献呈の別れ 3‐2

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※無理やり衣服を剥ぐ描写があります

 世界中のすべての大地は神の死骸だと――そう信じられていた時代がある。天を突くほどの巨大な神の死体を礎に、様々な植物や生物が生まれたのだと。それはある意味では本当のことだ。

 気が遠くなるような大昔、地球には原住民がいた。おそらく現代人がすればどこかで見たことのある、でも何かが違う奇妙な生き物たちだ。もったいぶらずに言ってしまえば、動物や虫たちの祖先なのだ。これらを駆逐して栄えたのが人類の先祖だ。

 侵略のため、彼らは“英雄”を使う。“英雄”とは後から授けられた美称で、この時点ではまだ使い勝手のいい兵器に過ぎなかったが。

 ――お願い、お願い。あいつらをやっつけて。

 人類は製造した兵器を用いて、破竹の勢いで大地を制圧していく。歯向かう敵軍をなぎ倒し、身を隠したり逃げ惑ったりする非戦闘員たちを穴倉ごと踏みつぶし、手のひらで叩き潰す。また、気まぐれにつかまえて噛み砕きもした。やがて反抗する者どもが表舞台からいなくなると、人類の祖は地球を自分たちのものにした。

 新しい住民による文明の運営が始まった。だが、彼らはそうそうに困難に直面する。ろくが食べ物や飲み物がない。どんなに大地に種や樹を植えて、熱心に世話をしても何も実らない。また川や海に糧になる魚を放流しても死んでしまう。それもそのはずで当時の地球におけるすべての水や土は、限度を大幅に超えた高濃度の酸性を帯びていたのだ。

 どうやらこの地球上の天然資源は、原住民用に最適化されているようだった。このままでは飢餓による大量死は免れない。これを避けるには、土壌や水質を改良する必要がある。そこで再び“英雄”が有効利用された。

 原住民の『退去』後、“英雄”の機能と巨躯は持て余されていた。戦争が終われば、兵器など無用の長物なのだ。しかし廃棄物として処分するには自我が強く、見えないところにしまうには大きすぎた。

 ――お願い、お願い。お腹が空いて死にそうなんだ。

 切り倒され解体された“英雄”は、肥料として世界中に分配された。細切れの肉を敷きつめた大地や、血が流された川はイオン濃度が中和された。それ以降は地上では穀物や果実がよく実り、水中では魚が身をくねらせて躍り跳ねるようになった。

 “英雄”の肉体はあまりに巨大なので、すべて使いきる前に土と水の改良が済んでしまう。それでも往時に比べればだいぶ縮んだし、もはや使い道はどこにもないから、余った部位は空間の狭間に破棄された。すなわち侵略以前の古い大地と、以後の新しい大地の隙間に。

 ――ありがとう。ありがとう。じゃ、さようなら。

 もちろん“英雄”の方も、好んで陥った境遇はない。都合のいいときだけすり寄ってきて、用事が終わったら、いらないと打ち棄てられた。その無念さや悲しみが、ときおりこちらの世界が現れる。人間たちをまた自分と『仲良くさせる』ために、“英雄”は身体を削って端末を作って送り込む。
 それら端末は人間たちに幽霊とも、妖怪とも、化け物とも呼ばれる。もっと大元に近いものは、あるいは悪魔や悪神とも称された。子どもと引き換えに母体を喰い殺して出てきた三千彦自身も、そして彼が蘭二に捉えさせたのはそのようなものだった。

 蘭二が“英雄”の端末にカメラを向けるとき。三千彦はいつも両手で彼に目隠しをする。彼らの存在を捉えないよう脳が自動的に制限をかけるから、視覚はかえって邪魔になるのだ。
 通常、写真撮影には光量やシャッタースピードなどの調整が必要になる。明暗のいかんや手ブレの有無、また焦点の合い方などで、被写体の印象が一変するからだ。そしてすべての条件を整えて撮影をしたとしても、実際にどのような具合になっているのかは、暗室で現像してみるまでわからない。撮影が成功するか否かは、これまでの自分の目で確めた経験にかかっている。

