すのは、ひどく罪深いことなのには違いありません。しかし壊れたを修復する誰かは、どこかに必ずいなければならないと思うのです。

(2022.12.24)


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