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安宅和人「イシューからはじめよ」からはじめよう- Rank A

「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」中島敦

本書は戦略コンサルティングにおける本質を余すことなく教えてくれる。コンサルのみならず、知的労働を行うものにとってのバイブルだ。

その内容の要約については既に多くのブログや記事、レビューがあるのでここで取り上げる必要はないだろう。

今回考えたいのは第一章のテーマについてである。

第一章  イシュードリブンー「解く」前に「見極める」-目次より

課題が山積する現代において。

常々考えている個人的な問題意識として、「短絡化する人類」がある。ポピュリズムの台頭に代表されるように人々は長期的な公益よりも目先の自分の利益を優先するようになっている。まるで、しつけられていない犬のようにエサが目の前に出されれば我慢することができないのだ。

こうした傾向は文書や討論を見ても強く感じる。今から50年前100年前の知識人の対談、著書を読んでいると現代の知識人に相当する人たちとあまりに語彙、論理の緻密さ、視野の広さのレベルが異なることに驚く。

現代の言論は一見すると読みやすく、分かりやすいように思えて実はただ単に内容が薄いだけだ。知識人の知性がそこまで劣化したわけではない。むしろ劣化したのは受け手の方だろう。

もはや大衆は140字以上の文字を読みこなすことはできないと考えていい。主な情報入手手段は映像で、それすらも長時間には耐えられない。映画(2時間)→ドラマ/アニメ(30分~1時間)→Youtube(10分)→ストーリーズ(1分)→Tictok(10秒)と年々時間が短くなってきている。

彼らと対話するには1時間かけて論理的に説得するよりも非常に短いメッセージを何度も刷り込んでいくしかなくなっている。

さあ問題だ。21世紀は課題の世紀だ。SDGsに代表されるように我々は多くの課題を抱えている。しかし、それらの課題を抱えているのは実際には大衆であり、一部のエリート層だけで解決することは困難だ。実際に解決を仕掛けるのはエリート側だとしても大衆を動かさなければ課題は解決しないのである。

多くの課題を解決しなければならないのにもかかわらず、大衆は自分勝手で目先のことしか考えられない。たちが悪いはのはこうした人たちは新たな課題を生み出してしまうことだ。

善良で賢明な一部の人たちは彼らの生み出した課題を解決しようと躍起になる。こうして課題は山積し、リソースは枯渇するのだ。

社会課題を解決できる人はそう多くはない。課題に取り組む人たちはおおむねいい人だ。目のまえに困っている人がいれば、課題を発見すれば、助けずにはいられない。そういう人たちだ。

全ての課題は解決できない!

さあ困った。リソースは限られているのに課題は山のように出てくる。どれだけ解決しても、次から次へと、さらには解決した課題をきっかけに新たに課題が発生する。

さあどうする。スーパーマンが出てきて全ての課題を解決してくれるのを待つのか?

ようやくここで、本書を紹介した意味がでてくる。著者がいう、イシュードリブンとはまさしくこうした問題に対する解を提供してくれる。

課題を解く前に見極めろ。

社会課題は山積しているがリソースはない。その中で我々は取り組むべき価値の課題とそうではない課題とを取捨選択しなければならない。では価値のある仕事をどう見極めるのか。

著者の答えはシンプルだ。バリュー(価値)はイシュー度と解の質の2軸で測られると主張している。著者によれば、「イシュー度」と「解の質」は次の通り定義される。

「イシュー度」とは「自分の置かれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」、そして「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」p26

この二つが高い状態であればバリューが高いといえる。

さらに私が必要だと思う視点はイシュー間の相互作用である。一つの課題が単独で存在している蓋然性は高くない。大抵の場合はその課題はほかの課題を原因としているか、その課題を原因として違う課題に影響を与えている。

こうした課題間の関係性を見極めることが非常に重要になる。

こうして、バリューのあるイシューを選んだあと、実際にどうやって解決するのだろうか?イシューが見つからないときはどうするか?イシューが大きすぎる時はどうやって分解するか?どうやってイシューを特定するか?

悩みは尽きないが、著者はこうした悩みに答えをくれる。そして、本書を読んだ後はここで私が「悩み」と書いたことに反応してくれるはずだ。著者は「悩む」と「考える」の違いについて明快な答えを用意してくれているからだ。

それぞれの答えは実際に本書を読んで確かめてみてほしい。↓

本当にそれを解くべきなのか?

冒頭の言葉を思い出してほしい。人生は何事かをなすにはあまりにも短いのだ。

最近はリーンスタートアップという考えがもてはやされ、今を生きろという言葉が曲解され、今さえよければそれでいいと考えている人たちが多い。スティーブジョブズのConnecting the dots という有名な言葉もこうした傾向に拍車をかけている。

今を全力で生きることは素晴らしいことだが、将来を考えなくていいということではない。未来が予測できないからといって手当たり次第に課題に取り組むべきではないのである。

本当に意義があることをその瞬間その瞬間全力で取り組むことと目の前の快楽を貪ることを混同してはいけない。


つまらない課題に取り組んでいる間に、解決不能な課題に取り組んでいる間に、短く儚い人生は通り過ぎていくのだ。

日本にフォーカスすれば益々この考え方は重要となる。我々が抱える課題は多いが持っているリソースは多くない。くだらない課題に心を砕いている場合ではないのだ。リソースを集中して一点突破で解決しなければ、ジリ貧になるのは目に見えている。

さあ、今こそ、イシューからはじめよう。我々が本当に解くべき課題について議論し、見極め、解くべき課題にリソースを集中し、一歩一歩今を楽しんで課題を解決していこう。

そしてその前にまずは「イシューからはじめよ」からはじめようではないか。

以上


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