 だから自分の両眼を誰かに預ける行為は、これらを判断する主体を一切捨て去ることに意味した。

 目蓋を閉ざすたびに、蘭二は可愛い生き物になっていく。身体の組成がこちらに寄り始め、手を引いたら素直についていく生き物になった。そこだと指示されればレンズを向け、今だと命じられればそのままシャッターを切った。現像すれば三千彦の目論見どおり、名残たちは鮮やかに写っている。もちろん彼の技量があっての結果でもあるが。

 これを蘭二のきょうだいに見せれば、カメラに捉えたものが何なのかが一目でわかるだろう。『幽霊』の正体こそは知らなかろうが、どのような性質の存在であるかは理解できるはずだ。あれは自分と反対のものだから。

 人間たちも“英雄”の端末にやられるばかりではない。きちんと彼らに対抗するための装置を用意していた。いわば劇薬に対する、解毒剤のようなものだ。
 古代から現代に至るあいだに役名は失われ、存在そのものも忘れ去られてしまった。だが、端末に抗うのに必要な機能は脳や身体の片隅に残っている。そして、ときどき気まぐれに発動することがある。

 変だ、こんなの。そんな相手の言葉が室内に響く。途端痛みが稲妻のように全身を走り、三千彦は新しく血を吐き出す。量はさきほどよりも、ずっと少なかった。同じように衝撃もさほどなく、立ったままでいられる

 一応ハンカチで口元を拭いながら、三千彦は装置を盗み見る。二つの瞳には体液の膜が瑞々しく張り、瞬かせる度に細やかな光がちらちらと散った。今はどうにか踏みとどまっているが、涙は今にも溢れてしまいそうだ。

 不安になったのではないですか――。そう口にしながら、彼はハンカチを離す。やはり布地にも唇にも汚れは見当たらない。時代を経て血が薄まったせいか、それとも満遍なく地上に設置した代償なのか、たいした威力ではない。連発されれば厄介だし、小憎たらしいことに変わりはなかったけれど。

「人を殺してしまったと。でも、よかったですね。僕はそこらへんの奴らよりも、ちょっとだけ頑丈なんです。だから心配なんかしなくていい。それに別に怒ってないですし」
「痛い目に遭わされたのに?」
「これくらいなら平気です。まあまったく痛くないわけじゃあないけれど、あなたは僕の友達になる人だから」

 装置は何も言わない。じっとこちらを見据えて、祈っているみたいに両手を腹の前で組み合わせている。絡み合った指先の固さから装置が己の行いの結果に戸惑い、怖気づいているのが三千彦はわかった。相手は両親の厚い監視のもとに生きてきた、世間知らずだ。比喩ではなく、本当に虫を殺したこと(あるいはその自覚)もないだろう。

 そして己の行いの意味合いも、なぜ自分がこんな力を持っているのか理解していない。きっと誰にも教えられなかったし、本人も知ろうとしなかったのだ。

 装置の左の踵がわずかに……わずかに後ろに退る。慎重な、気おくれや怖れが如実に伝わる動作だ。しかし怯みを見せたのはそれだけで、その後は三千彦をじっと睨みつけた。蘭二と似ているが彼より少しだけ眦が切り上がった、挑むような両目だ。
 二人はお互いに向かい合ったまま、門前の彫像のように身動ぎすらしない。極めて静寂だが、波乱を含んだ時間だった。どちらかの立ち位置が少しでもずれれば、何かが――世界中のあらゆる砂や山や城や教会が崩れ去る。そんな風の。

 そうして、どれくらいの時間が経ったのか。こうなって初めて室内に時計がないのに、ジュンイチロウは気づく。窓の外はまだ明るいから、さほど長針も短針も進んではないだろうが。けれども、わからないことはジュンイチロウを不安にさせた。
 ずっと身構えていたさなか。相手の背後で、サイドテーブルの引き出しが開く。まさしく『開いた』と称するにふさわしい動きだった。赤江の姿が目の前から掻き消えた次の刹那、みぞおちに鈍い痛みが起こる。引き出しが飛んできた。

