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イタリアをたたいてみれば文明開化の音がする

ハサミで延命管を切る680

イタリアで安楽死を法制化するように求める署名運動が、75万人余りの賛同を集めました。

これによって、安楽死への賛否を問う国民投票が、早ければ来年にも実施される可能性が高くなりました。

イタリアでは50万人以上の署名で国民投票が実施される決まりです。

安楽死は、命の炎が消え行くままに任せる尊厳死とは違って、本人または他者が意図的に命の炎を消す行為です。

その意味では尊厳死よりもより罪深いコンセプトであり、より広範な論議がなされるべき命題と言えるかもしれません。

別の言い方をすれば、安楽死は尊厳死を内在させているが、尊厳死は安楽死を包含しない。

筆者は安楽死及び尊厳死に賛成する者です。

いわゆる「死の自己決定権」を支持し、安楽死・尊厳死は公的に認められるべきと考えます。

回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願い、それをはっきりと表明し、そのあとに安楽死を実行する状況が訪れた時には、粛然と実行されるべきではないでしょうか。

生をまっとうすることが困難な状況に陥った個人が、安楽死、つまり自殺を要求することを否定するのは、僭越であるばかりではなく、当人の苦しみを助長させる残酷な行為である可能性が高い。

安楽死を容認するときの危険は、「自らの明確な意志」を示すことができない者、たとえば認知症患者や意識不明者あるいは知的障害者などを、本人の同意がないままに安楽死させることです。

そうした場合には、介護拒否や介護疲れ、経済問題、人間関係のもつれ等々の理由で行われる「殺人」になる可能性があります。親や肉親の財産あるいは金ほしさに安楽死を画策するようなことも必ず起こるでしょう。

毒飲む髑髏650

あってはならない事態を限りなくゼロにする方策を模索しながら-繰り返しになりますが-回復不可能な病や耐え難い苦痛にさらされた不運な人々が、「自らの明確な意志」に基づいて安楽死を願うならば、これを受け入れるべきです。

イタリアでは安楽死は認められていません。そのため毎年約200人前後もの人々が、自殺幇助を許容している隣国のスイスに安楽死を求めて旅をします。そのうちのおよそ6割は実際にスイスで安楽死すると言われます。

安楽死に対するイタリア社会の抵抗は強い。そこにはカトリックの総本山バチカンを抱える特殊事情があります。自殺は堕胎や避妊などと同様に、バチカンにとってはタブーです。その影響力は無視できません。

だが堕胎や避妊と同様に、禁忌の壁が高かった安楽死についても、崩壊の兆しが少しづつ見えていました。そしてついに、その是非を問う国民投票が実施されるかもしれないところまでこぎつけました。

(尊厳死を含む)安楽死は、命を救うことが至上命題である医療現場に、矛盾と良心の呵責と不安をもたらします。イタリアではそこにさらにバチカンの圧力が加わるのです。

医者をはじめとする医療従事者は、救命という彼らの職業倫理に加えて、自殺を否定し飽くまでも生を賛美するカトリック教の教義にも影響され、安楽死に強い抵抗感を持つようになります。

老婆手650

自殺幇助が犯罪と見なされ5年から12年の禁固刑が科されるイタリアですが、実は2019年、憲法裁判所は世論の圧力に屈して例外規定を設けました。

延命措置を施されつつも治る見込みのない患者が、肉体的また精神的に耐え難い苦痛を覚え続け、且つ患者が完全に自由で明晰な判断が可能な場合は例外とする、としたのです。

安楽死を推進する人々に対しては、キリスト教系の小政党などから「死の文化」を奨励するものだという批判が上がりました。

またカトリックの総本山であるバチカンは、自殺幇助は「その本質が悪魔的」として、従来の批判を声高に繰り返しました。

それらは極めて健全な主張です。生を徹頭徹尾肯定することは、宗教者のいわば使命であり義務です。彼らが意図的に命を縮める安楽死を認めるのは大いなる矛盾です。

安楽死を怖れ否定するのは、しかし、宗教者や医療従事者のみならず、ほぼ全ての人々に当てはまる尋常な在り方でしょう。

生は必ず尊重され、飽くまでも生き延びることが人の存在意義でなければなりません。

従って、例え何があっても、人は生きられるところまで生き、医学は人の「生きたい」という意思に寄り添って、延命措置を含むあらゆる手段を尽くして人命を救うべきです。

その原理原則を医療の中心に断断固として据え置いた上で、患者による安楽死への揺るぎない渇求が繰り返し確認された場合にのみ、安楽死は認められるべきと考えます。

カトリックの教義に従順なイタリアの「健全で保守的な世論」が、安楽死という重いテーマを正面から見据えて、北欧などを中心とする開明的な国々に追随する方向へと進んでいることを筆者は歓迎します。

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