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スポーツの価値とは

つい先日スポーツの価値について考えるきっかけがあった。


「なんでスポーツをやるのか?」


そう問われて即答するのはなかなかに難しい。


「それもなぜわざわざ部活動でやるのか?」


この問いが私には相当難しかった。


今まで15年間サッカーを続けてきた私にとって、サッカーは日常生活の一部であったため考えたこともなかった。


もちろんサークルでもサッカーができる。
でも部活動を選んだのだ。

楽しいからという理由だけではないのは確かだ。

”大学生でサークルではなく部活動を選んだ理由はなんだったのか?”

それを真剣に考えてみた。


部活動をやることに価値があるのか?
どんな価値を生み出すのか?


プロになるわけでもない。
ましてやサッカーに関わる仕事に就くわけでもない。

今のご時世、コロナも重なりスポーツの価値が問われていると感じている。

スポーツやらなくてもいいんじゃない?
将来何の役に立つの?

少なからずそういう声は聞こえてくる。

確かにやらなくてもいい。

”そんなスポーツを私が大学生でも続けた理由はなんだったのか?”

全国大会に出られるようなチームであれば、

世の中の人に感動を与えられる存在になる

というような目的を立てられるだろう。

だが私の部活は全国とは程遠いため、そのような目的は持てなかった。

そんな私が部活動を続けた理由は思い返すと単純な理由だった。


感謝を伝えるためと仲間を持つためだ。

かなり浅はかに思われるかもしれないがこれが全てだった。


感謝とは誰に伝えるのか?


それは今まで自分に関わってきた人たちだ。
指導してくれたコーチ、高校時代の仲間、そして両親。


サッカーを通して繋がっていられる気がしたのだ。

私は口に出して感謝を伝えるのが苦手だ。

そんな私が感謝を表す手段は、

あなたと過ごした、そして関わったサッカーをまだ続けている

これで十分表している気になっていた。
実際感謝できていたかは今となっては分からない。いやできてはいなかっただろう。

ただこれが私なりの感謝の伝え方だったのだ。
今考えてもかっこ悪い。

ただ父からの話では中学時代のコーチは私がサッカーを続けていることに大変喜んでいたそうだ。

2つ目の仲間を持つとはそんな単純な話ではない。

同じ部活に入っているから仲間と呼ぶのはあまりにも短絡的だ。

苦楽をともにし、互いに認め合う。

あいつのためになら頑張れる。

そういう仲間を私は持ちたかったから部活動を選んだのだ。

サークルでできないとは言っていない。
ただ違うのは本気かどうか。

私は中途半端が嫌いだ。
中途半端な気持ちで喧嘩をしても身が入らないし時間の無駄だ。

本気で取り組むからこそ、意見が合わずぶつかり合う。
私はその本気の瞬間が好きだった。

少なからずお互いの理解を深める手順を踏んでいると感じていたからだ。

つまり本気で取り組める場が欲しかったのだ。


さて本題に戻ろう。

スポーツの価値とは?

色々な意見があるだろう。

努力、友情、人間性、紳士を育てる。

どれもスポーツが生み出す価値だ。

感動、勇気、元気、情熱、諦めない精神を与える。

これもスポーツの価値だ。

正直スポーツの価値なんてやっている人が感じたことを伝えていけばいいと思う。
やった人にしか分からないものがあるから。

私なりに考えたスポーツの価値とは、紡いでいくことであると考えている。

スポーツはなんでもいい。
ただそのスポーツを通して出会った人の輪を広げることだ。
私はサッカーでしか、それをなし得ないが。

確かにプロにはなれない。スポーツで稼げるわけでもない。
でも人の繋がりは途切れない。
この繋がりを紡いでいくことなのではないか。

今年インターハイが開催されないが、紡いでいくことはできる。

スポーツやらなくてもいいんじゃない?
将来何の役に立つの?

こういう声が多く、今続ける必要があるのか。
そう考える人は多いはず。

だが私はスポーツの価値を信じたい。


スポーツを通じて繋がれる、分かり合えるものがあるから。

だから大人になってもスポーツは続ける。

そしてスポーツを盛り上げるような仕事は広告を通じてしていく。

長くなったがこれが私なりのあの時答えられなかった、

「なんでスポーツをやるのか?」

に対する問いの答えだ。


S君.


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