 無防備だったせいか。衝撃を受ける際に、どうも口の中を噛んだらしい。鉄っぽい臭いが鼻を駆け抜け、苦味を伴った液体が舌の上に広がる。鉛でも呑み込んだみたいに胸が重苦しくなって、息が詰まる。
 目蓋が持ち上がらないが、耳は依然として機能していた。まだ、がたがたと何かが動く音がする。さっきの引き出しなのか、それとも別の家具なのかは判断がつかないが。いずれにしても衝突すれば、大打撃を受けるのには違いない。

「生きてもないのに動くな!」

 精一杯に声を張って、ジュンイチロウは叫ぶ。途端、周囲に静けさが戻ってくる。反響すら残らない完全な森閑さだった。しかし、確かに人間の――生き物の気配がある。

 大丈夫ですか。赤江の声とともにぐんと身体が引き上げられ、その場に立たされた。しかしそれは一瞬のことで、すぐに椅子に座らされる。滞留していた血が急激に全身に広がって、すうっと気が遠くなる。そこに再び、レモン水が入ったグラスが差し出される。

 乱れた息を整えつつジュンイチロウは、親切な誰かの指先をまじまじと眺める。ガラス包み込む爪は艶やかで、ささくれもなくつるりとしていた。でも、なんだか奇妙な感じだ。その違和感の正体を理解した途端、鳥肌が立つ。赤江じゃない。

 心臓が早鐘を打ち、耳の奥がざわざわと騒ぐ。正直に言って、何も見たくはなかった。しかし目を逸らす道はもはやなく、ジュンイチロウは顔を上げるしかない。凍りついた冬の道を進んでいくのと同じように、ゆっくりと。すると目の前に、自分がいる。

 その『ジュンイチロウ』は、本来なら家族以外に見せることが許されない姿をしていた。アイシャドウや口紅が目蓋と唇を淡く彩り、適切な量で塗布されたパウダーが肌を滑らかにしている。まるで最初から女の子として扱われて、育てられたような容姿だったのだ。しかし違う。これは蘭二だ。

 当然ながらお互いに顔つきに似通ったところがあるだけで、彼とジュンイチロウは別の人間だ。じっくり見なくても、そんなことはきちんとわかる。

 しかし弟と相対するうちに、ジュンイチロウのなかでだんだん己と相手との区切りが曖昧になってきた。今、ここで自分が椅子に座っているのは揺るぎない事実であるはずなのに、それが間違っている気もして、なにがなんだか、わからなくなってゆく。

 もっと、ちゃんと見て。ほら。そういう赤江の声が、すぐ後ろから聞こえた。ジュンイチロウは反発を覚えるが、いかんせん意志は弱かった。赤江の両手が、肩に置かれていたからだ。たとえ抵抗して顔をそむけたとしても、相手のしたいようにされるだろう。

 ふと、こちらに向き合う『ジュンイチロウ』の頬が緩む。誕生日の朝に浮かべるみたいな屈託のない、無邪気な微笑みだ。また己を眼差す者の、欲火を焚きつける嬌笑でもあった。相手の情炎を嵩じさせればどうなるかを知っていて、あえて素知らぬ顔をしているという風情の。そしてその振る舞いは、猫かぶりや取り繕いではなく、ごくごく自然に行われていた。

「あなたも同じように――いや、それ以上になれますけれど」

 どうします? 三千彦の問いに対し、ジュンイチロウは首を横に振る。もうじきに嗚咽が漏れ出るか否かの、危うい顔つきで。おそらく本人の自覚よりも前に、反射的に出現した動作だろう。まるきり子どもじみていたが、それだけ意志の強さが伝わってきた。

 頑固だ。だが、混乱している。そう三千彦は感じ取った。また己の父親と同じように装置がこちらの支配下に入るまで、もう一押しだろうとも。実際、息遣いが荒かった。大きく吸い込むのに、上手く吐き出せていない。あきらかに息苦しそうだ。均衡を欠いて、駄目になってきている。
 とはいえ油断はしてはいけない。物事はここぞという箇所が、一番難しいものなのだ。どんなに万全を期していても、運だけでひっくり返されることも間々あるのを彼は知っていた。

「そんなに苦しいのなら、楽になればいい」

 三千彦は言う。すると蘭二が、ジュンイチロウのシャツの襟に手を伸ばす。

 アーヤが胸を掻き抱こうとするが、赤江が手首を捕まえる。その締め上げる力は傍から見ていても、きりきりと音が聞こえてきそうなほどにきつく強い。強いからどんなにみっともなく足掻いても、絶対に振りほどけない。そんな無意味な努力を見ていると、蘭二は少しだけアーヤが可哀そうになる。

 露わになったコルセットを蘭二は解く。普段から隠れている見慣れない部分だが、構造に変わったところはない。スニーカーと同じ要領でやっていけばよかった。そうして一本ずつ手をかけていたとき、こんな考えがふと彼の頭に過る。。そういえば脱ぎ着の手伝いはしたことなかったと。

 家庭教師の授業でうっかり忘れてしまった、あるいは理解しきれなかった部分をたまに教えてやりはした。体調が悪いときには温めたタオルや薬などを部屋まで持ってきてあげもした。けれども身支度の手伝いを頼まれたことは一度だってない。自分の手で出来ることは自分で行う……そういう人だった。そんな人に友達を作ってあげたかったのも、楽にさせてあげたかったのもどちらも本心だ。

 そう思い至った途端ぎゅっと襟首を絞められるような苦しい心地がして、紐を弄る指先の動きが鈍る。しかし疚しさとは裏腹に、どこか気を昂らせてもいた。むしろ自責の念が深くなるほどに、内側の波立ちやすい部分を擽られる感じすらある。

 蘭二は目線を上げ、アーヤ――ジュンイチロウを見る。大きく見開いた眼や一直線に引き結んだ唇、月形に跳ねあがった眉には、前向きな感情は到底存在しえなかった。あまりにも筋肉が固く強張っているので、上手く感情を表せられないのだ。ただ、一つ恐怖を除いては。そして怖気に苛まれた顔つきは、花氷みたいに美しかった。
 どんなに装いをジュンイチロウに寄せようとも、自分はこんな雰囲気を醸し出せはしないのが彼にはわかる。これは本人の性質から現れたものだったから。

 紐の残りを蘭二は一気にコルセットから引き抜く。その瞬間、赤江が手首の拘束を解き放つ。ほとんど同時にジュンイチロウは前を隠し、ぐっと折りたたむように上半身を倒す。しかし肌が見えなくなるわずかなあいだに、彼は確かに見た。掻き合わせていたコルセットの前当てが開き、ずっと抑えつけられた胸部が本来の形状を取り戻すのを。

「お願いだから、この子にひどいことをさせないで」

 ぐっと、身体の中で何かが開く。意識が遠のくさなか。彼女がまた、口火を切る。僕の弟はこんな扱いをされていい人じゃない――。その一言が最後に聴き取った、きちんとした他者の言葉だった。

 べっとりと身体が血で濡れた感覚がして、気がつくと、蘭二が床にうつ伏せに倒れている。どうも口や鼻、耳から流れ出ているらしい。足元の血溜まりは、際限なく広がり続けていた。
 何だろう、これは。身の回りの状況を、彼女はすぐに受け取ることが出来ない。フィルムの繋がりがめちゃくちゃにされた映画みたいに思える。次第にこれが現実の出来事なのを理解する。また責任が誰にあるのかも。

 いまさら何を臆しているんです、いつもしていることでしょうに――。お腹の中が氷水で満ちたみたいに、すっと冷えていく。それと同じくして、赤江の一言がジュンイチロウの胸に入り込んでくる。まるで雪解け水が土を濡らして、地下の奥深い場所まで染みていくみたいにじっくりと確実に。

「もしかして自分がやったことが哀しいことや怖いことだなんて、ずっと考えもしなかったんですか」
 考えもしなかった。
「自分が悪いことをしているとは、思ってもなかったでしょう」
 思いもしなかった。
「過ぎたことはもう仕方ないですけど、それで? 今の始末はどうつけるつもりですか」
「どうしよう」
 ジュンイチロウはようやく口を開いた。落涙とともに、あらぬ場所から溢れてきた一言だった。言葉はそれきり途絶えてしまうが、涙は滂沱として止まらない。そのさなかで赤江が続きを引き受ける。

「間違いは正さなければならない。大丈夫。どうにかするつもりさえあれば、後はなるようになります」
「本当に?」
「本当に。なんなら僕がお手伝いをしてもいい」

 装置はこちらを顧みる。もう少しで自分に縋りついてきそうな眼差しだった。もとをただせば三千彦が引き起こした事態なのだが、そのことは彼女の頭からすっかり抜け落ちているらしい。どうやら物事を受け止めるキャパシティがあまり多くはないようだ。

「もっとも蘭二くんをどうしたいのかは、あなた次第ですが」
「どうにかできるの?」
「どうにでも。前の状態に復元したいならそうしますし、このまま隠したいなら一緒に土か壁にでも埋めてあげる」

 どうします? そう重ねて問いながら三千彦は、彼女のシャツのボタンを留めてやる。ただし彼がしてやったのは一番上だけで、後の役割は奪い返された。
 そうして装置が胸部を隠していくのを、彼はじっと眺めている。どこか人間味に欠けた、機械性を感じる動きだった。睫毛も頬もじっとりと濡れて、ひどく取り乱しているのに、指運びだけは的確なのがなおさら無機質さを引き立てていた。

 ある程度遺伝子が共通した姉弟とはいえ、やはり個体差はある。それぞれの美貌はまったく別種類のものだった。蘭二は室内犬じみた朗らかで愛くるしい部類だが、こちらはカゲロウの羽を思わせる愁いを帯びた端正さだ。もしかしたら燦々とした陽の光よりも、月明かりが似合うかもしれない。そういう具合の。

 これがあらかじめの約束通りに、初めから自分のものだったのなら、どれだけ安心できただろう。そんなことを三千彦は思う。同時に怒りを覚える。出現してから今までのあいだ装置の存在に怯えていたのも、約束を破られた事実や欺かれたせいもある。だが、彼女の本来の性質を歪められているのがとりわけ哀れだった。
 相手が自分に抗する力を持つのを、彼は己が身をもって知っている。しかし元来の攻撃性は鳴りを潜めて、今はただ、はらはらと泣き続けていた。その様子は魅力的だが、ひどく弱々しい。去勢。そんな言葉が似つかわしいありさまだ。

 臥薪嘗胆ではないが、素直に差し出しておけば、まだ活路は開けたかもしれないものを――。敵ながら、そのように三千彦は感じざるを得なかった。

 そんなことを考えるあいだにも、ボタンを留め直す手はずっと動き続けている。まもなく身なりをすっかり整えると、装置――ジュンイチロウ……絢一朗(もしかしたら本当の名は絢子かもしれない)は、あらためて三千彦と向かい合う。
 お互いの視線がかち合ったとき、彼はほうっと息を吐く。まだ相手の目蓋は濡れているし眼元は赤い。けれども、瞳には確かに光を取り戻していた。火種を思わせる小さく、確かな光が。ついで今にも燃え上がらんばかりの目つきをして、彼女は口を開く。

「本当に助けてくれるんですか」

 ええ、と三千彦は答える。そうしながら、おのずと唇が吊り上がっていく。まず表情が先行したが、愉快さは後からついてきた。これからどんなに永く生きながらえようとも、二度と味わえそうにないほどの強い愉快さだ。今すぐにでも哄笑しそうになるが、どうにか衝動を押し殺して言う。ただし、お願いがあります。

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